第22話 酒と男と女と

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 彼女はおれから一番遠い対面の席に着席すると、にこやかに周りの人たちと挨拶をかわす。その笑顔は一度見たら忘れることなんてできない。あの日。夕暮れの海辺で出会った白衣の天使、ミサキに間違いなかった。

 一番最後にコウジが「みなさん、お早い到着で」などと、調子のいいことをいいながらおれの正面に座った。おれが苦い顔をむけると、親指をあげやがった。完全に馬鹿にしている。


「じゃあ全員揃いましたし、意見交換会を始めましょう。まずは初参加の二人を紹介します。ケースワーカーの太コウジさん。それと、今回お手伝いをお願いしようと思っている、なんでも屋の大澤アキオくん」


 先生に紹介されて、おれとコウジは起立して一礼する。


「まあ、堅い話は後回しにしておいて、まずは乾杯といきましょう。西先生、音頭をお願いしていいでしょうか?」


 先生の対面に座っていた、いかにも重鎮といった風貌の白髪まじりの男性にそう呼びかける。俺よりふた回りほど歳は離れていそうだが、Vシネマ俳優のような妙な色っぽさがあつた。

 彼がのっそりと立ち上がるのに合わせて隣同士でビールを注ぎ合う。


「では、えー。挨拶と女性のスカートはなんとやらということで、手短に……」


 そういった割には彼の話は五分ほど続いた。いったいいつまで続くのかと、場がそわそわし始めたところで、突然なんの前触れもなく、「では、乾杯!」と彼のよく通る声が響き、慌てた様子で全員が「乾杯!」と唱和して、意見交換会という名の宴会が始まった。


 ここに呼ばれた理由がわからないまま、聞き慣れない単語の飛び交う宴会は進んでいった。

 そして、もうひとつ。

 ミサキは、ここにきてからまだ一度もおれと目を合わせていなかった。もしかして、人違いなのだろうか。おれの正面で前菜を平らげたコウジに内緒話をするように声をかける。


「コウジ。お前は今日の参加者、全員知っているのか?」

「いいや。でもドクターはわかるぜ。乾杯をしたのは、医療法人懐風会の常任理事の西先生だ。一番年配の男性は北部地域を担当している前山先生。もう一人は南部地域を担当している城内科クリニックのしろ先生だ。みんな安田先生と同じで在宅診療をやってるんだ」

「女性は全員看護師なのかな?」

「懐風会が運営するステーションの訪問看護師たちだな。診療所からの指示で、患者のところに訪問看護をしているよ。で、お前は、さっきから一番奥の彼女をガン見しまくってるけど、狙ってるのか?」

「馬鹿、そうじゃねえ。ただ、前に会ったことがあるんだ」

「ふうん。でも相手はお前のこと知らなさそうだな」


 コウジは白ワインを飲み干し、ホテルの給仕係におかわりを注文した。おれは、大きなため息をつくと、「ちょっとトイレにいってくる」とコウジに告げてこの空間から逃げるように中座した。


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 廊下の突き当りにある化粧室に入ろうとしたところで、後ろから「大澤さん!」と女性の声で呼び止められた。振り向くと、そこに立っていたのは、会場で一度もおれと目を合わせようとしなかった、ミサキだった。


「あの、私です。前に車を直していただいた、平美咲です」

「やっぱりミサキさんだったんだ? 全然目も合わせようとしないから人違いかと思いましたよ」

「すみません。職場の上司も来ているもので……それと、大澤さん、あの駐車場で出会ったこと、誰にもいわないでもらえませんか? 会社の人に知れると何かと面倒なので……」


 小声でそういって彼女は上目遣いにおれを見つめている。そんなふうにされて断る男がどこにいる? 

「ああ、わかったよ」

 そう返事すると、ミサキはくしゃりと破顔して、肩の力を抜きながら安堵の息をつく。


「よかったぁ。それじゃあこのことは二人だけの秘密にしてくださいね」


 ミサキはそういうと人差し指をぴっと唇につけて微笑み、そのままおれの横を通り過ぎて先に女性用化粧室にはいった。おれはといえば、その場に突っ立って「二人だけの秘密」なんていう甘美な響きにしばらく浸っていた。


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 会合でおれの話題があがったのは、すっかり酔いがまわってきたころだった。窓の外には夜の港の明かりが海面に映りこんで、まるで魔法の世界のように幻想的な光の環がいくつも波に浮かんでいた。


「そこで今回、僕は大澤くんに目をつけたわけですが」


 唐突におれの名前が飛び出し、慌てて声の主である先生に目をむけた。ほろ酔い加減の先生は、ご機嫌な様子で饒舌に語り始めた。


「私たち在宅医療チームは患者様やご家族様に寄り添いながら、終末期をいかに安らかに過ごしていただくかということを、最大の使命と位置づけています。しかし、皆様も実感されているように、われわれ医療者だけではどうしても取り払えない様々な障壁があります。そこで、ここにいる大澤君の出番というわけです」


 突然降って湧いたような話に、おれは両手を前に突き出し「医療や命に関わる仕事はさすがにできませんよ」と断る。

 しかし、先生は穏やかな笑みを浮かべたまま「いやいや」とゆっくりと顔の前を左右に振る。

 

「なにも君に医療を手伝えということではないんだ。ACPにおいて大切なのは患者様やご家族様とのコミュニケーションです。しかし、患者サイドからみた医療者というのは、どうしてもよそよそしい存在だ。だから代替医療が流行したり、新興宗教に手をだしてしまう人が少なくない。でも、大澤君や太君のような存在は、患者と医療者の間で触媒のように作用してくれると思うんですよ」

「いや、コウジはともかく、おれにできることなんてありませんよ」

「そんなことはない。人は何かをしようと思っていても、いざそのときに誰に相談すればいいのかがわかないものだよ。けれど君はなんでも屋として、広い交流を持っている。誰かと誰かをつなぐことだって立派な仕事だ」


 先生がいうように、誰かの協力なしに、この島で生活することは簡単じゃない。大なり小なり、この島では誰かと誰かが助け合って生きている。そうすることでこれまでやってこれたのだと、誰もが口をそろえていた。

 だから、おれのやっているなんでも屋『ゆいわーく』はただの便利屋じゃなくて、誰かの密かなSOSを感じ取り、そこにほんの少し、救いの手を差し伸べる。おれがやっていることはそうした小さな架け橋のようなものだ。

 しかし、相手が医療の現場となると、やはり話は簡単ではない。

 おれが返答しかねていると、ダメ押しするように先生がいった。


「医療はなにも治療するだけが現場じゃない。君の仕事にはまだまだ多くの可能性があると僕は思っている。どうだい、僕たちのチームに加わってみる気はないか?」


 僕たちのチーム、と先生はいった。

 おれがこの島で始めたを、先生は必要だといってくれている。

 おれのこの小さな仕事に、先生は「可能性」を見出してくれている。

 ふと対角に座るミサキと目があった。彼女もまた、期待を込めた目でおれのことを見つめていた。

 男ってのは本当に馬鹿だ。美女の前ではいつも正しい判断を誤らせてしまう。


「おれはなんでも屋だ。もちろん、やらせてもらいますよ」


 酒と男と美女の組み合わせ。この後に待つのは、多分、涙だ。

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