第4話 枝、泥棒、綱

 春はあけぼの、とは言ったものの冷えるものだ。

 日課の早朝散歩で息は白く染まる。

 桜は咲いてない。まだ梅の時期だ。


 紅梅と白梅の咲く公園をゆく。

 いずれも満開で、未だ散るときを知らない。


「見頃だな」


 独りごちる俺に、


「そのようで」


 見知らぬ女性が話しかけてきた。

 実のところ、全く見知らぬわけではない。

 日課の散歩を始めてから数ヶ月して、この公園を通ると見かけるようになった人。

 春夏秋冬、常に独り、目立たない服装にもかかわらず何故か気になる人。

 それが彼女だ。


 しかし何故、話しかけてきたのだろう? 


「おはようございます」


 挨拶をしておく。とりあえずのものだ。


「ええ、だいぶ早いですね」


 彼女は言った。

 しかしさらには言葉を続けない。

 しばしの沈黙。

 俺たち二人は紅白の小さな花の群れを眺めていた。


 ふと、一つの梅に何か結びつけてあると気づく。

 紙……おみくじだろうか。

 しかしここ周辺で、おみくじを引けるような寺社はない。

 妙に気になって、手に取ってあけることとした。


「秋は過ぎにけり

 冬は去れり

 春は来にけり

 夏はまだ遠きにあり


 秋は楓を手折りぬ

 冬は椿を手折りぬ

 春は梅を手折らん

 夏は何をか手折らん


 楓は錦

 椿は鞠

 梅は鈴

 いずれも貴き宝なれば

 夏は何をか得るべきか」


 詩……なのだろう。

 何を意味するのかは不明ではある。


「ああ、花盗みの詩ですね」


 のぞきこんだ女性が言った。


「花盗みの詩? 一体、何なんです?」


 おうむ返しに問うと、


「この辺りの習慣ですよ。とはいえ、廃れかかったものなので、ご存知ないのも仕方ないのでしょう」


 と彼女は答えた。そのまま、ボールペンを持ち出して紙に書き加える。


「夏は綱

 材は麻なり

 撚り合わせること

 十重二十重


 手の首足首

 廻らしめ

 結び締めること

 十重二十重」


 彼女が記したのは上のような詩だった。

 全く意味がわからなかった。

 習慣上、こういったものがあるのだろう。

 しかし、何のために?

 理解しかねていると、彼女は、ふ、と笑って、


「こういう風習です。覚えておかれるとよいでしょう」


 と言い、枝に結びなおすとそのまま去ってしまった。

 何度か呼びかけるも、振り向かず手を振って無言の答えだけ。


 それ以来、その公園で彼女を見かけることはなかった。

 その代わり、ネットのニュースであの女性が直木賞を取ったらしいことを知った。

 

 あとで調べたところ、花盗みの詩には願いを叶える力があるといったような伝承が図書館の郷土資料室で見つかった。

 しかし、肝心の詩の内容などについては記載がなく、あのとき見たものが果たして花盗みの詩なのかどうかはわからないままだ。

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