1フレームの真実
第34話 四角の世界
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クリスマスを翌日に控えた午後。
事務所からほど近いアーケード商店街では、『歳末大売出し!』と勢いのある文字で書かれた真っ赤な
豪華とはいいがたいながらも、店先に飾り付けられたクリスマスツリーやイルミネーションを眺めていると、今年も残すところあと一週間なのか、と妙に感慨深くなってしまう。
この島は赤道直下の常夏の楽園とは違い、冬になるとそれなりに寒い日もある。とはいえ、本土から移住したおれからすれば、冬場でも十分温かく、日中はジャケットを羽織るだけでこと足りる。
夏にはダイビングや海水浴客でにぎわう市内のホテルも冬場はどこか寂しげだ。
通りに面した老舗ホテルのレストランも、年が明けて一週間もすれば、すっかりひと気がなくなってしまう。
けれど、この日の商店街には、どこかそわそわとした浮ついた空気が漂っていた。
というのも、この後一時間ほどすると、この商店街からも近い名瀬港に、巨大クルーズ船が寄港する予定だったからだ。
午後三時に到着した船は、歓迎セレモニーを受けたあとしばらく停泊し、夜の十時ごろに次の目的地に向けて出発するのだが、乗客はその間、自由に島を観光することになっている。
一度に千人もの観光客がやってくるとあって、商店街や飲食店は気が気ではない様子だ。
よく冬場の南の島には魅力がないんじゃないか、と思う人がいるかもしれないが、おれは冬でもこの島にもいろんな魅力があると思っている。
例えば、冬場はハブの心配が少ない上に、日差しが穏やかで山歩きがしやすい。奄美の山には、マニア垂涎の貴重な固有動植物も多い。
あとはやはり空の美しさだ。湿度が低くからりと晴れた夜に空を見上げれば、吸い込まれてしまいそうなほど深い黒に散りばめられた宝石のような煌めきに、宇宙がこんなにも近くにあったんだって、きっとそう感じてもらえると思う。
まあ、おれのこの拙い言葉でこの島の魅力をすべて伝えようというのは、正直いって無理な話だ。おれがどんなに言葉を積み上げたところで、たった一枚の写真の力には到底敵いそうもない。
なぜそんな話をするのかというと、いままさにおれの目の前にあるポスターがあまりにも美しかったからだ。
商店街の掲示板に張り出されているクリスマスイベントや、文化ホールで開催される市民オーケストラの案内と並んで張り出されているB2サイズのポスター。
その四角い世界には、コバルトブルーとエメラルドグリーンの織りなす鮮やかな珊瑚の海が輝き、大きく湾曲した白い砂浜のすぐそばまでこんもりと泡立つような深い森が迫っている。水平線の向こうには、濃密な白を積み上げた入道雲が青い空にもこもこと浮かんでいる。
ポスターのど真ん中には『奄美・沖縄 世界自然遺産の登録へ』というキャッチコピーとともに、この島に残る貴重な動植物の保全活動を呼びかけた短いコメントが掲載されていた。
吸い寄せられるようにそのポスターの前で足を止めて、鮮やかな島の景色に見とれていると、おれの後方から柔らかな声が響いた。
「素敵な写真ですよね」
振り返ると、そこにはほっそりとした体躯に南国人らしからぬ白い肌の美女、おれの馴染みのカフェ「あしびば」の店長マコトの姿があった。
その手にはぱんぱんに膨らんだエコバッグと、黒いビニール袋を提げていた。
「こんにちは、アキオさん。お仕事ですか?」
「いや。仕事が早く終わって休みになったから、散歩がてら街の雰囲気を楽しんでたんだ」
冬場にも関わらず、陽だまりのような暖かさを含んだマコトの声は、おれの体温すらもじわりとあげるようだ。
すると突然、マコトはエコバッグの中をまさぐり、ステンレスのボトルを取り出すと、おれのほうにさしむけた。
「よかったらコーヒー飲みますか? まだ暖かいですよ」
普段からそんなモノを持ち歩いているのか? と、彼女の予想外の行動にやや面食らう。さすがにここでコーヒーを立ち飲みをするのは、なんだか変だ。
「あとで店に寄るからそのときに」
「じゃあ、お店でお待ちしてますね」
マコトは少しだけ気まずそうに微笑んで、ボトルをエコバッグにしまった。
「それにしても、外でマコトと会うなんて珍しいな。買い出しに行ってたの?」
「ええ。少し買い物があったので、ついでにと思ったのですが、年末なので思わずスーパーで買い込んでしまいました」
スーパーというのは、おそらく港通りに面した大型のショッピングセンターだろう。食料品のほかにも日用品や薬など生活必需品なら大抵のものがそろうし、大きな駐車場もあるのでおれもよく使っている。
「じゃあ、今の時間お店は?」
おれは何気なく時計に目を落とす。ランチタイムを過ぎたとはいえ、カフェ利用は十分見込める時間だ。
「ヒメちゃんが留守番してくれてますから。彼女、ああ見えてしっかりしていますし、お客様からも人気あるんですよ?」
そういってマコトはふわりと笑う。
ヒメコは以前におれが彼女の父親から依頼を受けて捜索したことがきっかけで、マコトの店で働くことになったアルバイトの女子高生だ。
ちなみに、ヒメコは完全におれのことをなめきっていて、マコトの店でも顔をあわせるとしょっちゅういがみ合うのだが、そのたびにマコトがおれたちを仲良しだといって笑うのがどうにも気に入らない。
「アキオさんはこのポスターを真剣にご覧になられてましたけれど……」
「うん、綺麗な写真だなって思って」
「そうでしょう?」
マコトは誇らしげに慎ましい胸を張った。ジャケットからのぞく白いコットンシャツのしわがぴんと伸びる。
「その写真、リョウコちゃんって写真家が撮ったものなの。彼女も島外からこの島にやってきたのよ。若いけれどすごく素敵な写真を撮る子で、いまではこの島を代表する写真家の一人に数えられてるの。彼女は昔、私のお店でアルバイトしていたこともあるのよ」
なるほど、どうりでマコトが嬉しそうな顔をするわけだ。一時期とはいえ、自分の店で働いていたことがある人ならば、マコトにとっては身内みたいなものだろう。
そんな人が後に島で活躍するようになって、嬉しくないはずがない。
それから、リョウコについて二、三の情報を口にしたマコトだったが、「あら」と短い驚きの声をあげて時計を見た。
「ごめんなさい、お店の準備があるので、私はこれで」
そういって、マコトは華奢な背中を揺らして歩き去ってしまった。
マコトの後姿を見送りながら一人、アーケード商店街の真ん中で、忘れ去られた石像のように突っ立って、もう一度そのポスターに目をやった。
海、砂浜、森、空。島の魅力的な風景の全てが見事に収められた写真だ。この写真を世界自然遺産登録の啓蒙活動に使うのもうなずける。
きっと誰が見ても「この島らしい美しい写真だ」って思うだろう。けれど、その写真を撮ったのは島外から来た若手写真家なのだ。
おれも東京からこの島にやってきて数年経つが、なんでも屋をやっているとこの島のいろんな魅力を肌で感じることがある。それは、何気ない日々の営みの中にこそあって、きっと多くの
移住者であるからこそ、それを「この島らしく」描き出すことができるのかもしれない。
そう思うとおれは途端にこのリョウコという写真家に対する興味がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。
もし、会う機会があるならば、いちどそんな話をしてみたい。
そんな感慨にふけっているときに限って、おれのスマホは呑気な着信音を響かせるのだ。そのメロディは市役所職員のコウジからのものだった。
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『よう、どうだ最近は』
「あっちこっちで手伝いに駆り出されてるよ。いっておくけど、コウジの仕事がはいる余裕なんてないからな」
ヤツの持ち込む仕事はいつも面倒なことになることが多い。今回こそは断ってやるつもりで、先制のジャブを一発お見舞いする。しかし、コウジはそんなことを気にも留めない様子でいう。
『そういうなよ。今回は面白そうな仕事なんだって』
「なんだよ、面白そうな仕事ってのは?」
『けど、アキオは忙しいんだよなぁ。しょうがねえからこっちでなんとかするかあ?』
おれの気を引こうとコウジはもったいぶった。だが、今回は断ると決めたのだ。下手に内容をきいて心が動いたらおれの負けだ。
「悪いな。また声かけてくれよ」
『ああ。そうするよ』
よし、勝った。心の中でガッツポーズをする。
コウジが電話を切ろうとしたところで、ふとおれは例の写真家、リョウコのことを思い出す。
世界遺産の広報ポスターなら市役所が一枚かんでることだってあり得るし、やつの交友関係の広さはなかなか侮れないのだ。
「ところでコウジ、話は変わるんだけどさ、世界自然遺産登録の広報ポスターに使われている写真を撮ったリョウコっていう写真家を知っているか?」
ほんの一瞬の間ができた。あれ、とおれが妙な違和感を覚えると同時に、コウジのゲラゲラと笑う声が響いた。
『おう、今回の仕事の依頼主がそのヨシハラリョウコなんだけど、どうする?』
結局、おれはヤツの厄介ごとに巻き込まれてしまう運命なのかもしれない。
「……で、いつどこの仕事だ」
コウジの馬鹿笑いはしばらく続いた。
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