第37話 手伝いの手伝い

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 リョウコは展示会に出展する予定の写真をたくさん見せてくれた。青く光る穏やかな海、雨に煙る深い緑の森、躍動感溢れる島の生き物たち、そしてこの島の人々の穏やかな笑顔。

 そのどれもが島の魅力をよく表現できていて、何度も感嘆のため息がでた。


「リョウコはどうしてこの島で写真を撮ろうと思ったの? ホームページの最初のページの言葉を借りるとするならば……」

「なにもかもを東京においてきてまで?」


 リョウコは少しだけ翳のある表情を浮かべた。そしてすぐに、照れ笑いを浮かべてその澄んだ目を三日月のように曲げた。


「まだだれも撮ったことがない、この島の写真を撮りたいって思ったのかも。わたし、案外負けず嫌いだから」

「リョウコはこの島の一番美しい瞬間を切り取る才能があると、おれは思うよ。まあ、素人のおれがいっても説得力もなにもあったものじゃないけれど」

「ううん、ありがとう。そういってもらえたら嬉しいな。わたし、東京では報道カメラマンをしていたの」


 リョウコは手元にプリントアウトした写真を集めて、それらを一枚一枚確認するように仕分けをしながらいった。


「それってニュース番組とかの?」

「主に新聞。でも、ある日、偶然、交通事故の現場に遭遇したんです。カメラマンにとってスクープ写真というのは、なにがなんでも手に入れたいものだった。だから、わたしはその事故現場にカメラをむけたんですけれど、その瞬間、わたしは今どうしてファインダーを必死に覗き込んでいるんだろうって思ってしまって……

 目の前に、今まさに生死の境をさまよっている人達がいる。一秒でも早く助けなくちゃいけないというときに、わたしはこのファインダー越しの世界でなにを伝えようとしてるんだろうって……この写真が世に出るときにはすべては過去の出来事になっているというのに……」

「それで、仕事の意味を見失って報道カメラマンをやめてこの島に来たってこと?」


 おれの問いかけにしばらく考え込んでから、まるで観念したように眉尻を下げてかすかに笑う。


「ううん、単に自分の仕事から逃げ出しただけ」

「じゃあ、おれと同じだな」


 おれの返事にリョウコはその涼しげな目を瞬かせた。


「知っているだろうけど、おれも事故でユイというパートナーを失って、Reveとして活動ができなくなった途端、負け犬のように事務所やファンのみんなから逃げ出したんだ。それでも、この島はおれのことを受け入れてくれた。そんなおれだから思うんだ。リョウコはいい選択をしたと思うよ」


 リョウコは潤みのある瞳をむけ、

「やっぱり、アキオさんにお仕事をお願いしてよかった」と口の端を持ち上げた。


「とりあえず、今度の展示会でなにを手伝えばいいのか、もう少し詰めた打ち合わせをしようか?」

「はい。でもその前にひとつ、相談したいことがあるの」


 リョウコはすっと笑顔を引っ込めて真剣な表情を作ると、立ち上がって引き出しの中からなんの変哲もない茶色い封筒を取り出してきた。長3の定型封筒で、表書きには印刷の文字で芳原涼子様とだけプリントがされてあり、切手が貼られていた形跡はない。


「中を見てもらえる?」


 すでに封は一度切られており、中には印刷面が内側に来るように巻三つ折りになった紙が入っていた。紙を取り出しそっと三つ折りを開くと、そこには印刷された明朝体の文字で大きく、

『個展を中止しろ』

 とだけ書いてあった。

 はっとしてリョウコを見遣ると、彼女は困り顔で肩をすくめていた。


「これって、やっぱり脅迫状っぽいよね」

「いや……」


 もう一度その紙に視線を落としておれは小さく首を振る。不思議そうに首をかしげておれを見つめていたリョウコに、はっきりといった。


「脅迫状っぽいんじゃない。これは脅迫状だ」 


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 脅迫状には個展を中止しろの文言以外、差出人も目的もなに一つ記載されていなかった。用紙はどこにでも売っていそうなA4サイズのコピー用紙で、ここからはなにひとつ手掛かりがつかめそうもない。


「これが届いたのはいつ頃?」

「一週間ちょっとほど前、ちょうどクリスマスの時期だったと思う。市内に撮影の仕事にいったあと、戻ってきて自宅の郵便受けを覗いたらこれが入っていたの」


 クリスマス前ということは、リョウコがコウジに依頼をしたときにはすでにこの問題を抱えていたのかもしれない。

 コウジが「お前がいいんだよ」といった理由がなんとなく見えてきた。おれになんとかしろということだ。


「こういうことをする人物に心当たりはある?」

「どうかな……この島に来たときには、多少厳しいことをいわれたことはあったけれど、今はほとんどそんなことはなくなったし……」

「ということは、犯人のあてはないんだな」


 リョウコはうなずいた。

 心なしか胸の中が重たくなった。


「警察には相談しているの?」

「一応、相談はしたんだけど、明確な殺害予告というわけでもないし、警戒をしますということと、心配ならば今回の展示会を延期してはどうかということだけで……」

「そうか……」


 おれの声のトーンも自然と下降線を描く。展示はイベントの一環だから、リョウコの一存で中止や延期ができるものでもないだろう。

 でもまだすべての手がなくなったわけではない。

 おれはスマホを取り出すと、画面に地域部巡査のわたりわたるの電話番号を呼び出す。嘘みたいな名前だが、本人はこの名前を大いに気に入っているらしい。一度きけば決して忘れられないだろう? とはワタル本人の言葉だ。


 通話ボタンを押そうとしたところで、ふと思いとどまる。よく考えれば今は元日の朝だ。こんなときにおれの相談ごとを持ちかけるのは、あまりに気が引ける。とはいえ、こんな相談ができるのはワタルのほかにはいない。

 おれは、心の中で一度だけ、すまんと頭を下げて電話番号をコールした。


『よう、アキオか』

 野太い男の声が電話口に響く。正月早々の電話にむっとしている様子もなく、まずはほっと胸をなでおろす。


「あけましておめでとう、ワタル」

『珍しいな。ナンお前が正月の挨拶ばするちゃ初めてど』


 おれは開き直ってワタルに今回の仕事のこれまでのいきさつを簡単に説明する。


『なるほどな。ナンお前ワンおれに働きかけば、してもらおうち考えとるなら、力になれん。事件性も低いし、せいぜい警戒を強化するちゅう程度じゃ』

「やっぱりそうか。他になにかいい知恵はないか?」

『展覧会の妨害ができんようにに警備員を配置するなり、犯人に犯行を思いとどまらせることじゃや。会場内に常に監視の目があれば、手を出しづらくなる。ナンお前の人脈をフルに活用すれば、ある程度の人員を確保することもできるんじゃないか』


 ワタルは今回の問題への対応策を教えてくれる。こういう部分はやつが地域で信頼を得ている大きな理由なのだろう。ただ、ワタルの提案に気になる点がいくつかかるのも事実だった。


「個展を中止しろってだけで犯人の意図がわからないんだ。それを無視したとして相手がどんな手段に出てくるかすらわからない。犯人が過激な思想持っているなら、危険を伴うことだって十分ありえるだろう? 警備を手伝ってもらうといっても、リスクがある」

『もちろんリスクはあるが、ナンお前だって今までいろんなリスクを背負って、それでも無償タダで手伝ってきてやっただろや。

 なに、ナンお前はただ、ありのままに困ってるから助けてくれといえばいいんど。やるかやらんかは相手が決めることじゃ。したらば、練習じゃ』

「練習? なんの?」

『助けてくれという練習に決まっとる』


 おれは電話口で眉間を寄せながら「今おれがいうのか?」とワタルにいうと、さも当然だといわんばかりに『おう』と短い返事が返ってきた。おれは半ばあきれながら「来週の土曜日、人手が欲しいんだ。手伝ってくれないか?」と棒読みの台詞のようにいうと、ワタルは耳が痛くなるような大声で馬鹿笑いをした。やつに遊ばれたかと思いむっとした瞬間、ワタルがいった。


『おう、まかしとけ』


 まったく、素直に引き受けてくれればいいものを。と、胸の中では悪態をつきつつ、顔に熱がこみ上げるのを感じていたおれは、電話を手にしたままリョウコを一瞥して、なんとかなりそうだ、と目線で合図を送ってみせた。

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