第29話 フォトンマトリクス研究所
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ミサキがフォトンマトリクスの講演をきいてみたいというと、トシおばは喜んで紹介状を書いてくれた。
その間、何度も「そろそろミサキも結婚せんば」と、繰り返すので、「今日はお付き合いしている方が一緒なんです」とミサキがいうと、トシおばは心底つまらなさそうな顔をした。
おそらく、自分のよく知る人とミサキを結び付けたかったのだろう。まあ、こんな美人ならそうなるのも無理はない。
おれたちはトシおばにお礼をいって、今度は来た道を戻りマリンプラザホテルにむかった。
ホテルの宴会場の前には畳一枚分ほどの大きさの立て看板に、大きく「フォトンエナジーセミナー」と力強い筆文字が書かれていた。受付のテーブルには、代表者の
そのほかにも卵形をした透明なガラス玉のようなものと、艶のある真っ黒な石のようなものがセットで販売されていた。ちなみにワンセットで一万八千円。片方ずつならひとつ一万円だ。あとは小さなガラス瓶に「フォトンエナジーサプリメント」と手作りのラベルのようなものを張り付けた、中身がなんだかわからない怪しいサプリメントなどが並んでいた。
「初めての参加なんだけど」
「紹介状はお持ちでしょうか?」
おれは受付の女に紹介状を見せる。それを確認すると女は「こちらにご記入ください」といって、おれとミサキにそれぞれ、住所や電話番号などを記載する会員登録用紙の挟まったバインダーを渡した。
なんでも屋をやっているおれは、自分の住所を書くことに抵抗はないが、自分の意志でこの研究所の潜入を試みたとはいえ、一人暮らしをしているミサキの住所や電話が外部に漏れるのはどうにも心配だった。
「ミサキ、おれの住所つかってもいいんだぞ」
「大丈夫です。私が決めたことにアキオさんを巻き込んでいるので、そこまでご迷惑をおかけできませんから」
そういってミサキは会員登録用紙にすらすらと住所を記載していく。驚いたことに、彼女はおれの事務所から歩いて五分とかからない場所に住んでいた。
「なんだ、ご近所さんじゃないか」
「はい。私、あしびばみたいな素敵なお店が近くにあるなんて、昨日まで知りませんでした。これから通ってみようかな」
「だったら仕事前に寄ってくれよ。そうしたら、おれも毎朝ミサキに会える」
「また、あの子に怒られちゃいますよ」
ミサキはくすりと笑った。あの子とはヒメコのことなんだろうけど、どういうわけか、そのときおれの脳裏を横切ったのは不貞腐れてむくれたユイの顔だった。
「そうかもな。だけど、あそこは本当にいい店なんだ。いつでも遊びに来てくれよ」
そういうと、ミサキは砂糖菓子のように甘そうな笑顔をつくって「はい」と微笑んでみせた。
おれは、これが今日一日だけの仕事じゃなかったらいいのにと、本気でそう思っていた。何度も繰り返すが、男とは本当に馬鹿な生き物なのだ。
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宴会場の中は安田先生の医療講演会のときよりもさらに盛況で、この島にこんなにも人がいたのかと思うほどだった。
やがて会場の照明が落ちたと思うと、天井のスピーカーから人工的に作られた透明感のあるシンセサウンドが響いた。クリスタルとよばれる鉄琴系のサウンドをベースにしたシンプルながらどこか神々しさを感じさせる音だ。
おそらく、サノライトを神格化させるための演出の一つなのだろう。
ステージの上にはドライアイスでつくった雲のようなものができていて、やがて一人の男がスポットライトの光のなかに姿を現した。この登場演出にまわりでは割れんばかりの拍手喝采が湧いた。
サノはこの島ではまずお目にかからない、海外ブランドスーツで身を固めている。東京のショップならば一着百万はくだらないシロモノだ。
男の背後には大きなスクリーンが映し出されていて、そこにはフォトンマトリクス研究所のロゴが映し出されている。
サノの手にマイクはない。かわりにピンマイクがスーツの胸元に取り付けられている。
スクリーンの前に立ったサノは、前置きもなく話し始めた。
「みなさん。この宇宙にはありとあらゆるエナジーが蓄積されています。それを取り込むことができるのは、ここにいるみなさんだけです。あなたたちだけが、フォトンの力によってその力を享受できる資格がある。あなた方は選ばれし人々です。その奇跡、その運命、そしてあなた方の未来に感謝を捧げましょう」
サノはまるで万歳をするように両手を高く天井にかざし、自分も空を仰ぎ見るような姿勢になる。ただ万歳とは違って、バスケットボールでも掴むように両手指がぐっと開かれている。その姿勢に同調するように、スクリーンの中のロゴマークに、様々な光のエフェクトが映し出された。まるでサノの手のひらから大きなエネルギーが発せられているかのようだ。
ここにいる参加者たちも次々と手を挙げて、同じ姿勢をとった。おれたちも慌てて、その行動をまね天井を仰ぎ見る。しかし、どこをどう見てもそこには宇宙のエナジーなどが漂っているようには見えず、きらびやかなシャンデリアが照明の光を反射して輝いているだけだった。
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サノは海外の携帯電話メーカーのCEOが新作発表会でもするかのように、ステージの上をうろうろと動き回りながら、身振り手振りを交えてスクリーンの映像とともに自分の話を飽きることなくしゃべり続けた。その内容は、概ねこんなところ。
現在の西洋医学は不完全だ。その上、医者は治療と称し人々を抗がん剤など薬漬けにして、高額な医療費をとっている。
西洋医学でなぜガンが治せないのか。それは医者が未熟で病気を知らないからだ。
なぜ医者はたった五分の診察に何時間も待たせるのか。それは医者が傲慢で謙虚さを持たないためだ。
なぜ医療費が高額なのか。それは、医者が病気は自分たちにしか治せないと高をくくり、胡坐をかいて国と癒着し慣れ合っているためだ。
人は本来自然治癒力を持っている。だが、その力を百パーセント使い切れないのは自分の能力の使い方を知らないからだ。
フォトンマトリクスではその自然治癒力の高め方を学び、さらに宇宙にあふれるフォトンエナジーを取り込む方法を教えている。
医療にかかればそのたびに高額な医療費を請求されるが、フォトンエナジーを取り込む方法を身につければ、永久に自然治癒力を高められる。
正直、きいていて呆れ果てるとしかいいようがない。医療現場のことをまったく別の話に置き換えた上に、誤った知識を植え付けて医療に対する不安をあおる。そこに、自分たちのフォトンマトリクスの話をねじ込む。
普段なら馬鹿らしいと思えても、ガンを宣告されて藁にもすがる思いでここを訪れた人たちにとっては、サノの話す内容に同調できる部分があって、そのせいで簡単に信用してしまうのだろう。いわゆる不安商法ってやつだ。
そして、講演の最中、ヤツがこういったのだ。
「なぜ、離島に医者が少ないのか。それは、医師はみな大学病院の椅子を目指しているためだ。離島はその椅子から最も遠い場所にあり、離島の医療経験など中央の大学病院ではまったく評価されないため、医師たちは離島の医療に携わることを拒否するからだ」
正直腹が立った。
サノはこの島に住んではいないだろう。そんな男に離島医療のことをとやかくいわれたくはなかった。こんなセミナーなんかより安田先生の弾き語りライブのほうが、よっぽど島民のためになる。
講演の最後に、サノは「質疑応答の時間を設けましょう」といって、受講者たちとの対話の時間をとった。
すると、まるでアイドルグループのトークショーにやってきたファンのように、あちらこちらで「ハイ! ハイ!」と大声をあげながら我先にと受講者たちが一斉に手を挙げたのだ。
サノは様々な質問を投げつける受講者たちに対しても、さりげなく自分の体験談や成功例を提示しつつ、その詳細を自分の著書で確認してほしいといって、一冊三千円もするヤツの写真が表紙になった本を掲げた。
「さて、そろそろ時間も少なくなってきたので、新入会員の方にも質問していただきましょうか。どなたかいませんか?」
サノがそういったのをチャンスとばかりに、おれは勢いよく手を挙げた。
「じゃあそこのお兄さん。どうぞ」
サノが右手をおれに差しむけたのを見て、スタッフの一人がマイクをもっておれのそばに駆け寄った。
「フォトンマトリクスはガン治療にも有効だときいたけど、その方法はどうやるんですか? おれの両親は末期がんなんだ。なんとかしてやりたい」
おれは口から出まかせを吐いた。どうせ誰も裏をとったりはしないだろう。それよりもおれはこいつらにつけ入る隙を見つけたかった。
「それは感心だ。君みたいな若い人が増えれば、日本はもっと幸せな国になるよ。なんたって高額な医療費が一切かからなくなるんだ。そうすれば税金だって安くなるし、年金をもらえなくなるかもしれない、なんて心配はなくなる。ぜひ今日はその方法を覚えて帰ってほしいね」
そういうとヤツはポケットから二つの石のようなものを取り出して掲げた。受付のところで販売していた卵のような形の透明なクリスタルと真っ黒な石だった。
「これはね、フォトンの力を集めて結晶化したもので、ひとつはフォトンエナジーを取り込むクリスタルだ。フォトンの力が最も強いのは太陽の光だ。太陽の光をたくさん浴びることができる場所で、毎日このクリスタルで患部にフォトンの力を集めて体内に送り込む。そうすれば自然治癒力が高まり、体はもとの状態に戻ろうとする」
「それだけ?」
「ああ。ただし、体内に溢れた邪気はそのままにするとまた戻ってしまう。それでは意味がない。そこで、この
「一発でガンがなくなるようなものってないの? もっと簡単に短い時間でできるような」
おれはサノに挑発するような目をむけていった。どうにかヤツの素性をさらすことができれば、中にはヤツが怪しい詐欺師まがいだと気づく人が出てくるかもしれないと思ったからだ。しかし、ヤツは余裕の表情を崩すことなくいった。
「もちろん、あるよ。フォトンイレディエーターといってフォトンの力を集めて照射できる世界でも唯一の機械だ。ただし、当然だけどそれは台数も少ないし、使用料は少し高額だ」
「いくらするんだ?」
「月に二十万円。けれど命の価値はお金とは比べられないよね。それに、病院でのがん治療が一体いくらかかるか知ってる? 長期入院なんてことになったらあっという間に数百万円だ。そう思えばどちらを選択することがよりガン治療に有効か、君にもわかるだろう」
にやりとサノの口元が吊り上がった。おれの行動も完全にヤツの想定内ってことか。かすかな敗北感とともに、おれは「よくわかりました」といって椅子に腰をおろした。マイクを受け取りに来たスタッフがまるで能面のように無表情だったのが、少し気になった。
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