第18話 谷、走る、過去帳
飛脚が尾根に敷かれた道を行く。
下を見れば、その道はすさまじい高さにあるのだと如実にわかる。
彼は今、一つの村から帝都へと向かっていた。
直線距離で行けば、二つの位置は非常に近い。
しかし、不可能である理由があった。
一つには、大河が谷底を流れている。
深く速い、「人を飲みこむ大蛇の川」と呼ばれる大河である。
焦った同僚が何人も何十人も何百人も飲まれて消えていった。
帝都に届かなかった情報の多くも、大蛇の川の胃袋に眠っているのだろう。
むろん、そのような危ない川があるなら、橋を架ける計画も何度かは立った。
大蛇の川は、自らを横切ることも許さないようで、工事の人夫が何千と殺された。
我が息子や親族が濁流に飲まれるところを見て、ある村長は「帝王の命であっても大河に橋を架けることは認められない、もし今後橋を架ける者は呪われるであろう」とまで言ったと聞く。
それゆえ、葦の筏が大河を渡る唯一の手段である。
また不可能な理由はもう一つあった。
飛脚の出身は出発した村と帝都を直線で結んだ線上にある小村である。
比較的安全に大河を渡れる葦の筏の渡し場もある。
安全といっても十人中四人が向こう岸に着ける程度のものではあるが。
飛脚はもともと生贄にされるはずだった。
先に述べた架橋計画の人柱として、である。
彼は埋められる前日に逃げ出した。
驚くほどあっさりと、彼自身でさえ訝しむほど簡単に逐電できたのである。
もし谷底を通って帝都に向かうならば、必ず出身の村を通らねばならない。
つまりは、逃亡の責めを負わねばならない。
飛脚は死に対しては臆病だったから、当然「百列の棒叩きの刑」も恐れていた。
したがって、彼にとって回り道であっても死の近道を通るよりはマシだったのである。
さて飛脚は彼自身見たことのない色をした一本の綱を運ばねばならなかった。
綱の結び目が「一」を意味しているのは分かる。
だが色の意味がわからねば、内容までは分からない。
同僚に聞いても、初めて見る色だとしか情報が集まらなかった。
飛脚は不安になった。
しかし、前に述べたような性格であるがゆえに、帝都に綱を運ばないという選択はありえないのである。
もしそうすれば、「百列の棒叩きの刑」よりも恐ろしい刑罰が待っていよう。
だからこそ、帝都にたどり着かねばならない。
脚を酷使するような激しい道を行こうとも。
帝都にたどり着いた飛脚は、役人に例の綱をすぐ見せに行った。
役人が綱を見たとき、飛脚に急な怖気が走った。
蛙を前にした飢えた蛇のような光を役人の目の中に見たからである。
早く退散しようとした瞬間、縄が打たれ、飛脚はひざまずかされた。
その後のことは素早かった。
飛脚は贄とされた。
あの綱の色は生贄の意味だったのである。
彼は青銅の棍棒で打たれ即死し、夜の神にささげる神殿の基礎へ埋められた。
ちなみに、帝国で信仰される夜の神は、大蛇のベルトを締める図像で知られていた。
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