追想『ライアー・エンカウンター・イヤー』

「はい……はい、わかりました」


 午後9時。当時小学4年生だったイアが就寝する直前だった。歯磨きを終え自室に向かう途中、明かりの点いているリビングから聞こえる母の声に、彼女は違和感を覚えた。


「今週末までに、ですよね」


 普段は明るく透き通った母の声が、小さく弱気な声になってしまっている。この時点ではまだ、母親が詐欺の被害にあっているとイアも推測できていない。


 お客様のキャッシュカードが不正利用されています。早急に交換手続きが必要です。

 ナイドの姑息な手口。イアの母親はピュアで思いやりのある女性。ナイドには親切心があると思い込んでしまった。


 翌日の同じく午後9時。イアの両親はリビングで相談を行っていたが、これもイアが廊下から盗み聞き。


「きっとパスワードが私の誕生日……簡単にバレるものだったから」

「でも、銀行の人が早くに気づいてくれて良かったよ」


 すると再び電話がコール。母親が出ると、ナイドの声もイアの耳に入った。【LIAR】はカプセルに収納している時でも能力は発動する。


『はい、明日にでもお伺いに行きます。保護申請の手続きがあるので……』


(これは……嘘?)


 どす黒い邪悪な嘘。けれどもあまりに真っ直ぐな嘘だと感じ取った。目的のためならば到底の悪事は厭わないと。

 しかし、イアは両親にその事を伝えなかった。


 そして翌日の早朝。天気の良い日曜日だった。玄関にてキャッシュカードを握っている母親に対し、イアはそれとなく質問をしかける。


「ね、ねぇお母さん。そのカード、どうするつもり?」


 当時小学生のイアは特殊詐欺の手口など理解もできていなかった。単に電話の相手が嘘をついている、という事だけが彼女の心を不安で満たしていた。


「イア……あのね、今から銀行の人が来るから。私達のお金が悪い人に使われちゃう前に、色々とね、対策……しておくの」

「そう、なんだ」


 今までに見た事のない、焦っている母親の顔はますますイアを不安にさせた。


「ねぇ、本当に銀行の人の事……信じていいの?」

「何を言ってるのイア……? また嘘をついてるの?」


 日頃の嘘が裏目に出た。物心がついた時からの嘘を吐く癖。

 更に父親も玄関に歩いて来た。ピリついた2人の空気を鑑みて口は出していない。


「銀行の人は私達を助けようとしてくれてるのよ? こんな時に、笑えない嘘はやめて」

「また嘘かイア?」


 父親も追求を重ねた。詐欺という行為を詳しく知らず、ナイドがどんな嘘をついているかどうかも説明できないイアは黙り込むしかなかった。両親は【LIAR】の能力を把握しているが、この状況では聞き入れてくれない。


(嘘じゃ、ない……でも銀行の人の嘘も、どんなものか分からない……!)


 あくまで“嘘をついている”事を判別する能力。詳細まで理解できるわけではなかった。


「イア、部屋に戻っていろ」

「……うん」


 弱々しい声でイアは応答した。そして数分後にナイドが到着。

『印鑑を持ってきてください』

 一言で両親を動かし、誰の目にも触れないその間にカードの入った封筒と、あらかじめ用意した偽の封筒をすり替える。偽の封筒の中に入っているカードはもちろんダミー。

 あまりにも素早い犯行だった。10分程度で説明は終了し、ナイドは帰っていった。


 翌日、イアが学校から帰ると両親は首を吊って死んでいた。


『あなたを信じてあげられなくてごめんなさい。できれば一緒に死にたかったけど、あなたは悪くないから、殺せない』


 簡潔な遺書。届くかどうか確認もできない自己満足のお詫び。自殺を決心する、それ程までに被害額は大きかったが、一番の理由は“イアを信じてやれなかった事”。

 けれどもイアは。


(私がもっと、踏み入って忠告していれば……!)


 復讐の考えは無かった。自身への怒りと後悔だけだった。

 間もなく、イアの家にはマスコミや野次馬が殺到した。親代わりとしてイアの母親の実家から来てくれていた祖母は耐えきれず、日中はイアを置いて出かけていた。

「本当に可哀想だね」

「両親が死んで辛かったね」

「お金は大丈夫なの?」

 全てが嘘。心配する素振りだけを見せてくる人間達を、イアは哀れだと感じた。しかしそれ以上に、自分が哀れだとも。


 そんな空虚な日々が続いていたある日。インターホンが鳴り、いつも通りモニタ越しの対応。映っていたのはロックだった。


「君は、隣のクラスの?」

『最近学校来てないだろ? そっちのクラスメイトから聞いた! プリントとか色々渡しに来る時に、マスコミに絡まれるのが嫌らしくてな。今日から俺が持ってくるよ!』

「引き受けたの?」

『俺は別にいいから! 一応幼なじみだろ?』

「……優しいんだね」

『よく言われる!』


 それからはほぼ毎日、ロックが家に訪問するようになった。祖母に何を言われるか分からないため家には入れさせなかったが、イアの方からロックの家にも行くようになり、2人の距離はどんどん縮まっていった。

 数ヶ月も経つとマスコミと野次馬は興味を無くし、イアはやっと普通の生活に戻りつつあった。だがイアの祖母は実家に帰りたがっており、児童養護施設に入れようと考えていたが。


「ここで暮らすか?」

「え……えぇっ!?」


 ロックの家のリビングで、ソファに隣同士で座ったロックの提案。頭の後ろで手を組み軽い態度で。


「いいんじゃないの~?」

「いいんじゃないか~?」


 驚いたイアの声を聞きつけたロックの両親は、台所から声だけを浴びせる。


「子供が1人増える感じね~」

「嬉しいぞ~」

「えぇ……でも迷惑なんじゃ」

「前から色々考えて相談もしてたんだよ」


 あまりにも優しすぎる家族に直面し、イアは感動するどころか呆れにも達した。


(この親にしてこの子あり……って感じ。でも)


「ありがとう……ロック」


 イアはロックと肩を触れ合わせると、顔を近づけて礼を言った。



 *



 10年後の早朝。大学生になったロックとイアは、告白などの一大イベントがないまま恋人同士になっていた。パンとスープを摂りながらテレビを見ていると、詐欺による被害及び殺人のニュースが流れる。


(私の家族を壊したのも、詐欺……。結果的にロックと一緒になれたけど、やっぱり寂しいな。最近色々ニュースやネットも使って調べてるけど、それらしい組織の噂は見つかっても真実までは辿り着けてない)


 感傷に浸り、過去を振り返っている最中。電話のコールが鳴り響きロックの母親が応答した。


「……はい、そうですか~。イアちゃん? あなたへのお電話よ~」

「あ、わかった」


 敬語を使わないのは親しい家族同然の存在という証。常に糸目の母親から受話器を受け取り、耳を当てた瞬間。聞き覚えのある声が彼女の耳に。


『やぁ。突然で悪いけど、僕が君の両親を騙した張本人だよ。おっと、他言無用だからね』

「え……?」

『信じていないのかい? でも君は僕の正体にかなり近づいていたんだよ』


 当初は迷惑電話かと疑っていたものの、脳裏にこびりつく両親の会話をナイドが言ってみせた事で本人だと思い知らされる。そして、悪魔の提案。


『君の個人情報は僕の【MIDNIGHTER】が既に掴んでいる。“両親が騙されているにもかかわらず見過ごした事”もバラされたく無かったら……意識の無いロックと一緒に、指定した場所に来るんだ。もし従わなかったら君だけでなくロックも……その親御さん達の命の保証も、ない』


(ああ、ごめん……ロック)


 10年越しに突きつけられる自らの過ち。後悔なんてもう遅い。

 イアはナイドに従いつつも、反逆の意思を抱いた。

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