第32話 真実

     💊


 救急隊が到着したのは謎のビデオメッセージから時間にして十分。その間にどれほどの出血があったのかはわからないが、一刻を争う事態だということだけは医療の知識のないおれにだってわかった。


「アキオ」

 搬送されたミサキと入れ替わりにやってきた警察官のワタルが、おれを現場の外に連れ出し、共用廊下の隅で耳打ちするようにたずねた。


「なにがどうなってる?」

「わからない。さっきビデオ電話でこの部屋の様子が送られてきて、駆けつけたときにはミサキ以外誰もいなかった」


 経緯をワタルに説明しながら、おれは気になっていたことを話した。


「実は今日、被害者とマリンプラザホテルで行われていたフォトンマトリクス研究所の講演会に行っていたんだけど、受付でおれもミサキも自分の住所を書いてる。昨日もいったが、そこは真っ当な商売をしているようには思えなかった。もしかしたらそこが絡んでるんじゃないか」

「ああ、例の。確かに怪しいが、独身女性が見ず知らずの人間を部屋にあげるか? それに、室内に争った形跡がないちゅうことは、知り合いの犯行の可能性が高いとワンは踏んどるがな」


 そうかもしれないが、おれにはミサキが誰かに恨みを買うような人だとは思えず、襲われる理由がわからなかった。


「ワタルが見てほかに違和感みたいなものはないか?」

「違和感ちば、ガイシャの傷口の位置じゃ。正面から誰かを刺し殺そうとするなら、普通は心臓や腹部をめがけて切りつける」


 ワタルは自分のへその前で両拳を縦にして、刃物を握るジェスチャーをする。たしかに、ミサキが切られたのは太ももの付け根付近だ。大腿動脈がある人体の急所だが、咄嗟に切りつける部分じゃない。


「それに、なぜ犯人が現場からのビデオメッセージ送り付けたかもわからん。放っておけばガイシャは確実に死んどったはずど?」


 そういってが腕組みをして唸っているところに、呑気なスマホの着信メロディが鳴り響いた。コウジからだった。


『アキオ、今どこだ? いきなり飛び出していって』

「実はミサキが誰かに刺されたんだ。さっき救急車で搬送されたところだ」

『本当か? そりゃあまた、大変なことになったな。それにしても、お前のところには面倒な依頼がよくもまあ、そんなに頻繁に舞い込むもんだな』


 ミサキが大変なことになっているというのに、コウジの声はいつもと変わることなく、飄々としたものだった。それが妙に腹立たしくて、おれは苛立ちをぶつけるように、電話口のコウジに食って掛かった。


「その面倒な依頼ってのは大半がお前が持ち込むんじゃねえか。今回だって、安田先生の講演会で、お前がおれに前座をさせようなんて思わなければ……」


 そこまでいって、はっと気づく。点と点が互いに手を結んで線をつなぎ、そしてそこに一つの答えを導き出していた。

 おれは声のトーンをすっと落とし、コウジにたずねる。


「なあ、コウジ。あの安田先生の講演会にミサキは来ていたか?」

『いなかったと思うけど?』

「ちなみに、コウジがミサキにおれの過去について話したことは?」

『ないね。俺はあの懇親会以降ミサキさんには会ってないし、あの会合では会話もしてない』

「そうか、わかった。また電話する」


 そういってコウジとの通話を終えると、おれはそのままディスプレイを操作して、安田先生の電話番号を呼び出していた。


     💊


 警察の聴取を終えたおれは、安田先生の診療所にやってきていた。

 電話で確認した通り、駐車場にはあの嵐の夜に見かけたのと同じ、二台の車が停まっていた。

 電話で指示されたとおり、鍵の開いてる裏口から中にはいり、待合ロビーへとむかった。照明の落ちたロビーの一角、殺虫灯の青白い光の中に先生と、もう一人の女性の姿が浮かんでいた。それは、先生の講演会、そしてあの嵐の夜にもここにいたこの病院の事務員、石岡だった。

 先生はおれの姿を目に留めると、呆れたように苦笑いを浮かべた。


「まさか、ここに最初にやってきたのが君だとは。君は一体、なにをどこまで知っているんですか?」

「おれはなにも知らない。ただ、自分の持っていた事実をつなぎ合わせてここに来ただけだ。先生、おれは警察でも裁判官でもないし、正義感を振りかざすつもりもない。ただ、おれの目の前で誰かが傷ついていくのを黙って見ているのが嫌なだけだ」


 そういいながらおれは二人のそばへと歩み寄り、数歩分の距離をとって立ち止まると、石岡にむけていった。


「ミサキのことを刺して、おれにビデオメッセージを送ってよこしたのは、あんただよな。そして、おそらく、あんたはミサキの妹、だよな?」


 俯いていた女の表情はよく見えないけれど、おれの声に微かに肩を強張らせたように見えた。返事は彼女からではなく、先生から返ってきた。


「その通りだ。犯人は美咲くんの妹、凪紗ナギサくんだ。けれど、どうして彼女が妹だとわかったんだい?」

「ひとつは、彼女が講演会の時に身につけていた黄色いストールだ。ミサキも同じ色の草木染めの髪留めを持っていた。それは、ミサキの両親が独自の染めの技術を使って染めたものだ。同じものを持っているってことは、どこかで繋がりがあると思った」


 感心するように先生は大きくうなずいて見せたが、簡単に同調はしなかった。


「それだけなら、どこかで購入したり、ただ似ている全く別物ということだってありえる」

「もちろんそれだけじゃない。例えば、ミサキが刺された現場の状況。物取りや強盗だと部屋に争った後があっても不思議じゃない。けれど、部屋は荒れていなかった。つまり、顔見知りがあの場にいた可能性が高い」


 これはワタルの受け売りだったが、そんなことは、今はどうでも良い。


「それに、仕事の依頼に来たミサキは、カフェで店員と音楽についていい争っていたおれにむかって『音楽をやっているんですよね』っていった。けれど、おれはそれまで、一度もミサキに音楽をしていたという話はしていないし、彼女はおれがミュージシャンだったことさえも知らなかった。じゃあ、誰がおれが音楽をしていたことを話したのか。ミサキと共通する知人のなかから、音楽をしていることを知っている人がいるのは先生か、事務員のナギサだけ。ミサキは先生の依頼で訪問看護をしていて、ここへの出入りもあった。当然、ナギサとは面識があったはずだ」

 

 ちらりとナギサを見るが、彼女は顔を伏せたまま微動だにしなかった。

 先生はどこか現実味のない薄い笑顔をはりつけている。

「まあ、座ってください」

 穏やかにそういいって、先生はおれに隣の席をすすめた。ゆっくりと腰を掛けたおれに、先生は昔ばなしをするような口調でいった。


「まず、結論からいいましょう。美咲くんはおそらく今、輸血を受けているでしょう。君からの連絡を受けて、搬送先の懐風会病院にすべての責任は僕がとるから、彼女を助けるようにと伝えました」


 おれは全身を支配していた緊張感を吐き出すように大きく嘆息して、両腕をだらりとさげた。


「助かるかどうかは彼女の体力次第でしょうけれど、君が止血を続けてくれていたことで、その可能性はずっと高まったはずです」

「そうか、よかった。けど、なんで妹であるナギサがミサキのことを刺したんだ。それに、あのビデオメッセージを送ってきた意味だってわからない。そのことを教えてくれ」


 おれがナギサにそういうと、彼女はうつむいたまま、ぼそぼそとしゃべり始めた。


「わたしは子どものときに事故に遭って輸血をしたことで、光の福音の信者だった両親からは虐待され、施設に預けられ、学校ではいじめにあった。名前を変え、平凪紗とは別人として生きてなきゃいけなかった。憎かった……光の福音の信者も、両親も……姉さんも」

「だからミサキのことを恨んで刺したのか?」


 問いかけには答えることなく、ナギサは感情のこもらない声で淡々と続けた。


「わたしはフォトンマトリクス研究所のサポートスタッフとなり、島民たちの勧誘活動をしていた。もちろん、あれがインチキ療法だなんて子どもでもわかる。それでも、それに縋ろうとする人たちのことも知っていた」

「……光の福音の信者たちか」

「輸血ができないあの人たちは、ガンになっても手術は受けられない。でも、やっぱり死ぬのは怖い。そんな彼らにフォトンマトリクスは医療を受けなくてもガンは治るとふれ込み、高額なオモチャを買わせていたわ。一人が入会すれば、信者が数珠繋ぎに入会した。面白いくらいに」


 それまで感情を表さなかったナギサが、急に狂気じみた笑い声をあげた。まるで自分の平穏を奪った信者たちが蟻地獄に落ちる様子を楽しんでいるかのようだった。


「知ってる? 生活保護を受けている人って医療費がかからないの。そこに目を付けた佐野は、弁護士を雇って光の福音の信者に生活保護を受給させながら、裏で医者と結託して患者に不正に終末期医療を受けさせていたの」


 側頭部をがつんと殴られたような衝撃を受けた。おれはあのゴミ屋敷での出来事を思い出しながら、そこにある真実の片鱗に声をあげるのが精いっぱいだった。


「なんだって、それじゃあ」

「あのフォトンエナジーサプリは、あなたがゴミ屋敷で拾ったのと同じ、患者から集めた医療用麻薬や向精神薬」

「それって……」

「おそらく、城医師が佐野氏と結託しているのでしょう」


 先生は視線を床に落とし、力なくそういった。自分と同じ志を持ち、島の医療に携わっていたと思っていたACPメンバーが、まさか医療とは正反対の行為を行っていたということに、落胆の色を隠せなかった。


「それだけじゃないわ。姉さんは今、城先生との子どもを妊娠している」

「妊娠だって?」


 おれの声が裏返った。まさか、といおうとして咄嗟に口をつぐんだ。

 昨日の朝、おれとヒメコのやりとりを眺めていたミサキの寂しそうな表情が脳裏をかすめた。ミサキが縮めることができない距離といっていたのは、もしかしたら城医師とのことだったというのか。


「あの人は姉さんと関係を持って子どもまで身篭らせたくせに、姉さんが光の福音の信者だと知るや、あっさりと姉さんを捨てた。でも、姉さんはそれだけじゃ済まない。

 光の福音では婚前交渉は排斥されるほどの重罪。そして中絶もまた罪になる。姉さんが罪から逃れられる方法はなかった。唯一、すべてを捨ててこの地から逃げること以外は……でも、姉さんはこの島に残るといった」

「例え、ミサキが婚前交渉や妊娠をしていたとしても、それは光の福音が勝手に決めた罪だ。倫理観が問われたとしても、犯罪を犯したことには……」


 そこまでいっておれは、言葉を切った。

 どうしてナギサがミサキを切りつけたのか。しかも、太ももの付け根などという部位だったのか。それに気が付いたんだ。


「ナギサ、あんた本当はミサキを守ろうとしたのか? 光の福音や、この島の住民たちから」


 輸血を受けること自体、普通はなんの罪でもない。むしろ、それが罪になるとされることのほうがナンセンスだと思っている。仮に、ミサキが輸血を受けたことで光の福音から排斥されたとしても、彼女には何の落ち度もないと世間一般には思える。

 ナギサはそれを隠れ蓑にして、本来のミサキの犯した姦淫罪を隠すつもりだった。だからこそ、腹部や心臓ではなく、足の動脈を狙った。大量の血液を流すことが目的だったからだ。


「けど、そうだとしてどうしておれにビデオメッセージを送った?」

「姉さんがそうしてといったから」

「ミサキが?」


 ナギサはうなずいた。逆におれにはどういうことか全くわからなかった。おれはナギサにどういうことか説明を求めた。しかし、ナギサは「わからない」とだけいって、それきり口を閉ざしてしまった。


「大澤君、この先のことははすべて僕に任せて、君は何も知らなかったことにすればいい。ただ、一つだけ。美咲くんを責めないであげてほしい。彼女は生きることに、すこし不器用だっただけなんだ」


 そういった先生に、不貞腐れた子供のように「わかってますよ」といって、おれは二人に背をむけた。器用に生きることなんて、おれにだってできたためしがないんだから。


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