第25話 法を犯す?

     💊


 おれが薬の存在を思い出したのは、夜になってからだった。

 文字通り横殴りに事務所の窓ガラスに打ち付ける大粒の雨が、街灯の灯る街並みをにじませていた。

 持ち帰った大量の薬に、今更ながら、まずかったかな、という気懸かりもあったが、無断というわけじゃないし、どうせ明日か明後日にはごみ処理場に運ばれていたのだ。それよりも、この薬がどういうものか気になった。

 おれはスマホの連絡先から安田先生の番号を呼び出してコールボタンをタップした。

 先生はすぐに電話に応答した。


『はい、安田です』

「先生。なんでも屋のアキオだけど」

『ああ。この前はどうもありがとう。打ち上げに来てもらうだけのつもりが、酔った勢いでいろいろと無茶ぶりしてすまなかったね」


 あの話は無茶ぶりだったのか、とおれは頬を引きつらせながらも今はまず自分の用件だと思い、話題を引き継ぐのは辞めて、薬を手にとった。


「先生、オキノームって薬わかる?」


 おれの質問に、先生は、なにを当たり前なことを、といわんばかりの乾いた笑い声をあげながらこたえた。


『簡単にいえば超強力な鎮痛剤だね』

「ロキソニン、みたいな?」

『うーん、もうちょっと上のステージにある薬だよ。平たくいえばガンの疼痛治療に使われるんだ。かなり進行したガンの場合はいろんなところに痛みが出てくるんだけど、その痛みに対して効果がある麻薬性鎮痛薬だよ』

「麻薬なんですか、これ!?」


 いってから、しまった、とおれは口を結んだ。当然、先生は口調を硬くしておれのその言葉を追求する。


『どうして大澤くんがオキノームを持っているんですか?』

「実は今日、ゴミ屋敷の片付けを手伝いにいったんだけど、家主が捨ててくれといって、捨てるものならばと思って持ってきちゃったんだ。それで先生にどういうものかをきこうと思って電話したんだけど」

『なるほど……』

 

 先生は唸るようにして、ほんの一瞬黙り込んだ。そしてすぐに、いつもの柔らかな物腰でいった。

『では、申し訳ないのですが、その薬をもって僕の診療所まで来てもらえますか?』


 いつも通りのその先生の声に、おれは無意識に事務所の窓の外に視線をむける。

 見慣れた夜の街は、台風から吹き込む風にあおられて今にもこの景色ごと吹き飛んでしまいそうだ。


「今からですか?」

『はい。今すぐ君の持っている薬すべて持ってきてください。診療所の場所はバイパスのトンネルを抜けた先の信号を右に曲がった突き当りです。悪天候ですので、くれぐれも気を付けて』


 有無もいわさぬ口調でそう告げ、先生は電話をきった。

 ちょっとした好奇心のつもりが面倒なことになった。

 この風雨じゃ傘は役に立たないだろうと思い、安っぽいナイロン製のパーカーを羽織るだけにして、鍵を掴むと滝のような雨の中、駐車場にむかった。ほんと、車を買っていて良かった。 


     💊


 ワイパーすら無意味な豪雨の中、慎重に運転してなんとかたどり着いた診療所の駐車場には車が二台ならんでいた。その隣へおれの愛車を正面から突っ込む。急いで車を降りて入り口のインターホンをならす。


「いやあ、呼び出してすまなかったね。まあ、入って」


 先生はタオルを差し出し、ずぶ濡れになっていたおれを診療所の中へと招き入れた。

 受付窓口では講演会のときに手伝いに来ていた無口な女性スタッフの石岡が、制服姿で事務作業をしていた。

 一方の先生は診療が終わったのか、白衣は着ておらず、ジーンズにTシャツというラフな格好だ。

 先生はおれを診察室へと案内すると、自分はドクター用の肘掛け椅子に座り、おれは患者用の背もたれのない丸椅子に腰を掛けてむかい合った。


「それで、君が持ち帰ったという薬を見せてくれるかい?」


 おれがビニール袋いっぱいの薬をデスクの上に差し出すと、先生はその薬の量に目を丸くした。


「ずいぶんたくさんあるんですね? どこのお宅のものですか?」

「隣町のトシおばとかいう人のゴミ屋敷だよ。コウジに片付けの仕事を頼まれて行ってきたんだ。そうしたら城先生が来て、診察をしたんだけれど、その後にこれが捨てられていたんだ」

「なるほど。それで大澤くん。君はこれをどうしようと思ってた?」

「どうって……」


 別にどうしようとも思ってはいなかった。ただ、こんなに大量の薬が捨てられていることにわずかな疑問があったのと、ほんの少しの好奇心が芽生えていただけだ。なんでも屋をやっていると、いろんなものに興味がわいてくるのだ。


「じゃあ、いい方を変えよう。この薬は僕が預かってもかまわないね?」


 先生のいい方が少しだけ強い口調になっていた。

 おれがこくりとうなずくと先生は安心したように表情を緩めて、袋の中の薬をデスクの上に広げて、種類ごとにより分けていった。中に入っていたのは三種類の薬だった。


「当然のことだけど、こういう薬は医師がその人を診断し、その人の症状に合わせて処方しているんだ。その人にとっては有用な薬でも、他人には毒にもなりえるものだからだよ。このオキノームとオキシコンチンはね、ガンの痛みの緩和に有効で、他の薬では痛みを抑えられない時に利用できる。けれど、この薬は法令でも定められた医療用麻薬なんだ。取扱者は非常に細かな管理が要求される。僕の病院内でも金庫に保管して勝手に持ち出せないようにしているし、残数も帳簿をつけて管理しているんだ」


 先生は袋から薬を取り出しながら説明をしてくれる。二つの薬をよりわけると今度は、もう一種類のコンサータと記載された錠剤を手にしていった。


「これは向精神薬、脳中枢を刺激するタイプの薬なんだ。さっきのオキノームはガンの痛みの緩和に有効なんだけど、一方で眠気や倦怠感を発生させることがある。その改善のために、この薬が処方されることがある。実はこれらの薬はね……」


 先生はデスクに肘をつきながら、やや前のめりになり内緒話をするようにいった。


「売ると金になるんだよ」

「売る?」


 先生はうなずきながら、ふたたび姿勢を戻した。


「特にこのコンサータは飲むと集中力が増すといって、欲しがる人が多いんだ。メチルフェニデート系の薬には覚醒作用があって、普通の病気ではまず処方されない。だけど、医師による投薬以外でのこの薬の売買は麻薬取締法違反にあたる。万が一、君がこれを人に売ったりすれば、君も罪に問われるところだったんだ。だから、今日だったんだよ」


 先生はそういって口元に笑みを浮かべた。逆におれの背筋にはぞわりとうすら寒い感覚が走る。知らなかったとはいえ、危うく法に触れることをするところだったわけだ。


「処方された後に患者が捨てたとしても、それ自体は違法でもなんでもない。でも、病院側はそうはいかない。大量に処方した薬が、ネットオークションにでも流れて、それがまた別の事件にでもなれば、法の不備はそっちのけでマスコミが病院に群がるのは目に見えるだろう? そうなれば、僕たちが築き上げた地域医療は一瞬で崩壊しかねない。というわけで、これが表に出る前に、僕が適切に処分をしておくよ。すまなかったね、こんな雨の中をわざわざ呼び出してしまって」

「いえ、いろいろと教えてもらって勉強になりました」


 そういいながらおれはふと、今日の昼間の出来事を思い浮かべていた。あのゴミ屋敷の住人がしきりに口にしていた民間療法。もしかしたら、先生ならその答えをしっているのかもしれない。


「先生、話は変わるんだけど、ガン患者の体に何かしらの力を送って、それでガン細胞がなくなったり、小さくなったりすることってある?」

「西洋医学の世界からすればほぼないね。稀に自然消滅するガンはなくはないけれど、それはそんな胡散臭い力の影響じゃない。病は気からなんていうけれど、ガンに民間療法が通用するとは到底思えないよ」

「おれもそう思います。けど、ゴミ屋敷の住人はそうじゃなかった。薬や医療でさえも無意味だっていって、城先生にさえずっと厳しい態度だったし、もらった薬もすぐに捨ててしまった。意味がわからなくて……」

「そうでしょうか?」


 先生は椅子に深く腰をかけると、いつになく真剣な眼差しでまっすぐにおれを見据えて呟いた。


「ACPは、ケアであってキュアではない。僕たちには末期ガンの患者を治療することはできない。あくまで、自分たちの最期をどのように迎えるかを患者や家族と話し合って決めていく。会合に出席していたドクターも訪問看護師たちも、そのことをよく理解して患者様と接しています。でも、中にはそれに納得できない患者だっています。そんな方が少しでも長く生きたい、苦しみから解放されたいと願い行きつく先が、最新鋭の設備を備えた病院になるか、その民間療法になるか。ただ、それだけの違いですよ」

「でも、それなら訪問診療を受ける必要はないんじゃないですか?」


 そういったおれに、先生はクイズを出題するみたいに、「では、問題です」と返してきた。


「日本の医療は、皆が平等に受けることができるでしょうか?」

「そりゃあ、日本は国民皆保険制度だから平等だと思います」


 すると先生はゆっくりと首を左右に振っておれの答えを否定した。


「違うんです。実はね、生活保護受給者は、医療費の負担がありません。タダで医療を受けられるんです。一般の方より、優遇されています。ところが、無料で医療を受けていると、自分が受けている医療は無料だから効果がないのではないか、と疑い始める人がいます」

 先生はどこか寂し気に目を伏せた。

「まあ、当然です。私たちにはガン治療ができないのですから。結局そういう人たちが、次第に民間療法に頼るようになるんです」


 真剣に、真摯に、誰よりも患者のために思っている人だからこそ、おれは先生のその発言にショックを受けた。そして、思い出す。トシおばがいっていた人物の名を。


「先生は『サノ先生』という人物は知っていますか? その薬を捨てたトシおばは、サノ先生のおかげで薬はいらない、といってたんだ」

「サノ……この島の登録医では聞かない名ですね……わかりました。すこし、調べてみましょう。大澤君、よければ君も手伝ってくれませんか?」

「もちろんだ。おれは法律に……」


 そういいかけて、ついさっき先生がそれを未然に防いでくれたことを思い出し、いいなおした。


「先生の頼みだ。やらせてもらうよ」


 先生は、目尻に笑いじわを刻みながら「ありがとう」と礼をいった。

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