第40話 反対派
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現場でリョウコとの簡単な打ち合わせを終え、この日の仕事の依頼主でもある野生生物研究所の宮崎さんのもとへむかった。
この島には生物学的にも貴重な固有種が数多く存在する。一方で、それらの希少野生生物の多くは絶滅の危機に瀕している。宮崎さんたちはそうしたこの島の希少生物を調査、保護増殖する事業に取り組んでいて、以前にもマングース捕獲作業などで一緒に仕事をしている。
この日の依頼はモニタリングの手伝いで、アマミノクロウサギの生態調査だった。
おれは宮崎さんとペアとなり、川沿いの林道へと分け入っていく。夏場の手伝いと違い、冬場はハブの心配が少ないのはありがたい。
この島の森は常緑樹が多く、冬場でも深い緑が枝葉を広げている。その梢から差し込む日差しが、落ち葉の積もる林道に揺れていた。
「宮崎さん」
おれは前をいく彼の背中に呼びかける。
「どうした、
「来週、世界遺産登録のプレゼンテーションがあるんだけど、知ってる?」
「もちろん。
「そこでリョウコっていう写真家が写真展を開催することになっているんだ」
「へえ、リョウコちゃんが。彼女は
そこまでいうと、宮崎さんは振り向いて、後ずさりで歩きながら言葉を継いだ。
「正直なところ、
意外だった。彼らはこの島の環境保全のために懸命に働いている。世界自然遺産として認められれば世界的に認知度も上がるし、彼らの活動も注目を浴びることは間違いないと思っていたからだ。
「自然遺産登録がされれば、保護活動に目がむくことは期待ができる。じゃが、世界自然遺産に登録されたからちゅうて、希少生物の生存数が増えるわけやあらん。こんなことをいうと、環境省に怒られるが、これまでとなにも変わらん。世界遺産だから保護しましょう、ちゅう大義名分がつくだけじゃ」
「でも、注目をあびれば、この島への観光客の増加にもつながるし、島の経済だって潤うんじゃないのか?」
「観光客が増えたとして、やつらはなにで移動すると思う。島の交通インフラは十分じゃない。となれば必然的に自動車の交通量が増える。野生生物の多くは交通事故で死んどるんど。それに、島にやってくる者全員が島や野生生物に対して好意的とは限らん」
宮崎さんは唇を引き結んで、厳しい表情を作った。
「大澤くんにこんなことをいうのも気が引けるが、外から来た連中のなかには、密猟や盗掘をするやつらがいる。そういう悪意ある訪問者が大挙すれば、
おれはそれ以上いい返すことはしなかった。宮崎さんのいい分はもっともだった。
確かに、この広大な原生林は、人類が守るべき自然であることはいうまでもない。しかし、彼らは世界自然遺産に認められようが、そうでなかろうが、理念と使命感を胸にこの自然を守り抜いてきたわけで、お祭りムードで一喜一憂しているわけじゃない。
結局この日、おれは宮崎さんに来週の写真展での協力を依頼することはできなかった。
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「あ、アキオ。いらっしゃい」
ウィンドチャイムの音に反応してカウンターからこちらに目をむけたのはアルバイトのヒメコだった。そういえばこいつに会うのも久しぶりのような気がする。
あしびばの店内は初出勤を終えて、アフターファイブを楽しむ仕事人たちで賑わっている。おれはカウンターチェアに腰を掛けると焼酎をオーダーする。もちろん、島の特産品の黒糖焼酎だ。
「あけましておめでとう、ヒメコ。学校は?」
「まだ冬休み中。あ、マコトさんなら出かけてるよ。もうすぐ帰ってくるとは思うけど」
そういってヒメコはおれの前にコースターをおいて、焼酎の入ったグラスを差し出す。この島の海のような青いグラデーションの琉球グラスだ。
「働き始めたときはどうなるかとも思ったけど、すっかり板についてきたな」
「アキオに褒められるとすごく嘘くさいんだけど」
ヒメコは眉を寄せてしかめ面を作ってみせた。まあ、おれも別に褒めたつもりはないけど。
それでも、一人でこの店の留守番を任されるようなったということは、彼女はマコトの信頼に足る仕事をしているということだ。おれが褒めてやる義理も必要もないが、すごいことだとは思う。信頼はなににも勝るステイタスになりえる。
と、そのとき来客を知らせるきらきらとした音色が店内に響く。マコトが帰ってきたのかと思い振り返ったおれは、がっかりして盛大にため息をこぼした。
「よう、アキオ。朝以来だな」
手を挙げているのはコウジだった。一日に二度、こいつと顔を合わせるのは珍しいことではないが、この胸にぽっかり空いた喪失感。やつの罪は重い。
コウジは呼んでもいないのにおれの隣にすとんと腰を下ろすと、ヒメコに年始の挨拶をして焼酎をオーダーする。
「どうだ。調子のほうは」
「朝からなにも変わってない。現地の下見もしたけれど、会場は部屋じゃなくてホールのホワイエだった」
「オープンスペースだし、展示系のイベントでは結果的に盛況になるからな」
「今回の場合はそれがあだになる。不特定多数の中から犯人をあぶりだすなんてのは至難の業だからな。一応、下見をしてレイアウトを考えてみた。最終的にはリョウコに決めてもらって主催者側に伝えてもらうつもりだ」
「ねえ、なんの話してるの?」
ヒメコがコウジに焼酎を差し出しながら話に割り込んできた。
「来週のリョウコの写真展のこと。コウジに頼まれて手伝いをするんだよ」
ヒメコには例の脅迫の話は伏せておいた。高校生の彼女にはまだ刺激が強すぎるし、彼女ひとりで勝手に盛りあがって、おれの作戦が水の泡になるのも癪だからだ。
「リョウコさんの写真展、確か来週の土曜日だったよね」
「知っているのか?」
おれの質問にヒメコは「うん」とだけうなずいて、ポケットから小さな手帳を取り出し、ページをめくった。
「あ、来週の土曜日は朝シフトかあ。昼からならいけるかな」
独りごとのように呟いてページを閉じると、ヒメコは唐突にいった。。
「運動会の写真を撮りに来てるの」
「なにが?」
「なにが、って。リョウコさんのこと。アキオがきいてきたんでしょ?」
ヒメコはあきれたように肩をすくめる。確かにきいたが、豪快にスルーされたと思ったんだが、相変わらず人のペースを乱すやつだ。
「運動会って学校の?」
「いや、地区の運動会だろう」
おれの疑問に答えたのはコウジだった。
「この島は小中学校だけだと生徒の数が少ないから、地域住民もまきこんだ運動会をするんだよ。ヒメコがいうのはその地区運動会のことだろう」
「そう。リョウコさんって結構人気あるみたいで、いろんな地区から呼ばれての運動会の写真を撮ってるみたい。地元の新聞でも時々写真を使われてるの見るもの」
「まさか!」
「本当よ」
ヒメコがムキになって反論したので、グラスを片手におれは首を振った。
「おれが信じられないのは、ヒメコが新聞を読むってことだ」
「なにぃー!?」
おれの脳天に手刀による一撃があざやかにヒットした。おでこを押さえてうずくまるおれに、飄々とコウジがいう。
「ところで、アキオの考えている会場のレイアウトを教えてくれないか。もしかしたら、準備に俺もかりだされるかもしれないから」
「お前の勤めてる役所、部門間の壁が薄すぎないか?」
「まあな。それで、アキオはどう警備をするつもりなんだ」
おれはホルダーからペーパーナプキンを一枚抜いて広げる。そこにボールペンでさっと横長の長方形を走り書きをして、その中心に一定の間隔をあけて小さな四角形を横方向に書き込む。ちょうど園児が描くバスのような図形だ。
「これがホワイエだとして、左下が入口。上のほうがホール側だ」
「なら、上辺はホール二階後方扉への階段になるな」
「ああ。ホワイエの真ん中には横一列に柱がある。その柱の間にパネルを設置することで、ホワイエ内に疑似的に部屋を作り出し、展示会場への出入りルートをある程度絞る」
おれは長方形の真ん中あたりに書き込んだ四角形の間を結ぶように、水平方向に直線をひいてみせた。
「ホワイエを壁で囲むってことか」
「そう。そして、この柱の間に設置するパネルのラインに平行するように、すべてのパネルを水平方向に設置するんだ。そうすることで、より少ない人数で展示会場内の警備ができる。さらに、会場がホワイエであるメリットを生かす」
そういっておれは横長の長方形の上辺をとんとんとペン先でノックする。
「階段か」
「そう、階段の上からなら、展示会場内を俯瞰できる。妙な動きをする奴がいれば、連携して即座に封鎖できるって寸法だ」
コウジはなるほど、と小さく唸るようにつぶやくと、腕組みをして背もたれに体重を預けた。普段ふざけた態度をとっているから、真剣になる瞬間がわかりやすい。やつの頭の中でも当日の状況がシミュレートされているに違いない。もちろん、なにも考えていないという可能性も捨てきれないが。
一刻の間をおいて、腕組みをほどくと「いいんじゃないか」とコウジはいう。
「犯人がどういう行動にでるのか予測がつかない以上、相手の行動を制限していくのは得策だな」
「リョウコにも確認してみたけど、あれ以来、脅迫犯からの直接のコンタクトはないみたいだし、犯人がどこまで本気で妨害しようとしているのかはわからないけれど」
おれは焼酎のグラスをひとくちあおる。氷が溶けて程よく味が馴染み、ちょうど飲みやすい頃合いだった。
「あと反対派の動きにも注意しておくほうがいいと思うぜ」
「反対派? 世界遺産登録の?」
コウジの言葉におれは宮崎さんがいったセリフを思い出す。この世界遺産登録が、島にとって本当に正しいことなのか、おれ自身もわからなくなっていた。ただ、依頼を受けた限りはなにがなんでもやり通す。それがおれのモットーだ。
「忠告ありがとう。ところで、おまえはどっち派なんだ?」
「おれか? まあ、賛成だ。組織ってのはそういうところだからな」
そういってコウジはグラスの焼酎を飲み干すと、ヒメコにお替りを注文した。このあと、マコトが帰ってくるまでに、おれたちはお互いの仕事のことなど忘れてすっかり上機嫌になっていた。
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