第33話 生の品質
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ミサキは二リットルもの輸血を受けて一命をとりとめた。ただ、彼女のお腹に宿った小さな命までは、助けられなかった。
事件から数日後、彼女が一般病棟に移ったと聞いて、おれは事務所の入っているビルの一階にある花屋で、花束を買ってお見舞いに行った。
コスモスとガーベラをベースに、ブルーのサルビアと、ミサキの髪留めと同じ色のピンポンマムがセンス良く束ねられていた。
「ミサキ、アキオだけど」
四人部屋の病室。その窓側に一番近いベッドを覆うカーテンの向こうに声をかけると、ややあってミサキが返事をした。
「アキオさんは、きっとわたしのことをひどい女だって思ってるんでしょうね……」
「ああ、ここに来るまではいろんな感情がごちゃまぜだったし、ひどい人だとも思ったかもしれない。でも、そんなことはもう忘れた。ミサキが生きていてくれただけで、それだけで、ほかのことはどうだっていい」
カーテンの中でミサキが小さな嗚咽をあげた。彼女が泣き止むまで、おれは窓の外の雲一つない秋晴れの空を眺めて待っていた。
おれには美女の泣き顔を眺めるような趣味はないからな。
やがて、ミサキはカーテンを開けおれを招き入れた。おれが持ってきた花束をみて、いつもみたいに柔らかな笑みを浮かべた。
「ミサキにどうしても一つだけ聞きたいことがあって」
「……そうですね。アキオさんにはすべてをお話しないといけないと思います」
「すべてである必要はないよ。ナギサから、だいたいのことはきいたから。でもどうして、あのとき連絡したのが、一一九番ではなく、おれだったんだ?」
おれの問いに、ミサキは手にしていた花束をじっと見つめながら、答えた。
「私、アキオさんに決めてもらおうと思ったんです。罪を背負いながら、それでも生きるべきなのかを……そして、アキオさんはその答えをくれたんです」
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ナギサは警察に出頭し、傷害の容疑で一旦は逮捕された。しかし、被害者であるミサキが被害届を出さなかったことと、家族間のトラブルによる突発的な事故だったと説明をしたことで、結局ナギサは拘留を解かれたという。
ミサキとナギサがその後どうなったのか、詳しくは聞いていない。けれど、ナギサは本当は家族を恨んでなんかない、とおれは思ってる。でなければ、今もあの草木染のストールを大切に持っているはずはないだろう。
一方で、安田先生や懐風会病院に対するバッシング報道は過熱した。
その様子は全国のワイドショーでも取り上げられたから、もしかしたらあんたたちも見たかもしれない。
おれはあのときの先生の態度に心から敬意を表したいと思う。
「今回、本人の意思確認をせずに光の福音の信者に輸血を指示したそうですが、先生は信者が輸血をしてはいけないと知っていて指示したのですか?」
野次馬根性丸出しのレポーターの問いかけに、先生は毅然とした態度で答えた。
「ええ、僕が全責任を負うからといいました。そのことで、僕が医師を辞めなければならない程の非人道的なことをした、というのなら、僕は責任をとって医師を辞めますよ。その程度で人ひとりの命が救われるなら、安いものでしょう」
先生の声に賛否両論あった。否はもちろん、光の福音の信者たちだ。けど、概ね世間の論調は先生に同情的だったと思う。
しかし、先生は今回の件で迷惑をかけたとして、自ら医療法人懐風会から脱退し、自分の受け持っていた患者たちは西先生にすべて引き継いで、診療所を閉院した。
けれど、彼が築き上げた地域医療の輪は崩れることなく、今もこの島にちゃんと根付いている。
風の噂でこの島よりもさらに南にある小さな離島に移ったと聞いた。きっと先生はそこでギターを奏でながら、巧みな話術で住民たちを笑顔にしつつ、頼れる島の医師としてつつがなく暮らしているだろう。
しかし、それよりもワイドショーを賑わせているのは、フォトンマトリクス研究所のサノライトだ。
彼の手口は、セミナーの会員に弁護士をつけ、生活保護を受給させた上で、彼と結託した開業医にかからせ、そこで不正に診断をして、様々な薬を大量に処方させるというものだった。
島で不正診療を行っていた城医師は、ある意味ではサノのいう通りの人物だった。
本土の総合病院に勤務していたが、些細なミスで出世ルートをはずれ、本土に家族を残したまま、ひとりこの島に赴任してきたのだ。
そして、島で出会ったミサキとの関係に溺れてしまった。
サノは彼が不倫をしていることを知り、その弱みにつけ込んだ。
光の福音の信者を次々と取り込み、生活保護を受けさせると、彼らを城医師の元に送って必要のない治療行為を行わせ大量に薬を処方させた。一方で、セミナーで薬は必要ないと吹聴し、患者から処方薬を集めていたのだ。
フォトンマトリクス研究所事件で一人でも多くのこの島の住民が、もう一度正しい地域医療のことについて考えるきっかけになってくれたらいいとおれは思う。
とはいえ、先生のいっていた「
最新鋭医療設備の整った、最高な環境で、全身をチューブにつながれて過ごすことを幸せだと思うならば、それは決して間違いなんかじゃない。
結局、自分の「
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あの事件から数か月が過ぎ、本格的な冬がこの島にもおとずれて、肌を切りつける風にも鋭さが増していた。
いまでもときどきおれは、あの海を見下ろす展望公園で真っ赤に染まる海に映る夕日を眺めている。ひと仕事終えた後、ほんの少しの時間、自分を見つめなおす時間を持つのも悪くない。
そんなときに、声を掛けられたら、あんたならきっと飛び跳ねて驚くはずだ。
でも、おれは違う。それが、逆ナンパの可能性を常に頭の中にたたきこんであるからな。
「夕日、好きなんですか?」
真っ白な看護服の上には濃紺のカーディガンを羽織っているけれど、間違いなく彼女はおれがよく知る白衣の天使だ。その笑顔に癒され、彼女の看護を必要とする人が、この島にはたくさんいる。
目覚めのコーヒー、仕事帰りの綺麗な夕焼け、そして仕事を終えた後の一杯の焼酎。
たったそれだけで毎日満たされているおれの安っぽい「生の品質」なんてのは、彼女の微笑みひとつでぐんと向上する。
でも、おれはそれで別に構わないと思っている。そんな毎日こそが、今のおれにとっての「自分らしい生き方」なんだから。
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