第7話 和壊、世壊、奇々怪々

「お願い……殺して……!」


 イーサンの声、マイの声。どちらも悲痛なものだった。2人の身体は動き出し衝突し始める。タスクは遅れながらもドイルへと声をかけた。今の彼は水の檻に囚われ身動きが取れない。


「イーサンはああ言ってるけど、ウチは諦めてないから。娘さんには昨日も助けてもらったし今度はウチが助ける番」


 一瞬だけ親指を立てたタスク。笑顔は無い意思表示だったがドイルは頷き、託した。


「頼んだよ……私の娘を」


 妻はマイを産んでからすぐに亡くなった。マイはそんな妻が遺した、ドイルにとって大切な宝物。マイの望む事は全て叶えてきたつもりだった。しかし今のマイの願い、自死は許せるはずがない。

 

「本気で殺す気なの、イーサン」


 水の道を走りながら攻撃のチャンスを伺っていたイーサンに問いかけるタスク。右腕を失った状態であれば捕縛は可能だと踏んでいた。だがイーサンの意思は揺らがない。


「そうだ。人形ドールが自我を持って持ち主の身体を乗っ取るなんて聞いたことがない。この後どんな風に変化してもおかしくない。それに新しい人形を創り出してもいた……俺達が負けて死ぬ恐れだって、なくなったわけじゃない」

「だからって、殺すなんて」

「それだけじゃないんだ! 俺は14年前、孤児院に行ったから分かる……マイの性格であればあの惨状を自分のせいだって背負い込むはず。その辛い思い出を共有できるはずだった付き人も、キーネも、ジャムももう死んだ! 叶えてやるべきなんだよマイの願いを!」


 イーサンは他人のために他人を殺せる人間。ダムラントがイーサンの事を信頼する理由がこれだ。マイ自身のため、そして自らの祖母のために殺す。


「死にたいって記憶を付き人が取り込んでたんだろ? だったら今ここで助けてもまた死のうとするだろう。俺は本気の命乞いを何度も見てきた。マイの言葉は……その逆だ。本気の、本音の自死願望だ」


 ナイアでなくとも分かる、偽りのない本音。それを受け止めて叶えてやろうとイーサンは意気込んだ。出来るだけ苦しみを与えない即死を狙う。頭部から胸にかけての部位に船首を当てる事さえ叶えば可能だ。


「そんなことはさせない……お嬢様を死なせはしない」


 相変わらず【WORLD】は拒否を続け、自らは攻撃せずひたすら回避を試みていた。泣き叫ぶマイの身体を操り向かってくるボートを必死に避ける。


「イーサン、はやく……死なせて!!」


 マイの意識は更に鮮明になっていく。聞いているだけで神経がすり減っていく悲鳴だ。イーサンも焦り始め歯を食いしばる。その背中を追っているタスクは加勢しようとローラースケートの車輪を全力で回転させた。


「新しい力を……【VARIANT】!」


 マイの背中から伸びる右翼が『水色』に光る。彼女の右側頭部付近に浮かび上がったのはマイの背丈程もある巨大な筆と、水色の絵の具が用意されているパレット。やはりこれも子供用の物を模した人形だ。筆は空中に数字の『10』を描くと実体化、氷塊となり突撃を始めた。絶え間なく『9』『8』と描き続ける。


「タスク!」

「大丈夫だよ」


 イーサンは【INSIDE】の破壊能力で、タスクは火炎を纏った蹴りで突破が可能。2人並んで迎撃を行い、段々と距離を詰めていく。単なる物理攻撃で特殊性のある能力は見受けられなかったが、まるでカウントダウンのようにも捉えられる【VARIANT】は不気味だ。『4』が描かれたその瞬間、今度は翼が『オレンジ色』に光った。能力の同時使用。未知の能力がやってくると察した2人は更に勢いを加速させた。


「0になる前に仕留める!!」


 イーサンの迫力は凄まじく、並んでいたはずのタスクを簡単に追い抜いた。数字が0になってしまえば何かの能力が発動するのか、それともブラフで『オレンジ色』が本命なのか。いずれにしても先に破壊能力を決められれば関係なく勝利を掴める。躊躇する理由はなかった。

 本物の『殺意』がイーサンから溢れ出る。マイへと向けられるその殺意を【WORLD】も感じ取る。『3』『2』と数字は小さくなっていく。『1』が描かれた時には既にイーサンはマイの目の前にまで迫っていた。薄い氷塊の『1』を壊し、ついに目と鼻の先。マイの背後に『0』の氷塊が描かれた。


「【ENCOUNTER】」


 現れたのは『オレンジ色』の人形ドールだった。これも巨大なもので、文房具であるコンパス。『0』の氷塊に針の部分が上から突き刺さる。驚いたイーサンだったが怯む事なくボートの船首をマイに触れさせようとした。しかしコンパスが動くと連動するようにイーサン及び【INSIDE】も強制的に移動させられてしまう。針を中心として、イーサンが近づけるのはコンパスの鉛筆部分まで。いつまで経ってもマイには辿り着けず回転させられるだけ。一瞬でイーサンはそう理解したが氷塊が出現する。


「死ね」


 今度は絵を描かず、乱雑に筆を振る事で絵の具を撒き散らし無数の氷塊と化した。


「イーサン!!」


 焦ったタスクは先にマイの動きを止めようと飛び蹴りを狙った。だが再びコンパスが動き、イーサンとボートはタスクへと体当たりの形になってしまう。隙だらけだった。床に転げ落ちた2人に氷塊が突撃する。先程までの数字とは違い細かい粒状で、まるで弾丸のように身体に突き刺さった。


「終わりだ」


 更なる追撃として【IMAGINATION】。鍵盤ハーモニカの32音全てを鳴らし、火球を同じ数出現させたかと思うとそれらを一体化させた。この空間、廊下の天井は大人2人分の高さがあったがそれと同等の大きさまで膨張し発射された。


「っ……全力だ【INSIDE】!!」


 もたつきながらも【INSIDE】に乗り込み火球と正面衝突。胸や腕にも氷塊は刺さったままで。叫びながら破壊を試みた。


「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 破壊能力でも一撃では壊せなかった。32の火球の集合体、“破壊”も1つずつ行われる。どんどん小さくなっていくのは見て取れるが、熱風は容赦を知らない。氷塊が溶けた事で身体に空いた穴から血は派手に吹き出る。


「タスク……離れろ」

「……わかったよ」


 命懸けの時間稼ぎ。タスクもふらついていた。このままイーサンが抑えていれば火球は無力化できるが【WORLD】が黙ったままのはずがない。火球が小さくなり人1人分の隙間が開いたら突っ込んでくるはず、とイーサンは読んでいたが───現実は違った。


 火球の中央に穴が空く。イーサンの胸に何かが突き刺さった。刀剣の【SAMURAI】だった。風を纏う事で無理やりに火球を突き破っていた。


「がっ……は」


 イーサンの力が弱まり、限界だった。火球を抑えきれなくなり逃げようとしていたタスクごと直撃。身体に刺さった氷塊は一瞬にして蒸発し、衝撃により吹き飛ばされ廊下の突き当たりの壁にぶつかった。


「少し手間どったが……【ENCOUNTER】を手に入れた私の勝ちだ。今の人形ドール創造権は私にある。私の経験や願望が元となるが……半端なものでは力不足だ。だからカウントダウンを刻む事でお前に確かな殺意を抱かせた。そしてその殺意を私は強く拒否した……そんな願いを叶えるための力が【ENCOUNTER】だ。“殺意を伴った事象を近づけさせない”能力。経験と願望を重ねてようやく作り出せた」


 殺してほしい、というマイの願いを踏みにじるような能力が誕生した。殺意を持った人間にはマイを殺せない。事故や病気以外では殺す方法は無いかに思えた。


「おい、タスク……」


 イーサンとタスクは背中合わせで横たわっていた。もう起き上がる余力すら潰えた。致命傷を受けたと確信したイーサンは弱々しく呟く。


「悪いな、巻き込んで。お前を保安局に就かせるってモントとの約束も……守れなかった」

「別にいーよ……でも、これからどうなるんだろうね」


 誰もマイを殺せない。このままでは【WORLD】が好き勝手に暴れてしまい更なる犠牲者が生まれる危険性もある。だがイーサンには見えていた。走ってきている1人の男が。


「お前なら……やれるかもな、ロック」


 一緒に向かっていたはずのナイアの姿は無い。ロックの目に映ったのはゆっくりと瞼を閉じるイーサン。顔は見えないがほとんど動いていないタスク。そして視界の右端にはマイ。


「そっか、ロックも来たんだ……じゃ……大丈夫かな」


 その言葉を最後にタスクも動かなくなった。モント、ラヴちゃんに続いて人の死に立て続けに直面したロックは呆然としたまま、マイの方を向いた。右腕がなくなり、涙を流しながら見つめてきている。


「お、ねがい……私を殺して!!」


 自分がイーサンとタスクを殺した。強い罪悪感を持ったマイの意識がまたしても表に出る。


『イア……そんな、俺のせいで?』

  

 イアを死なせてしまった優しさ。


『俺は“優しい”らしい……からな』

 

 ジャムを殺した殺意と優しさ。


『過ちを繰り返さない……そう決めたはずだったのにな』

 

 ナイドを殺さず踏みとどまった優しさ。


 ロックに課せられた願いは。殺意を持たず、優しさでマイを殺す事。世界で唯一、マイを殺せる人間はただ1人。そう気がついたロックはひどく悲しみながら歯を食いしばった。

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