第41話 それぞれの前夜

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 展示会を翌日に控えた金曜日、おれは展示会の会場設営を手伝うために、ふたたび文化センターを訪れていた。主催者側からも大勢のスタッフが手伝いに来てくれていたので、作業は驚くほど順調に進んだ。

 リョウコと話し合った結果、おれの警備計画案に則ったレイアウトを採用し、それを主催者側を通じてホール担当者へ提出していたので、簡単に現場の位置合わせをおこなっただけで、つぎつぎとホワイエに壁が作られていき、午後一時前にはホワイエの中にもう一つの部屋が出来上がっていた。


 パネルには番号が割り振ってあって、その番号の通りに次々と写真が掲げられていく。写真は主に三つのテーマに分けられていて、展示会場の入口に近い側から、それぞれ「島の自然」「島の生き物」「島の暮らし」となっていた。

 入口に最も近い場所、展示会を代表する写真には、『太古の息吹』とタイトルがつけられた原生林の写真が選ばれた。


『ヒカゲヘゴの落葉跡は彼らの生きた証 いにしえからの命が息づく森』


 写真に添えられたキャプションもリョウコが考えたものだ。

 このキャプションは写真の大小に関わらず、すべての作品に添えられていた。

 展示された写真を一通り眺めていたおれは、ある写真の前で足を止めた。


『集落の威信をかけた熱い戦い トップの座は譲れない』


 『激闘』とタイトルのつけられたその写真は、大きな板に六人が足をかけて、息を合わせて進んでいく「ムカデ競争」を撮影したものだった。

 その写真が面白いと思ったのは、その中の一チームの六人全員が、マイケル・ジャクソンの「ゼログラビティ」のように、体が45度ぐらい前傾していたことだ。

 どうやら、バランスを崩して倒れる瞬間をシャッターにおさめたらしい。


「その写真は、地元の新聞にも取り上げられたの。ほら、ここにマコトさんの妹さんのハルちゃんも写ってるの」


 リョウコが指さしたのはその転倒しかけているチームの前から二番目だった。集団で写っている写真なので、そういわれなければ気付かったけれど、確かにハルナが写っている。


「先頭の子がバランスを崩して倒れそうになって、それをハルちゃんが手を伸ばして支えようとしたんだけど、急に前傾したハルちゃんにつられて後ろの子もバランスを崩して、結局、全員がドミノ倒しみたいになっちゃったの」


 リョウコは写真を撮った瞬間のことを、くすくすと肩を揺らしながら話していた。


「競争には負けちゃったし、彼女たちには悪いなとは思うんだけど、実はわたしのお気に入りの写真なの。それに、ハルちゃんが手を伸ばして前の子を助けようとしてるのが、あの子らしい優しさがあって好きだなって」


 そういわれると、確かに手を伸ばして助けているようにも見える。

 おれはこらえきれずに地面に手をつこうとしたのだと思っていた。たった一枚の写真であっても、どう感じるのかは見え方によって違うものだ。そういう意味でいうならば、リョウコの写真に彼女なりの言葉で説明が加えられているというのは、見る側からするとわかりやすくていい。


 その後、二時間ほどで準備はおわり、細々とした作業を残すのみとなった。

 リョウコとふたりで最終的なレイアウトについて話をしていると、展示会場の入り口の方から「こんにちは」と品のある声が聞こえてきた。


「マコトさん!」


 リョウコはマコトの姿を見つけると、少女のような声をあげて駆け寄り、彼女の手を両手で握りしめてぶんぶんと揺すった。


「リョウコちゃん、久しぶり。最近、大活躍じゃない」

「ありがとう。でも、マコトさんがいなかったら、わたしこの島で一人で写真家としてやっていけなかったと思うんだ」

「もう、大げさね。でも私もリョウコちゃんの活躍は、自分のことのように嬉しいわ」


 飛びつかんばかりの勢いのリョウコに、マコトは喜色と困惑の入り混じった表情を浮かべている。ハルナとは違うタイプの妹にじゃれつかれているみたいだ。

 すると、マコトは傍らに立つおれに視線をおくった。


「アキオさん、明日の展示会、リョウコちゃんのことよろしくお願いします」


 いわれるまでもなく、そのつもりだが、マコトにそういわれて俄然やる気が出る。なんなら、脅迫犯だって捕まえられそうな気さえしている。おれは実に単純なのだ。


「そうだ、マコトさん。今時間ある? せっかくだから写真、見ていってよ。明日じゃゆっくり見ていってもらえないだろうし、それに、なにか意見をもらえたらありがたいから」


 リョウコはそういうとマコトの手を握ったまま、やや強引に展示会場の中へと連れていった。


 一人になったところで、おれは明日の警備のイメージをしてみることにした。

 展示会場内は見通しが利くように平行にパネルを設置してあるので、受付テーブルを会場内にむける形に設置すれば、受付をしながら監視もできる。

 次に二階席に続く階段をのぼる。ここからはホワイエのパテーション内の様子が俯瞰でき、実際に今もリョウコとマコトの姿がはっきりと確認できる。

 死角は階段下の一階通路だが、客席はともかく舞台袖の出入りは主催者が監視しているから、問題ない。これならおれを含めて五人もいれば、脅迫犯も簡単には手が出せないだろう。


 二人が展示を見て回っている間に、おれはいったんトイレに入った。美女と行動しているときはトイレのタイミングを失いやすいので注意が必要だ。


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 おれが戻ると、二人はホワイエを出て、管理事務所前のベンチに座って話し込んでいた。リョウコはマコトが持ってきたらしいステンレスボトルのカップを包み込むように持っていて、そこからはうっすらと湯気が立ち上っていた。マコトは歩み寄るおれに気づいてにっこり笑う。


「アキオさんもコーヒー、飲みますか?」


 会場の設営もほとんど終わっており、あとは散らかった段ボールなどを片付ければ今日の作業は終わりだったので、おれはうなずいてマコトの隣に腰を下ろした。

 マコトは持ってきていたエコバッグの中から紙コップを取り出すと、ボトルからコーヒーを注ぎ入れる。ふわりと香ばしいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。ひとくち飲むと、いつものマコトのコーヒーの味が口の中にひろがり、ほっと小さなため息がもれる。


「おれたちは片付けたらここを出るつもりだけれど、よかったら店まで送ろうか?」

「いえ。この後、少しお買い物してから戻るつもりなので」

「ヒメコが留守番か?」

「ええ、最近では朝の仕事も手伝ってくれるから助かってるの」


 視線をマコトのむこうに座っていたリョウコにむけると、彼女はコーヒーを飲み終えてカップをマコトに返すところだった。


「リョウコは仕事場に戻るのか?」

「ええ、いったんスタジオに戻るわ。明日の開演は十時からだけど、八時過ぎにはここにきているつもり。アキオさんは九時ごろに来てもらえたら大丈夫よ」

「わかった。じゃあ、これ飲んだら片付けて今日はあがろう」


 おれは残ったコーヒーを飲み干すと、ベンチを立って紙コップを自販機横のゴミ箱に突っ込む。


「マコト、ごちそうさま」

「どういたしまして。アキオさん、あとでお店に来られますか?」

「ああ、そうするよ」


 マコトはにっこりと微笑んで「では、お待ちしていますね」といってボトルをエコバッグにしまうと、すっと立ち上がりリョウコに手を振って文化センターを後にした。

 おれとリョウコがホールを出たのはそれから十五分程してからだった。ちょうど巡回に来た文化センターの職員がホールの正面扉に鍵をかけて戸締りをしてくれた。


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 駐車場でリョウコと別れたおれはいったん事務所に戻り、明日の手伝いにきてくれる予定のワタルや他の連中にも連絡をつけ、おおよその警備についての説明をした。

 正直、不安がないわけではないが、自信がないということもない。出たとこ勝負ではあるが、おれはそういうギリギリのところを渡り歩いてきた自負もある。

 事務所を出て階段を降りたところで、店から出てくるヒメコとばったりと出会った。彼女は定時制の夜間高校に通っているので、今から登校するのだろう。


「あ、アキオ。なに、今からお店行くの?」

「ヒメコはいまバイト終わったのか。ということはマコトが帰ってきたのか」

「来るならもう少し早く来てくれたらいいのに! あたし、学校あるからもう行くね!」


 そういってヒメコは店の前の階段を勢いよく駆け下りていく。本当に彼女はお客さんには評判がいいのだろうか。この店の雰囲気を壊してるんじゃないかとちょっと心配になる。


「あ、そうだ! アキオ、明日頑張ってね! あたしも昼にはいくつもりだから!」


 階段の踊り場のところで、ヒメコはこっちをむいて大きく手を振っていた。それに小さく右手をあげてこたえる。

 あんなじゃじゃ馬娘だけど、頑張って、といわれるとやはり気力が湧いてくる。マコトとは別の意味で評判がいいのかもしれない。


 金曜日の夜らしい魅惑的なスムースジャズの流れる店内に馴染みの客はいなかった。二時間ぶりのマコトに挨拶をしてカウンター席に座り、いつも通りに焼酎をオーダーする。酒のあてにツワブキと豚軟骨の小鉢が差し出された。


「コウジは来てるものと思っていたけど、今日は来てないのか」

「明日がシンポジウム当日なので役所関係の人はお仕事があるのでしょうか?」

「コウジの保護課までかり出されてるのかな? おかみが来るというのは、大変なことなんだな」

「その点、私たちは気楽ですね。ああ……でもアキオさんは脅迫事件の真相を突き止めないといけないのでしたね」

「そうだな。でも、なんとかなるとは思ってる」


 気づけばおれのグラスが空になっている。マコトがおかわりをきいてくれたので、もう一杯頼むことにした。


「でも、アキオさんも年明けから働きづめでお疲れじゃないですか? もしよかったら、あとでハーブティーを入れましょうか? 最近、商店街にハーブティー専門店ができて、すっかりはまってしまってるんです」


 マコトはジャム瓶ほどの大きさの蓋つきのガラス容器をいくつか掲げて見せた。その中にはおれも聞いたことがあるハーブの名前が貼りつけてあった。


「けっこう種類があるんだな」

「何種類かブレンドするんです。ハーブによって効能も変わるんですよ」

「じゃあ、マコトのおすすめのブレンドをもらおうかな」

「はい!」


 マコトはぱっと顔を輝かせて声を弾ませた。マコトがときどきみせるこういう無邪気さは彼女の数ある魅力のひとつだと思う。もっとも、彼女の魅力をあげれば枚挙にいとまがないのはいうまでもない。


 結局この日はコウジはあしびばには現れなかった。おれはそのあともう一杯だけ焼酎を飲み、帰り際にマコトの淹れてくれたオリジナルブレンドのハーブティーをごちそうになって帰ることにした。

 マコトいわく「リラックスしてお休みいただけるブレンドにしました」らしい。今日はしっかり休んで、明日に備えなくちゃ。

 おれはいつもよりも三十分はやく目覚ましが鳴るようにタイマーをセットして、すぐさま深い眠りの海の底へと沈んでいった。マコトのハーブティーは効果てき面だった。

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