第4話 ワタリワタル
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事務所で二十分ほど土生の話を聞いてから、連絡先を交換すると「すぐに連絡をいれるよ」といって、いったん今日のところは引き取ってもらった。
安物のオフィスチェアの背もたれに体重を預けながら、おれは無意識のうちに窓の外を見る。汚れたポロシャツ姿の土生が通りを歩いていくのが遠目に見えた。あしびばに現れたときのように、背を丸めてなんとも頼りなげだ。
さて、どうしたものかと深いため息が漏れる。ゆいわーくはなんでも屋だが、だからとといってどんなことでもするわけじゃない。
できないことのうちのひとつは法律に触れること。
もうひとつは、完遂できないと思う仕事だ。
努力し時間をかけて依頼を成し遂げられるものなら受ける。しかし、物理的、時間的に不可能だと判断した場合は受けることはない。
今回の土生からの依頼は、本来ならば断わるような案件だった。どちらかといえば後者に近い理由だ。だが、土生は頑としておれが進言する警察への相談をはねつけた。
結局、おれが三日間だけなんとか頑張るが、それ以上は警察の出番だといって、双方が妥協する形でついさっき、彼は帰っていったというわけだ。
腕時計に目をやると時刻は午前十時を少し回ったところだった。兎にも角にも、まず情報収集が必要だと判断したおれは、歩いて市役所にむかうことにした。
この島にやってきたばかりの頃、おれを
保護課職員のコウジは妙に交友関係が広い男だった。ケースワーカーとして勤務する中で、いろんな人たちとの繋がりが増えていったのだと、ヤツは飄然とした掴みどころのない様子で語っていた。
そこで、おれはコウジが有力な情報をもっていないかと考えた。なにしろ、今はまるで手がかりがなく、雲をつかむような気持ちなのだ。
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事務所の扉にかけた札を「外出中」の表示にかけ替えると、おれは階段を降りて外に出た。
テナントビルの一歩外に出ただけで、初夏のむせるような湿度を帯びた熱気が、Tシャツ姿のおれの周りにまつわりついてくる。南国とはいえ、カラリとした気候ではないこの島ではごく当たり前な朝の空気だ。
事務所の前の交差点を市役所のある西むきに歩いていたところで、おれは後方から「おい!」と呼びかけられて、はっとして振り返った。そこには、警察官の制服に身を包んだ男が、自転車にのっておれに近づいてくるところだった。
近づいてくる警察官に、「なんだワタルか」と、安堵まじりいった。
彼はこの島の地域課の巡査、
「どうした? 朝っぱらからパチンコか?」
「馬鹿いえ。仕事だよ。ついさっき依頼を受けたんだ」
「ヤーに仕事ば頼むなんて、依頼人はよっぽど物好きじゃや。またどこかの祭りの手伝いか?」
「いや……そうだ、ワタル。もしわかるなら教えてほしいんだけど、この島で誘拐事件というのはよく起こるか?」
はあ? とワタルは顔を歪めた。ずいぶんとあさってな質問だったようだ。ワタルは馬鹿馬鹿しいといわんばかり調子でいった。
「めったに起こらんちょ、そんな事件。だいたい、この島には身代金目的になりそうな大富豪なんておらんしよ。ありゃ刑事ドラマの中だけの話ど」
「そう、だよな。すまん、変なことを聞いた。ちなみに、家出人の捜索なんていうのはどうだ?」
「夏休みなんかに、子供が一晩帰って来んなんて話はあるけどな。こんな狭い島、家出してもどこにも行けんちば。それよりもなんだ? アキオはまた何か変な依頼受けたか?」
心配しているわけではなさそうだが、ワタルは眉間にシワを寄せながらきいてきた。おれは「いや、ただの興味本位だ」といって、ワタルの前に手のひらをかざして、この会話を終わらせる。すると、今度はワタルかが「そういえば」といってあごをさすった。
「ちょっとまえに、原生林で死体遺棄事件ちゅうのはあったや。そんときは、島外で殺害したホトケさんを、この山ん中に捨てたっちゅう事件だったがな。あそこは環境対策課とか野生生物研究所が調査に入る以外は、滅多に人が立ち入る場所やあらんからよ」
「原生林か……」
ワタルの言葉に、おれは行方不明者が原生林に潜伏するだろうか? と考え、それはあまりにも馬鹿げていると、すぐに頭の中から一掃した。
この島の森の中には、毒蛇ハブが棲息しているのだ。
「ま、アキオも無暗に原生林には近づかん方がいいぞ」
「ああ、そのつもりだ。おれはハブに興味がないからな。すまんな仕事中に」
おう、といってワタルは自転車にまたがり、朝のパトロールに出かけていった。一見平和そうなこの島でも、警察官はいろいろと忙しいんだろうな、と走り去る後ろ姿を見ながらぼんやりと考えていた。
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ワタルと別れて数分も歩かないうちに、おれは市役所に到着した。エントランスは閑散としていて、のんびりとした空気で満たされている。
階段をひとつ降りて保護課にむかう。くたびれた様子の男が長椅子でつまらなそうな顔をして順番を待っていた。
執務室にコウジはいないらしく、おれはカウンターの一番近くに座っていた女性の事務員に「すみません」と声をかけて呼んだ。メガネをかけた真面目そうな事務員は、カウンターにやってきて「はい、なんでしょう?」と応対をする。
「今日は
「ああ、彼なら今日は家庭訪問にまわっていますから、戻るのは夕方ですね。戻りましたら連絡させましょうか?」
おれは「いや、じゃあいい」と断って、踵を返して庁舎を出た。六月に入ったばかりだというのに、気温は三十度はありそうなほど熱気がこもっている。おまけに、梅雨のこの時期は異様に湿度が高く、その不快な空気はおれの気持ちを沈ませるのには十分だった。
次の手をどうしようか、と考えていた矢先、ポケットの中でおれのスマホが振動し、着信を知らせた。それを取り出すとディスプレイには大きな文字で『太浩二』の名前が映されていた。
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