第5話 フトリコウジ

     🐍


『よう』


 電話口の男は陽気にいった。ハードワークで有名な保護課のケースワーカーとして働いているが、ヤツの性格からなのか、それともその仕事がヤツの天職なのか、とにかくいつ会っても気楽な男だ。


「どこかで見ていたようなタイミングだな」

『なにが?』

「さっき市役所に行ってきたところだ。お前、今日は外勤だろ? 電話大丈夫なのか?」

『外勤だから自由にできるんじゃないか。それよりも、アキオ。明日時間作れないか?』

「あした?」

『おう、前にもやっただろ? 宮崎さんのところの手伝い』


 おれは、「ああ、マングースか」と沈んだ声で相槌をうった。

 宮崎さんは島にある野生生物研究所の所長で、島の野生生物保護のために活動をしている。

 その活動の一つにマングースの駆除というのがある。

 この島には毒蛇ハブがいるといったが、島ではかつてそのハブを駆除するために、ハブの天敵であるマングースを山に放ったのだ。

 ところがマングースは人間の目論見通りにハブを捕食せず、それどころか島の貴重な固有種であるアマミノクロウサギなどを捕食し、しかもその強い繁殖力であっという間に増殖して、島本来の生態系を破壊してしまった。

 結果、今ではマングース自体が駆除の対象になってしまったのだ。


 おれは気分で依頼を断ることはない。ただ、ここの手伝いは神経を使う。マングースの生息域とはつまり、ハブの生息域だからだ。


『そう嫌そうにするな。今年は手伝い料として、捕まえたハブは全部くれるってよ』


 嬉しそうにコウジはいう。

 この島ではハブの防除対策の一環として、生きたハブを捕獲し、保健所に持ち込むと、一匹当たり三千円の報奨金が出る。その報奨金を目当てにハブの捕獲を専門的におこなう「ハブハンター」という仕事をするツワモノまでいるくらいだ。


「全部つったって、道中ハブが捕れるかなんてわかんねえだろう?」

『いなけりゃ、それに越したことはねぇよ! 頼むよ、俺の顔を立てると思ってさ。な、予定空いてねえか? ちゅうか、空いてるだろう?』

「悪いが、今日ある人から依頼を受けたんだよ。三日間で。だから今回は悪いが他をあたってくれ」


 おれは悪びれることもなくいった。依頼は事実だ。


『仕事? 三日間もなにするんだ?』

「そうだ、お前に少しききたかったんだが、土生吉助って人、知っているか?」

『ハブキチさん? ああ、知ってるもなにも、俺の担当区域だぜ』

「なんだと!?」


 おれはスマホにむかって叫ぶようにいった。受話器のむこうで小さな悲鳴が上がる。


『大きな声を出すなよ! それで、ハブキチさんがどうしたんだよ?』


 ああ、やはり持つべきものは友人だな。「雲をつかむ思い」が、「藁にもすがる思い」程度に緩和されたような気がして、おれはその藁に手を伸ばしたのだ。

 しかしまあ「溺れるものは藁をもつかむ」とはよくいったもので、おれはまさにその深みにはまりかけている愚かな男なのだ。


「そのハブキチさんが依頼人なんだが、娘さんがここ数日帰ってきていないらしい。それで、おれのところに探してほしいと。コウジ、心当たりはないか?」

「娘さんって姫子さんがか? でも、なんで警察じゃないんだ?」


 コウジは土生の娘の名前も知っているようだった。そして彼の口にした疑問ももっともだった。実際、おれも同じことを土生に伝えている。そして彼はおれの問いに首を振ってこういったのだ。


「もしかしたら娘のヒメコさんが、何かの犯罪に手を染めているのではないか、ということを土生さんは心配しているんだ」

「犯罪に?」

「ああ」おれは電話口でうなずき、ついさっき事務所での土生の言葉を口にする。「ヒメコさんは高校に入って一か月ほどで学校に行かなくなったらしい。いつも昼間は寝ていて、夜になると家を抜け出すようにしてどこかに行ってしまうんだそうだ。それで……」


 おれは少し口ごもる。土生やその娘の姫子のことを知っているコウジに依頼人の相談内容を漏らすようで、多少は良心が咎めたのだ。しかし、ヤツはノリは軽いが、信用できない男じゃない。俺はコウジに聞いたままのことを伝える。


「ハブキチさんが娘さんの部屋で、注射器のようなものを見かけたといっていたんだ。それで、夜出歩いてはそういう悪い人たちと交流をしているのではないかと気にしている。一刻も早く真相を突き止めたいが、下手に警察のご厄介になって、娘の経歴に傷をつけるのを恐れているんだ。まだ将来のある高校生だからな」

『なるほどな。夜中に出歩く……か。おい、アキオ。案外簡単に解決するかもしれないぜ』


 おれにはまだ事件の全体像すら見えていないというのに、ヤツには心当たりがあるのか、自信ありげにいい切った。おれは声のボリュームを一段あげて問いただす。


「なにか心当たりがあるってのか?」

『ああ、見かけたからな。ヒメコのこと』

「見かけただと!?」


 なんということだ。藁にもすがる思いが、地獄に仏、大海に木片、いや、渡りに船だ。ヒメコを探すという依頼がものの数十分で解決の糸口が見つかるとは、やはり持つべきものは友なのか。


「いつ、どこで見かけたんだ!?」


 まくしたてるおれに、電話口でもったいぶったように『そうだなぁ』とコウジはうそぶく。このとき、おれは見えないはずのヤツの口元が、ぐにゃりと歪むさまをありありと想像することができた。


『アキオ、明日の予定ってどうなっていたっけ?』


 ちくしょう、おれが乗った船はどうやら泥船だったようだ。

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