第30話 手伝い料

 結局、セミナーではサノに大したダメージを与えられそうになかった。

 せめて、なにかの突破口になるかもしれないと、例のクリスタルと黒水晶、サプリメント、そして、見たくもない奴の書籍一式を購入した。しめて四万円。

 すると受付にいた女がおれにその商材を渡しながらいった。


「あなたも会員を紹介して、その人が購入をすれば紹介料をもらえますので、是非、知り合いを紹介してください」


 なるほど。こいつはごく単純なマルチ商法だ。

 ターゲットが末期がん患者だということ以外は、世間一般にある怪しげな団体とそう変わるものではない。

 問題はマルチ商法そのもには違法性はないということだ。扱っている商品は高額だが、違法性を追求するには難しいかもしれない。ブラックに近いグレーゾーンぎりぎりを攻めているって感じだ。サノのしっぽを掴むのは難しそうだ。


 ミサキを自宅近くまで車で送っていく道中、ミサキは講演の中で語られたことにショックを受けたことや、一方でもし、自分が末期がんを宣告されていたらどう考えただろうか、ということをいろいろと話してくれた。わずか五分程度の短いドライブだったが、その彼女の真剣な表情に、やっぱりサノも、やつを信じる患者も間違っていると思った。

 やつらは本当に必要なことがなんなのか、全く理解していないんだ。


 ミサキの住むアパートの手前にある公園のところで「ここで大丈夫です」といわれ、おれは道路脇に車を寄せて車を停めた。なんだか長いような、短いような一日だった。夕暮れ色に染まり始めた街並みに、向かいのスーパーの灯りが妙に白く映った。


「今日は一日、本当にありがとうございました」


 そう礼をいって、ドアハンドルに手をかけたときだった。あっと声をあげてまるで忘れ物をしたときのような顔でおれに振りむくと、ミサキは身を乗り出し、おれの左頬にほんの一瞬の短いキスをした。

 その柔らかな唇の感触に全身が一気に熱くなった。

 突然の出来事に、完全に面食らってまごついているおれに、ミサキはその大きな目を三日月のように目を細めた。


「今日の、忘れるところだった。それじゃあ」


 ミサキは今度こそ車を降りて、振り返ることなく歩き去っていった。

 おれは無意識のうちに頬に残った感覚を確かめるように、そっと自分の左手で頬を撫でた。

 けれど、そこにはざらついた指先の感覚があるだけ。

 あれはほんの一瞬の幻だったのかもしれない、そんな気がしていた。


 魂が抜けたように呆けていたおれを現実に引き戻したのは、おれのスマホの着信音だった。ディスプレイには「安田昇」と表示されていた。


     💊


『やあ、大澤くん。どうだい、収穫はあった?』

「収穫って?」


 おれはなぜかさっきのミサキのキスを思い出していた。


『今日、ミサキ君と例の民間療法に潜入するっていってただろう? どうだったんだい?』


 ああ、とおれは思い出したように電話口でうなずいていた。そういえば、それが目的だったんだ。一日ミサキと過ごして浮ついていたわけじゃないけれど、最後のキスが強烈に効いていたのは事実だ。

 おれはすぐに先生の診療所にむかうといって、市街地を抜けるバイパスへと車を走らせた。もし今、検問にひっかかったら、まったくの素面しらふなのに、酔っ払い運転で捕まってしまったかもしれない。そのぐらい、おれの気分はぐるぐると渦を巻いていた。


 インターホンを押すと先生は裏口から上半身をのぞかせて「こっちから入って」と手招きをした。

 診察室に入ると、おれは先生に今日の講演会のことをなるべく詳しく話をした。念のためにポケットに忍ばせておいたレコーダーも渡しておいたが、そこからはこの医療チームに役立つ情報が得られるかどうかはわからなかった。それでも先生は「大変だっただろう、ありがとう」といって労ってくれた。


「そうだ、あとこれ。例の研究所が売っていたやつをひとしきり買ってきたんだ」

「本当に? 結構したんじゃないの、これ?」

「ええ、まあ。これってそんな値の張るものかな?」


 先生は「どうでしょうか」といって、サノがクリスタルと呼んだ卵大のガラス玉のようなものを手にした。重さを確認してみたり、光にかざしたりしてしげしげと観察をしている。そして、それをデスクの上にコトリと音を立てて置いて、ふっと鼻で笑った。


「多分、中国あたりで大量生産しているガラスのペーパーウェイトでしょう。原価なら数百円もしないと思いますよ。そっちの黒水晶モリオンとやらも海外産の黒曜石のペーパーウェイトでしょう。それもせいぜい千円から二千円程度のものでしょうね」

「それを高価な値段をつけて売るのって詐欺になったりするもんなの?」


 先生は腕組みをして「うーん」と唸った。


「例えば、ガンが治ると明確に記載されていたりすれば、明らかに人を騙す意図が感じられますが、宗教的な儀式としてアイテムを売っているといわれれば、原価はいくらであっても問題ないでしょうね。それよりも、僕が気になったのはこっちですね」


 先生が手にしたのは、サプリメントとして販売していた錠剤の入った小瓶だった。


「どこにも効能を謳っていないあたり、医薬品ではない、というつもりなのでしょうけれど、この中身が一体何なのかは興味があります。とりあえず、君がもってきてくれたこの一式は僕のほうで買い取るよ。あとのことはこちらでやるつもりだから、大澤くんはあまりその研究所に深入りしないようにね。相手は君の住所を持っているんだ。くれぐれも目立つ行動は避けるように」


 先生にそう釘をさされて、おれは「わかった」とうなずいて、先生の診療所を後にした。

 けれど、そのときのおれは肝心なことを忘れてしまっていた。住所を知られているのは、おれだけじゃないってことを。



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