第21話 医療懇親会

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 先生の講演会はソロコンサートの合間に医療に関するMCを織り交ぜるといったほうが近く、会場は医療講演会とは思えないほど、笑顔に溢れていた。

 ギター演奏も趣味のレベルを超えていて、かつて音楽業界に身を置いていたおれが聞いても、安心して聞いていられるほどだった。

 「カノン」や「禁じられた遊び」のような有名な曲のほか、先生オリジナルの楽曲を弾き語りで演奏したりと、とにかくバラエティに富んでいる。

 なるほど、それでシンガーソングドクターってわけか。

 それに先生が口にする話題はまるで一人漫談のようにどれもユーモアにあふれていて、それでいてしっかりと現在の離島医療や在宅医療についてふれられていて、知識のないおれでもちゃんと勉強になる。


 講演会が終わり、会場の片付けをしていると、先生がにこやかな笑顔を浮かべて近寄ってきた。


「大澤くん、お疲れ様でした。約束通り、今日のということで、明日にでもナースとの飲み会にいくかい?」

 先生はおれの耳元に顔を寄せて囁く。

「もちろん、若いナースも呼んでるよ」


 おれはとっさに、えっ、と声を漏らして振り返った。別に先生の言葉を受けて変な期待をしたわけじゃないけれど、どぎまぎとしながら、ぶんぶんと両手を振ってその誘いを断ろうとした。


「いや、おれは別に……」

「あはは……冗談だよ、冗談。まあ、合コンじゃなく医療懇親会みたいなものでね。在宅医療に携わるドクターやナースとの意見交換会さ」

「それじゃあ、なおさら場違いじゃないですか?」

 先生は首をふり、芯のあるはっきりとした声でいう。

「大澤君はもう僕の関係者みたいなもんだ。それに今回はケースワーカーのコウジ君にも参加してもらうつもりなんだ」

「おれがその場にいて邪魔になったりしないんですか?」

「もちろんだ。会場は港町交差点にあるマリンプラザホテルの十一階、時間は明日の午後六時からだよ」

「わかりました。じゃあ今日の打ち上げくらいの気持ちで行かせてもらいます」


 先生はうなずくと「そんな感じで」といって、片づけをさっさと終わらせて、おれよりも一足先に地区公民館を後にした。


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 事務所に戻る前に階下にあるカフェ「あしびば」に立ち寄った。思った通り、コウジはいつものようにカウンターに座って、マコトとヒメコを相手に雑談に花を咲かせていた。


「よう、おかえり。ギターなかなか上手かったじゃないか?」

「コウジ。お前、もしかして先生とグルだったんじゃないか? あんなタイミングで先生が出ていったり、お前に気を取られているうちにこっそり戻ってきたりするなんて」

「単なる、偶然だって」そういうコウジの口元が悪戯っぽく歪む。「俺が到着したとき、下の駐車場で先生に出会ったのはな。で、せっかくだから、お前の演奏聞きませんかと俺が提案した」

「グルじゃねえか!」

「まあまあ、アキオもそう興奮しないで」

 ヒメコがなだめる。

「何がまあまあ、だ。お前まで便乗しやがって」

 不満顔でカウンターテーブルに肘をつくおれの前に、いつもどおりに無駄のない所作でマコトがすっとコーヒーを差し出した。


「お仕事、お疲れ様でした」


 不思議なもので、マコトの何気ない一言でおれの不満も、仕事の疲れもどこかに吹き飛んでしまう。それどころか、また次頑張ろうという気持ちになるんだから、男ってのはどこまでも現金。


「それはそうと、アキオも明日の合コンに誘われたんだろ?」

「合コン!?」


 ヒメコが蛇のような目で睨む。コウジはマコトとは正反対だ。こいつの一言でいつも物事はこじれる。


「合コンじゃなくて医療懇親会だ! だけど、なんでコウジやおれに参加してくれなんて話になったんだ?」

「さあな。アキオになにか頼みがあるんじゃないか?」

「頼み?」


 マコトのコーヒーをすすりながら、おれはオウム返しにいう。コウジはいつも通り、風に舞う木の葉のような掴みどころのない態度で笑った。


「だって、アキオはなんでも屋だろう?」


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 マリンプラザホテルは複数の宴会場をもつ島の老舗ホテルで、以前にも忘年会などに呼ばれたことがあった。

 とはいえ、東京のシティーホテルのような立派なロビーがあるわけではなく、こぢんまりとしたフロントカウンター横にエレベーターが二機ならんでいて。そのそばに宴席一覧表が真っ白な模造紙に筆文字で書かれているだけだった。

 おれはエレベーターで十一階にあがり、部屋の前に「離島在宅医療フォーラム 御席」と表示されたドアを開けた。

 最初に目に飛び込んできたのは会場のほぼ半周をぐるりと囲む大きなガラス窓に映る、黄昏どきの港の風景だった。赤とも黄色ともオレンジとも表現しがたい、炎が燃えるように光る海面には、入港してきた大型フェリーが、ゆっくりと方向転換しながら接岸していた。


「やあ、大澤くん。よく来てくれたね」


 会場の中央で安田先生がにこやかにいった。横並びで五脚ずつが対面になった座席の一番下座に、「失礼します」と会釈をして浅く腰を掛ける。

 おれ以外には先生の他、年配の男性とおれより少し上に見える男性が一人ずつ、そして年配の女性二人と若い女性がすでに着席して、なんということはない世間話をしていた。コウジはまだ来ていないらしく、おれはなんとも所在ない心持ちで、会場の一角で存在感を消そうと努力していた。

 そのとき、会場の扉がそっと開き、中の様子をうかがうように一人の女性が会場に入ってきた。


「あの、遅れてすみません」


 そういいながら会場に姿を見せたのは、ゆるやかに巻いた髪が上品な印象のすらりとした細身の女性だった。淡い色合いのサマーニットのトップス、そして花が開いたように柔らかなプリーツのブルームスカートが、風になびく南国の花のように彼女の歩みに合わせて揺れていた。

 おれは自然と、彼女を目で追ってしまう。美人が目の前を歩けば、誰だってそうするものだけど、今回に関していえば、そんなやましい気持ちだったわけじゃない。

 おれは彼女を知っていたんだ。

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