第20話 前座
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結局、おれは来場者たちの小さな拍手に迎えられて、ステージ上にギターを手に進み出た。
意外だったのは、老若男女問わず幅広い層が先生の講演に来ていることだった。
なんの挨拶もなしというのも変だったので、一言だけ挨拶代わりのMCをいれる。
「えっと、みなさん。今日は安田先生の講演に来られたと思うんだけど、先生が遅れているようなので、到着をお待ちいただく間に、ギターの演奏を楽しんでもらえたらと思います。おれは市内でなんでも屋をやっている大澤アキオといいます。今日も手伝いに来たつもりが、先生に前座を頼まれてしまいました。正直、ついさっき頼まれて、なんの用意もしてなかったので、いろいろとトチったらすみません」
おれが頭を下げると、最前列に座っていたコウジが「よっ!」と間の手を入れて、ひとりで賑やかに拍手をする。おれは、こうなった元凶をひと睨みしてから、ステージの椅子に腰を掛けて先生のモーリスのギターを構える。
「今日はギター伴奏でシマ唄をやってみようと思うんで、聞いてください」
そういって、一旦間を置くように深呼吸をする。東京で初めてストリートに立ってライブをした時のような、妙な緊張感があった。左の指先に視線をむけ、ポジションを確認して、ふっと短い息をついた直後、おれの右手がしなやかな動きで弦を弾いた。
Fマイナーをベースにした、哀愁を感じさせるアルペジオに歌をのせる。
〽行きゅんにゃ
スラ が
行きゅんにゃ
歌詞の意味は、あなたは行ってしまうのでしょうか? あなたの元を出発したものの、どうにも心が苦しいのです、という男女の別れを独特な悲哀感に乗せてうたっている。
本土から遠く離れたこの島での旅立ちは、もしかすると今生の別れになるかもしれなかった。だからこそ、こんな歌がうたわれ、そして今日まで受け継がれてきた。
この島に暮らしているうちに、なんとなくそう思うようになった。
一曲うたい終えると、なんだか調子が出てきて、おれはもう一曲やることにした。
医療関係の講演会ということもあり数少ないレパートリーのなかから、『豊年節』という曲の一節を選ぶ。
物悲しいメロディの行きゅんにゃ加那とは違って、Aメジャーのコードを弾むようなリズムでにぎやかに弾き鳴らす。
〽イヨーハレー にしぬ古見ぬ
ヤレー ヤラシバ マタコイコイ
昔、古見という場所に住む、まんかめという女性が病気になった。
人びとがいうには、医者の出す薬よりも、愛する長次郎の腕枕のほうが彼女の何よりの薬だ、という、シマ唄にはよくある「噂話」の類の歌詞だ。
だが、おれはこの歌詞の妙なリアリティが大好きだ。
四百年以上も前の人たちだって、今のおれたちと何も変わらない、そう感じさせてくれるいい歌詞だと思わないか?
おれの演奏が終わったとき、会場の後ろの席に座っていた男性が立ち上がり拍手を送ってくれた。
まさかのスタンディングオベーションにおれはぎょっとして、その男性をじっと見つめた。そして、あっと短い声を漏らすと同時に、裏返りそうな声でいった。
「安田先生!?」
そこで立って拍手をしていたのは、おれたちが到着を待っていたはずのドクター、安田昇だったのだ。
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「いやあ、素晴らしい演奏だったよ。みんな、もう一度大澤くんに大きな拍手を」
先生はそういいながら会場の拍手をあおりつつ、このステージに近寄ってくる。「お疲れ様」とおれの肩を叩くと、何事もなかったかのようにさっきまでおれが座っていた椅子に、自分のクラシックギターを構えて座った。
「えー、彼のプロみたいな演奏の後じゃ耳汚しにしかならないけどね。さっそく今日のお話をしたいなと」
そういって先生はギターを構えたまま話を始めた。おれは手招きするコウジの横の席に座る。そして先生が話し始めたその最初の一言に仰天してしまったんだ。
「遅れて申し訳なかったですね。実は今日は患者さんの看取りだったんです」
看取り、と先生はあっけらかんといってのけた。
先生が呼び出されたのは人が亡くなったから、ということだ。それだというのに、先生の表情にはどこにも悲壮感が感じられなかった。
「今日、看取った方は膵臓を悪くしてらっしゃってね。しばらく県立病院にも入っていたんだけれど、本人のご意向もあって在宅ケアに切り替えたんです。今朝、電話があって私が到着したときにはすでに息を引き取られた後でね、訪問看護師とともに死亡後の処置をして、ご家族に『よく頑張って支えて下さりましたね』と、労ってきたところです」
世間話でもするような軽い口調で先生は語る。
おれには先生がなぜそんなにも、人の死についてあっけらかんとしていられるのかが不思議でならなかった。
「今までだったらね、今日みたいな日は大変だったんですよ。患者さんのご家族は、いつになったら先生は来るんだ! といって看護師を急かしますし、病院で診察待ちをしている方には『在宅の方の容態が急変したので』と説明をして、日を改めてもらわなきゃならない。講演会の日に重なったりすると、急遽中止にすることだってあった」
先生は穏やかな笑みをその口元に湛え、会場を見渡す。
「けれど、こうやってみなさんとお話する内に少しずつその意識が変わってきた。それは、在宅ケアに関するみなさんの心構えが、終末期であっても、自分らしく生き、そして自分らしく最期を迎えたい。つまり『
そう話す先生の言葉はひとつひとつがわかりやすく、そして優しく心に響いた。
在宅療養というのは、同居家族の肉体的、心理的両面の負担が大きくなりがちだが、先生は終末期における治療に、がん患者や家族が、医療チームと相談を繰り返しながら治療や療養の方針を決めていく、
ACPでは医師、看護師、介護士などがひとつのチームとなって患者や家族と接することで、心身の苦痛を和らげるだけでなく、それを予防し、生活の質を高める役割があるのだ。
島では大規模病院が少ないにもかかわらず、高齢化は年々深刻化していて、終末期を病院ではなく在宅で過ごすことができる環境作りが急がれているのだという。先生はそれを地域包括で行うための旗振り役なのだそうだ。
彼の往診は、年間にすると千五百件を超えることすらあるという。そして、月に数名、旅立っていく人を看取るという先生の話に、おれの興味は尽きることはなかった。
離島というこの特殊な環境において、先生の考える医療は不可欠なものだと、深く納得させられた。
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