第16話 ラクダ・歌う・盆

 昔、サルマン可汗カガンがイティルの都護将軍だったとき、母方の祖父が死んで遺産を受け継いだことがあった。

 遺産は銀貨一千枚と多額だったものの、サルマン将軍にとっては大いに不満で、都護兵舎に戻るなり、銀貨の袋を叩き落とした。


「わしは祖父に尽くしてきたというのに、この仕打はなんであろう!」


 サルマン将軍が叫ぶと、部下のブンドゥクがすぐに諌める。


「サルマン将軍、ワークワーク島の盆の話はあなたもご存知でしょう。どうかお怒りを鎮めてください」


 部下の言葉に耳慣れぬ地名があったので、サルマン将軍は尋ねる。


「ブンドゥクよ、ワークワーク島とはいったいなんなのだ? そしてその盆の話とは?」


 ブンドゥクはうなずくと話し始めた。


【ブンドゥクの語る「ワークワーク島の盆の話」】


 サルマン将軍、このイティルより遥か東の海に、ワークワークという名の大きな島が浮かんでおります。

 この島は人面に似た果実を実らせる木やライオンを掴んで飛べるルフという鳥が住み着いているなどと噂されておりますけれども、実際には勘違いに過ぎません。


 さて、我らがイティルより一人の商人がワークワーク島へ渡りました。

 彼は一枚の錫の盆を持っておりました。

 商人にとってそのとき唯一の財産でもあります。

 といいますのも、船が嵐に巻き込まれ、いくつかの荷物が波に飲まれてしまったのです。

 

 そのような不幸にもかかわらず、商人は少しも悲しく思っていませんでした。

 それも錫の盆が残っていたからにございます。

 ラクダの描かれた輝く盆は、彼が父親から受け継いだ遺産の一つでもありました。


「この盆は銀貨一千枚と高値で売られていた。ならば、同額と言わぬまでもそれなりの値で売れるに違いない。本当に困ったときに売るのだぞ」


 かつて、父親が商人にこう申しておりましたので、盆を売れば路銀と商売をする元手は手に入るだろうと思ったのです。

 とはいえ、遺産を売り払うのは忍びないものです。

 ワークワーク島の都大路の端で、彼はあちらへ歩いたかと思えばこちらへ戻る、と躊躇する者にありがちな行動をとっておりました。


 ついに決心して質屋を探し始めたところ、何の気無しに見た露店にいくつもの盆、それも己のただ一つの財産にそっくりな盆が鱗鎧のように吊り下げられているではありませんか。

 その上、商いの様子を見ていると、吊り下げられた錫の盆は数枚の銅貨で手に入る代物だったのです。


「何ということだ! 神は私を見放したのだ!」


 叫ぶなり商人は気絶してしまいました。

 あまりに大音声だったので、盆を売っていた店主の老人が駆け寄ってきて、薔薇水を気付けにふりかけ介抱します。

 何度か商人は意識を取り戻しましたが、そのたびに、


 鏡よ、輝く鏡よ、

 どうしてお前は

 正しい姿を映さない?

 どうしてお前は

 秤の上で嘘をつく?


 と歌ってはまた気絶してしまうのでございました。

 しかたなく店主はイティルの商人を自宅に連れていき、妻や子供に面倒を頼みました。

 商人が正気を取り戻したのは三日後のことにございます。


 店主は我らが都の商人に種々くさぐさのことを尋ねまして、遠国より来た男が何という不幸に見舞われたかを知りました。

 商人は、


「あの錫の盆が価値の低い物と知った以上、見知らぬ土地で頼る方もおりませんので、どうしようもなく、嘆くばかりが取る道です」


 と言って泣くので、店主は元気づけるべく、盆に描かれたラクダの逸話を聞かせるのでした。


【店主の語る「ラクダの分配の話」】


 まあ、お聞きなさい、遠くから来られた方よ!

 この盆には三つの教えがある。

 それを聞いて考えなおされることだ。


 さて、ある国に三人の兄弟がいた。

 父親は十七頭のラクダを飼っており、キャラバンの長を務めることもあった。

 しかし悲しいかな、そのような立派な人間ほど神はお手元に置きたがりなさる。

 末弟が成人した次の日に、父親は急死してしまった。


 幸いにも遺言は錠前付きの箱に収められていたので、争いはないように思われた。

 確かに遺言はパピルスに記されており、署名も筆跡も父親のもの。

 ならば安泰か、と思われるであろう。

 しかし、問題があったのだ。


 細々と遺産の分け方が記されている中に、ラクダの分配があった。

 父親はパピルスにこう記す。


「長男は群れの二分の一を、次男は三分の一を、三男は六分の一を相続すること」


 これは非常に厄介なことだった。

 あなたもご存知であろう、ラクダがいかなる財より名誉なものであるかを!

 さらには、三兄弟にはラクダが十七頭しかいないことも。


 当然、このような内容に揉め事が起こらないはずがない。

 しかし、ラクダは生き物、一頭を刀で裂いて分けることもできないし、この一文を覆そうものなら親の顔を立てられず、後ろ指を差される。

 三兄弟は堂々巡りの議論を続けざるをえない。


 そんなときだった。

 たまたま、一頭のラクダだけが財産の老いた旅人を、父親が泊めていたのだ。

 彼が、己のラクダを貸す、そうすればするすると解決するだろうと申し出る。

 三兄弟は訝しみながら受け入れた。

 途端に、相続問題はなくなったのだ。


 長男には九頭、次男には六頭、三男には三頭ラクダが渡り、老人には一頭が返却された。

 長男は旅人をもてなすのは己にも利益があるのだと改めて理解した。

 次男は他人の知恵を借りることは恥ではないと学んだ。

 三男はこのとき一番受け継いだラクダの数が少なかったので不満に思っていたが、自ら選んだ牝のラクダが多産で、あっという間に群れを増やした。それで、幸不幸は量りがたいと知った。


 さて、遠国の方よ、このラクダの逸話よりあなたに私が為すべきことがある。

 長男の教えに従って、あなたをしばらくお泊めしよう。

 路銀に商売の元手もわずかだがお貸ししよう。

 

 そしてあなたも学ぶべきだ。

 次男の教えに従って、我らワークワークの民草にいくらでも尋ねてほしい。

 そうすればいつかイティルの都にも戻れよう。

 さらに三男の教えに従って、嘆いたり不満に思ったりしてもよいが、そればかりに夢中になってはならない。

 幸不幸は我ら人間には量りがたく、ただ神のみぞ知るものである。


【店主の語る「ラクダの分配の話」 おわり】


【ブンドゥクの語る「ワークワーク島の盆の話」に戻る】


 さて、このように店主が諭しただけでなく、何につけ優しく接したので、イティルの商人はやがて元気を取り戻し、ワークワーク島で一旗上げる気になりました。

 数年もすると、彼はワークワークの都に店を独立して持てるようになったのでございます。

 そしてその子孫はイティルに戻り、今は都護兵団に加わっております。

 

 そう、私ブンドゥクめがそうなのでございます。

 私の先祖の商人の逸話のように、価値のない遺産に見えても、それを活かすか殺すかはサルマン将軍の御手にかかっております。

 どうか無駄になさらぬよう。


【ブンドゥクの語る「ワークワーク島の盆の話」 おわり】


 サルマン将軍はやがて可汗になるほどの人物であったから、ブンドゥクの言い分をもっともと思い、自棄を起こしかけた自らを恥じた。

 その後、将軍は見事に銀貨を倍にしただけでなく、学校や病院、浴場に劇場を建てイティルに花満ちるばかりとしたのは、あなたがたもご存知のことであろう。

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