第27話 これをデートというのなら
事務所の応接セットで、おれは腕組みをして背もたれに体重を預けて唸った。ソファに姿勢よく座っているミサキは、切々とした視線をまっすぐおれにむけている。
彼女の相談は例の民間療法についてだった。
このところ、彼女が受け持つ、南部地域に住む患者の多くがACPチームのケアを拒否するようになっているのだ。
おれが昨日トシおばの家で目撃した光景は、まさにその状況。
そして、どうやらその患者たちが「フォトンマトリクス研究所」という民間療法を知人から紹介され、そこに熱心に通っているという情報を掴んだという。
「実は先日、安田先生の診療所に伺ったときに、先生からサノという人物について尋ねられたんです」
「ああ、トシおばが通っている民間療法の先生らしいな」
「実は、そのフォトンマトリクス研究所の代表の方の名前が、
「なんだって!?」
おれは思わず身を乗り出した。ミサキはテーブルの上に一枚のチラシを差し出した。そこには「フォトンマトリクス研究所 フォトンエナジーセミナー」というタイトルとともに、明日の日付と、会場名のマリンプラザホテルの名が掲載されている。参加費は無料。ただし、新規受講者は紹介状が必要らしい。
「もしかしたら、患者さんがACPを断る理由がそこに行けばわかるんじゃないかと思って……ですが、やっぱり私一人で行くのが、どうしても怖くて……」
「当たり前だ。こんな怪しげな会合に、ミサキさんを一人で行かせられないよ。わかった、おれもその潜入に付き合うよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ミサキは深々と頭を下げる。おれはテーブルの上のチラシを手に取り、それをしげしげと眺めながらいう。
「でも、これ新規に受講するには紹介者が必要だけど、アテはあるのか」
「はい。トシさんに紹介をお願いしに行くつもりなんです。そのチラシもトシさんから受け取ったので」
そういうと、ミサキはすこし目線を伏せて恥ずかしそうに肩をすぼめて縮こまった。
「それで、その……できたら、トシさんの前では、私の恋人ということにしておいてもらえませんか?」
ミサキからのその突然のお願いにおれは「へ?」と素っ頓狂な声を漏らしていた。
「あの人、いつも私に早く結婚したほうがいいとかいって、縁談を持ち掛けようとしてくるので、ちょっと困っているんです。もし、大澤さんがそうして下さったら助かるんですけど……」
「あの、おれは別に構わないけど、ミサキさんはそれで大丈夫なの? 彼氏、いたりとか……」
おれの問いかけに、ミサキは慌てたように体の前で両手を振った。
「いえ、私、そんな彼氏とかはいませんので」
その全力で否定する慌てっぷりが可愛すぎて、別の意味でため息が出そうになる。おまけに彼氏がいないことまできき出してしまった。グッジョブ、おれ。
「オーケー。おれはそれで大丈夫。それで、ミサキさん。おれは明日はどうしたらいい?」
「ミサキ、でいいですよ。大澤さん」
そういうとミサキは目を弓のように曲げて、艶っぽい微笑を浮かべた。おれはその笑顔に、心臓に鉛玉でも打ち込まれたような衝撃を受け、どぎまぎとしてミサキに返事をする。
「そ、それなら、おれのことも、アキオでいいよ」
一瞬、驚いたように目を丸くしたミサキだったが、すぐに元通りの柔らかな笑顔に戻ってその形のいい唇から白い歯をのぞかせた。
「ありがとう、アキオさん」
おれはとんでもない勘違いをしていたらしい。
ミサキが白衣の天使?
とんでもない。
彼女は無自覚に恋の媚薬を振りまいて男どもを翻弄する小悪魔だ。
そして、おれはそんな小悪魔に踊らされる、馬鹿な男の内の一人だ。
いつもならドアのところで依頼者を見送っているのに、今回は彼女と一緒にテナントビルの入り口まで降りてそこで、これから出勤するというミサキを見送った。
彼女の清潔そうな白のコットンシャツと、ひざ丈のフレアスカートの後ろ姿をぼんやり眺めながら、
💊
ミサキを見送った後、おれはそのまま散歩がてら市内随一の飲み屋街にむかった。いっておくが、朝っぱらから飲むためじゃない。その近くの交番に勤務している、おれの友人、地域課の警察官、渡り《わたり》
変わった名前だが、一度きいたら忘れられないその名前は、地域の巡査であるワタルにとっては好都合なのだという。
ぶらぶらと街並みを眺めながら歩く。
秋の陽射しって一年で一番優しいんじゃないかっておれは思う。春の柔らかな陽だまりも好きだけど、どっちかというと、春はやる気に溢れた若い力みたいな感じ。でも、秋は肌寒い中にある、落ち着いた大人な暖かさだ。
公園の樹木もやがて来る冬に備えているのか、若々しい緑の時期を過ぎて深みを増しているような気がする。
ぼんやりと歩いていると、ちょうどおれの後ろから野太い声で「アキオ」と呼び止められた。タイミング良すぎるたずね人の出現に、おれは棚からぼた餅でも降ってきたかのような驚きの声をあげた。そんなこと、実際に起こったことはないけど。
「よう、ちょうどワタルに会いに行こうと思っていたんだ」
「なんじゃ? またロクでもねえ依頼ば受けたか?」
「とんでもない。美女とのデートだよ」
「はあ? アキオが? 相手は?」
馬鹿にしたように大声をあげたワタルに、おれはむっとしながらも少しばかり優越感を感じながら「白衣の天使、とだけいっておくよ」ともったいぶったいい方をしてやった。
すると、ワタルはあからさまに苦い顔をしながらいった。
「それ、
「違うよ、失礼な。それより、ワタル。フォトンマトリクス研究所ってきいたとこあるか?」
「なんじゃ? それ。あからさまに怪しいな」
ワタルは馬鹿笑いをしながらそういった。まだ、そこに関する被害相談というのが出されていないのだろうか?
「民間療法をしているところらしいんだけど、なんでもこのあたりのガンの末期患者を取り込んでいるようで、ACPチームの医療を拒む人が増えていて困ってるらしいんだ」
「ACP? 新しいアイドルグループか?」
フォーティーエイトじゃねえよ、と適当に突っ込む。
「とにかく、そのフォトンマトリクス研究所を調べようと思ってるんだけど、もし、そのフォトンマトリクスだとか、民間療法で被害を訴える人がいたら気に留めておいてくれないか。またなにかあったら相談するよ」
「わかった。
そういいながら、ふたたび自転車にまたがってワタルは地域の巡回へとむかった。島の平和を守るワタルに敬礼。
そうしてやつを見送ってから、安田先生にも連絡をしておこうと、おれはポケットからスマホを取り出した。
💊
翌日、待ち合わせ場所にしていた市役所前へ車でミサキを迎えに行くと、彼女はすでにそこで待っていて、おれを見つけると眩しそうに目を細めて手を振った。周りにそれらしい男の姿がなく美人局ではなさそうで、ほっとしたのは本人には内緒だ。
「おはよう、アキオさん」
ミサキはレースのあしらわれた真っ白なAラインのワンピース姿で、ふわりとしたスカートが通りを抜ける潮風に軽やかに揺れていた。
あの夕日の展望公園で見た白いナース服とは違った清廉な美しさだ。
例え、その実態が天使だろうと小悪魔だろうと、ミサキには間違いなく白が似合う。
ミサキの長い髪は左肩の前で一つにまとめられて、秋らしい濃厚な黄色のシュシュが白いワンピースによく映えておれの目を引いた。
おれが車を降りて、助手席側に回りながらドアを開けてミサキをエスコートすると、彼女は大袈裟に驚いたように口元を手で押さえながら「ありがとう、さすがね」と笑って、しなやかな動作でおれのレトロな愛車に乗り込んだ。
「とりあえず、どこにむかったらいい?」
おれも運転席に乗り込むと、ミサキにたずねる。
「まずはトシさんのお宅にむかいましょう。そこで紹介状をもらって、午後からセミナーがおこなわれるマリンプラザホテルに行きましょう」
おれはうなずくと、シフトレバーをドライブに入れて、アクセルを踏み込んだ。二十年以上も前に作られたおれの愛車は、最近の軽自動車よりもずっと非力なエンジンだが、おれはこのアナログな心地よい振動が好きだ。
最先端のものこそが最高なもの、なんていうのは、ただの幻想にすぎない。それが医療だろうと、車だろうとね。世の中、おれみたいな変わり者はいくらでもいる。
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