第7話 マングース退治

     🐍


「取り逃がしたぁ!?」


 おれの耳元でコウジが大声をあげる。おれは顔をしかめながら、上半身をのけぞらせて距離をとった。尻の下でカウンターチェアがきっ、と小さな金属音を立てる。


「しょうがねぇだろ。相手スクーターだったんだぞ」

「俺そういっただろ?」

「いってねぇよ。ハブを持ち込んだっていってただけだ」


 おれがため息をつくと「そうだったっけ?」と、とぼけながらコウジは焼酎を飲み干し、カウンターの中のマコトにおかわりを注文した。国内でもこの島だけに製造が認められている、特産の黒糖焼酎だ。島人しまっちゅたちにとって、焼酎といえば麦でも芋でもなく、黒糖なのだ。

 ヒメコに接触を試みて失敗したあと、あしびばで意気消沈しながら一杯引っ掛けていると、仕事終わりのコウジが現れて席を同じにしているというわけだ。ヤツはいつもこういうタイミングで現れては、人の不幸を酒の肴にするタイプなのだ。


「それにしても、そのヒメコちゃん。まだ高校生なのに、ハブハンターをするなんて、ずいぶんと危ない橋を渡っているのね」


 不安げにそういいながら、マコトは淡いブルーの琉球ガラスに入った焼酎をコウジの前に差し出し、さりげなくヤツが飲み干した空のグラスを下げた。マコトの動きは一つひとつ無駄がない。見ているだけで、惚れぼれとする。しかし、今はマコトよりもヒメコだ。おれは邪念を振り払うと体をカウンターチェアごとコウジのほうへむける。


「コウジはヒメコについてなにか情報もってないか? 明日、コウジのよこした仕事の手伝いに行くんだ。そのくらいのギブアンドテイクは当然だろう?」

「うーん、守秘義務がなぁ」


 わざとらしく腕組みするコウジの後頭部をおれは「おい」といって小突く。これまで何回も同じやり取りを行っている、おれたちなりの様式美だ。


「ハブキチさん一家は島出身じゃなくて移住者だ。ヒメコは学校でも交友関係が広いほうじゃなかったみたいだな。ヒメハブなんてあだ名で呼ばれていたらしい」

「ヒメハブ?」とおれは首をかしげる。

「ああ、一般的なホンハブよりも太くて短い蛇で、毒が弱くて動きもノロいんだ。だから、ヒメハブってのは『ノロマ』って意味でつかわれることもあるんだ」

「じゃあヒメコのあだ名はあまりいい意味じゃなさそうだな」

「それでも毒は持っているし、役場に持っていけばヒメハブにもちゃんと報奨金出るぜ」コウジは得意気に胸を張る。「まあ一応、今日のことはハブキチさんには連絡を入れておくほうがいいな」

「そうだな。ところで、ヒメコが行きそうな場所ってどこかありそうか?」


 おれの質問にグラスに口をつけながら「どうだろうな」とコウジは横目でおれを見る。


「ヒメコがいつからハブハンターを始めたのかはわからんが、夜にハブのいそうな森を探せば見つかるかもな」


 その答えにおれはがっくりとうなだれた。この島は面積のほとんどが山林だ。おまけにワタルがいっていたように、その奥地ともなれば、ほとんど誰の目にも触れることがないような場所。ハブどころか出会ってはいけないものにも出会えそうだ。

 おれは大きく嘆息をして手元のグラスに視線を落とした。せっかく見つけたヒメコだったが、今日取り逃がしてしまったのは痛いミスだった。


「まあ、今日は諦めな。酒を飲んでるし、何より明日の仕事に差し支えたら困るからな」


 コウジの言葉はおれへの気遣いではなく、自分のメンツのためだ。だからといって、おれも受けた仕事をすっぽかすような真似だけはしない。こういう仕事は信用がものをいうからな。


「そういうわけで、明日はよろしく頼むわ。もしかしたら、手伝い中にヒメコの痕跡を見つけられるかもしれないし」

「お前はいつも前向きだよな」

「それじゃ、明日のアキオの仕事の成功を願って乾杯!」


 コウジはグラスを高々と掲げてみせた。おれは力なく微笑んで、そのグラスにカチンと自分のグラスを合わせた。

 結局、その日、おれがベッドにもぐりこんだのは、日付をまたいでからだった。ハブキチさんへの連絡はまた明日でいいか。そんなことを考えながらおれは青く深いまどろみの海の底に沈んでいった。


     🐍


 翌朝、おれはスクーターに乗って事務所を出発した。ガソリンが少し心許ないが、行って帰るだけの余裕はありそうだ。

 気温は遠慮なく三十度を突破し、今日はかなり厳しい暑さになりそうだ。それでも、スクーターで海沿いを走っているのは気持ちがいい。

 やがて道は海岸線を離れ、緩やかに登りながら、山あいを抜ける。どこかで、キョロローと美しい鳥のさえずりがしていた。

 そうして、走ること30分。野生生物研究所に到着したおれを、宮崎さんが出迎えてくれた。


「よういもりしょったな! きょらねっせ色男!」

「久しぶりです、宮崎さん」


 丸顔でよく日焼けした宮崎さんは、おれの肩をばしばしと叩く。研究所の所長というと、なんとなくインテリジェンスなイメージがあるが、宮崎さんはつなぎ姿に長靴、マルつばの麦わら帽子と、農家のおじさんみたいな風貌だ。


 この島に棲息する固有種の数は世界的にも多く、貴重な生物が数多く存在する。一方で、それらの希少野生生物の多くは絶滅の危機に瀕している。宮崎さんたちは県からの委託を受け、そうした希少生物を調査、保護増殖する事業に取り組んでいる。

 ただ、この手の活動に充てられる予算は驚くほど少ない。職員の給料だって決して高くはないが、それでも彼らはこの島の環境や生物多様性が永遠に守られていくことを理念に掲げて懸命に働いている。

 

「早速で悪いが、今日は原生林のマングースの調査だ。移動するんで、うちの車に乗り換えてくれ」


 おれは駐車場に停めてあったワンボックスの後部席に乗り込む。その足元に転がっている細長い木製の棒を見て、おれは無意識にため息をこぼした。

 長さ一.五メートルほどの角材には、金属の棒を曲げて作った取っ手のようなものがついている。その取っ手には太いゴムバンドが結わえ付けられており、取っ手の反対側は棒の先端で鉤爪状になっている。

 それはこの島で『ハブ捕り棒』と呼ばれる、ハブ捕獲用の道具だった。ハンドルになる取っ手を押し出し、鉤爪になっている部分にハブの頭部を引っ掛けハンドルを放すと、ゴムの力で鉤爪が戻り棒の先端に挟み込む仕掛けになっている。


「やっぱりこいつ、使いますよね?」

 運転席に乗り込んだ宮崎さんに聞く。


「素手じゃ危ねえど」

「そういう意味じゃなくてですね」


 おれがいうと、宮崎さんはまた笑った。


「冗談じゃ。まあ、そいつは山歩きのお守りみたいなもんじゃ。ハブなんて別に珍しくもなんでもねえっちば。ま、捕まえたら、の足しにでもしてくれ」


 車にはおれと宮崎さんを含め六人が乗り込んだ。今日は島の中心部に広がる原生林で調査をするというので、そこからさらに車で一時間ほど揺られることになった。

 現地に到着すると、そこはまるで恐竜映画にでもなりそな、鬱蒼とした森だった。


「それじゃあ、二人組で調査するから、大澤君はワンと一緒に行こう」

「わかりました」


 二人組が三方に分かれて調査を開始する。調査は地図に記された罠の確認だ。山林の広範囲にマングース捕獲用の筒罠が仕掛けられていて、目印として罠の近くの木には赤いリボンが括りつけてある。

 地図とその目印を頼りにひとつずつ罠を確認して、マングースが捕獲されているかどうかを調査するのだ。

 これはかなり根気がいる作業だ。なにせ、山の中をひたすら歩くのだ。

 当然、ヤツと遭遇する確率も高い。

 そう、毒蛇のハブだ。

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