第39話  現地調査

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 事務所から新港の近くの文化センターまではスクーターで五分ほどの距離だったが、海沿いを吹く風の刃はハンドルを握るおれの身体を容赦なく切りつけて、体温を奪っていく。もう少し厚手のコートを着てくればよかったと後悔したものの、今更引き返すのも面倒だったので諦めてそのまま文化センターへとむかう。


 この島では一番大きなホールを有する文化センターは、大きな直方体をいくつも並べて積み上げたようなデザインで、その天辺にはこれまた直線的な四角錐屋根がとんがり帽子のようなシルエットを描いて並んでいた。


 駐輪場にスクーターを停めると、両手で自分の腕を抱くように体を縮こませてながら、足早に正面入口へと回り込む。中に入ると天井の高いエントランスホールは空調が利いていて、冷えたおれの身体にはちょうど良い暖かさだった。

 ロビーの片隅にある管理事務所の小さな窓をノックして、事務員に声をかける。


「来週の世界遺産関連の写真展の下見なんだけれど、今日は現場の見学ってできる?」

「ちょっと待ってください」


 近くにいた事務員が予約表を確認する。

「えーと、展示会場はホール前のホワイエですね。今日は利用がないから自由に見ていいよ」

 彼が指差した方を振り返る。大ホールは別棟にあるようで、このガラス張りのエントランスホールを一度出る必要があった。


「わかった。ありがとう」

 回れ右をし、エントランスを出て、大ホール入口のガラス戸に手をかけた時だった。

「アキオさん!」

 どんよりと曇った冬空とは正反対の明るい声が耳に届いた。振りむくと駐車場から手を振って駆け寄ってくるリョウコの姿があった。


「おはようございます。どうしたの、こんなところで?」

「現場の下調べにね。リョウコはこれから打ち合わせ?」

「はい、展示会場に持ち込むものとかパネルのサイズの確認とか、役場の担当者さんと一緒に。打ち合わせまでまだ時間があるから、もしよかったら、わたしもついて行ってもいい?」

「ああ、そうしてくれたら助かるよ」


 おれがうなずくと、リョウコは笑顔を作った。

 大ホールの前は天井の高いホワイエになっていて、ここが当日の展示会場らしい。

 入口からむかって左手側がホール客席になっており、壁面に沿ってホール二階席後方の扉へと通じる階段が、翼を広げた鳥のように左右へと伸びている。ガラス扉からすぐ左の通路はは一階席前方と、さらに奥の扉が舞台袖へ通じている。ホワイエのいちばん奥、ホールにむかって右側にも同じく客席への通路があるが、そちらは舞台袖にはつながっていない。


 展示会の現場を一通り見て回ったおれは、ため息をついて二階席へとつながる階段を仰ぎ見た。


「なにか、問題がありそう?」

「予想していた会場とはずいぶん違ってた。展示会場は独立した部屋だと勝手に想像していたんだ。それならば部屋の入口と、そこへつながる通路の出入り口を封鎖すれば、万が一その展示会場内でトラブルが起こっても対応しやすいし、警備の人数もさほど必要ないからな。ところがこのオープンスペースはちょっと厄介だな……ちなみに、リョウコのほうにはあれ以来、犯人からの連絡はあった?」

「いえ」


 おれは小さく息をついて腕組みをする。当日の状況を頭の中に思い描きながら、リョウコに説明をする。


「世界遺産登録のシンポジウムが行われるのはホール内だ。その講演を聞きに行く人は全員がこの場所を通る。開始前や、講演会後などは人でごった返すかもしれない。そんな中で、展示会の妨害がおこなわれたら、発見が遅れて犯人を特定できなくなる可能性が高い」

「でも、それだけ多数の人がいれば犯人も容易に手を出すことはできないんじゃない? そんな人の目があるなら、無茶な行動をするとは思えないけど」

「そうでもない。案外、人というのは他人の行動に無関心なものなんだ。ついこの前、沖縄の世界遺産、守礼門に油をまかれる被害があっただろう? あれだって夜間ではなく、観光客がたくさんいる日中の犯行だったんだ。京都や奈良で起こっている事件も同様。つまり、その程度の無茶くらいなら誰にでもできるってこと」


 リョウコは得心がいったように大きくうなずいた。


「なるほど、確かにそうかも。もしかしたら、今回もその世界遺産荒らしの人たちの仕業かもね」

「まあ、いろんな可能性を念頭に置くべきだろうとは思うけれど、どうかな」


 おれの考えはそうではなかったが、まだその考えを披露するにはあまりにも材料が足りなさすぎる。それよりも、せっかくリョウコがいるので、先に当日のイメージを確認したほうがいいだろう。


「今回は何枚くらい写真を展示する予定なの?」

「五十枚よ。一番大きいものはA2サイズだけど、それは例のポスターに使われたものと、協議会が選出した四点の合計五枚。残りは大きくてA4サイズ、小さいものだとL版のものや名刺サイズというのもあるわ」

「それをここにどう展示するの?」


 おれがたずねるとリョウコはホワイエの中央まで進み出て、両手を広げて見せた。


「このくらいの幅の展示パネルを並べて壁を作ります。今回はパネル一枚につき、B4サイズの額縁を二枚ずつ並べるんです」

「写真のサイズはA4なのに、額縁のほうが大きいの?」

「ええ、写真をより美しく見せるために、ぴったりのフレームに入れるのではなく、マットと呼ばれる厚紙に写真サイズの窓を作って、それを重ねるんです。マットがあるのとないのとでは写真の見栄えが全然違うんですよ」


 そういえば、ときどき訪問する介護施設なんかのロビーにかかっている額縁も、真ん中に絵があって、その周りは空白になっていたような気がする。いわれるまで気づかなかった。おれは空間における芸術的センスが足りないのかもしれない。


「だけどリョウコ、普通は写真のサイズって四つ切とか六つ切りじゃないのか? おれが知っている限りだと、たしかA4サイズだと横幅がかなり余るはずだ」

「たしかに、写真のサイズをそのままA4サイズにはできません。上下を切るか、左右が余ることになります。でも、今回わたしはあえてA4サイズにリサイズしたんです」


 そういうと、リョウコはしたり顔で腰に手を当ててみせた。つまり、このA4サイズの写真というのが今回の展示会でのなんらかの鍵になるということか。


「さて、どうしてわたしはこのサイズにこだわったのでしょうか!?」


 突然クイズが始まった。けど、そういうのは嫌いじゃない。A4にこだわったということは、いい換えればA4にするメリットがある、ということだ。A4というのはオフィスペーパーでも使われる、もっとも普及している紙の規格だ。ということは……


「A4サイズにすることでコストが落とせる」

「ぶー!」


 リョウコは口をとがらせ、憎たらしい声をあげてくすくす笑う。


「それじゃあ、パソコンでプリントできるようにだ」

「うーん、近いけれど違います!」

「じゃあ、正解は?」


 もったいぶったように「えー、もう正解発表するんですか?」と笑ったけれど、おれが手を広げて肩をすくめて見せると、リョウコはポケットから取り出したスマホを操作して、その画面をおれにむけた。そこにはなにやらアルファベットと数字の羅列が表示されている。規則性があるようではなさそうだ。


「これはなにかのパスワード、もしくはID番号か?」

「そうです。アキオさんは、ネットプリントって知ってる?」

「ネットプリント? インターネットでプリントができるってこと?」


 とりあえず言葉の意味で類推すればそうなる。どうやら正解だったらしく、リョウコは大きくうなずく。


「ネットプリントはサービスに登録した写真のID番号を、コンビニの印刷端末に入力すると、そこでプリントできるの。実は、今回展示する作品のほとんどにこのネットプリント番号を表示するつもりなんです。だから、気に入った作品があれば、全国のコンビニで自由に印刷ができるの」

「それって、リョウコに手数料ははいるの?」


 リョウコは首を振った。


「料金は印刷代金だけ。でも、わたしの今回の目的は、この写真を販売することじゃないから。この島の景色が、文化が、生き物がこんなにも素晴らしいんだって、全国の人に届けたいの。写真展に来れない人にも、気に入った作品を手元に置いてもらえるようにする。そのためのA4サイズ写真なんです」


 そういって微笑むリョウコを見て、いつかマコトがおれにいった言葉が脳裏をよぎった。マコトがリョウコとおれが似ているといったのは、きっと、リョウコもおれと同じで、ずいぶんとお人よしだってことだ。

 もちろん、お人よしのおれは、なにがなんでも、この展示会を成功させなきゃいけないと決意をしたんだけどね。

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