第5話 優しい、嘘

「そんな……まさか!?」


 イアの体は崩れるように後ろ向きで倒れ、口からも血が吹き出し緑色のもみあげをも赤く染める。【LIAR】は前のめりで倒れ起き上がる事はなかった。


 盾にはなったが弾丸は自身の体を貫き、そのまま後ろで立っていたイアの胸に着弾。この真実にロックは後悔と驚愕の念を抱き、自分の傷の事を無理やり忘れ駆け寄った。


「おい、おいイア! しっかりしろ……」

「あ、う……ロッぐふぁっ」


 自分の血液で窒息してしまわないように、ロックは首に手を回し持ち上げた。それでも吐血は止まらず、何をどうすればいいのか分からず困惑を極めてしまう。


「イア……そんな、俺のせいで?」


 自身の体を貫通した時に勢いが弱まったせいで、イアの体に弾丸が留まってしまった。盾にさえならなければ、今の自分のように貫通し痛みを伴うだけで命に別状は無かった。


 今まで信じてきた『優しさ』が仇となってしまった事による激痛は、あばら骨辺りから来ている銃撃の痛みとは比べ物にならないほどの痛み。ロックの後悔は赤く染まってしまう。


「イア、聞こえるか!?」


 彼がとった行動は呼びかけ。偶然倒れている人物に出会った時、最初にする行動としては最適解なのだが彼女の場合は逆。更に心の傷を増やしてしまう結果となる。


「あ、あぁ……騙したこと本当は嫌だったんだね、ごめん、ね。今度、ちゃんとしょう、てんがい……にはいこっうぅ」


 後半部分はまともに喋る事もできず、途切れ途切れの悲しい受け答え。


「イ、イア……大丈夫なのか? 大丈夫なら、そうだと言ってくれ!」


 言葉を返してくれた事に僅かな希望を持ったロックだったが、それも直後に打ちひしがれる。


「ありが、とね……嘘つきの私、といっ……しょにいぅてくれって」


 自身の声は届いていない。耳も機能を失ってしまったと察し、彼の瞳からは涙が次々と溢れる。それでも諦めず耳元に口を寄せる。


「頼むイア! 『大丈夫』って言ってくれ……! こんな所でお別れだなんて俺は耐えられない!」

「……?」


 尚も血を吐いているイアの鼓膜を破る勢いでロックは叫ぶ。ひたすら泣き叫んでいた。


「やっとこれから本心を見せ合って……これからイアも俺を気にかけてくれるって……言ったばかりじゃないか! 頼む……応えてくれ、イアっ!」


 赤ん坊が駄々をこねるように、涙と共に鼻水まで噴出していた。するとその涙が零れ落ち、イアの頬に叩きつけられた瞬間。イアは口を開いた。



「ロッ、ク……うん。大、丈夫だから……。安心、して……だいじょ、うぶ」



 小さな微笑みと共に送られてきた報告だが、見た目とは明らかに違っている。今にも命の灯火は潰えそうだというのに、『大丈夫』だとイアは言ってしまっていた。


「そうか、大丈夫なのかイア! だったら早く病院に────」


 彼女の言葉を心から信用したロックはお姫様抱っこの体勢に移行するため立ち上がろうとした。しかし、そこで気づいてしまった。




 イアの体が、既に動きを止めていた事に。




 目は半開きになり、口からは血が垂れている。そこまではまだ気を失ったと捉えられるが、震えさえも止まっていた。


「イア……?」


 微動だにしないイアの身体から、目を離しはしていない。揺すりもしていない。ロックはただ生きていると信じ声をかけ続けているだけ。


「イア……!」


 しかし、希望は時間と共に小さくなっていく。いつまで経っても瞬きすら行わないイアの体からは、ぬくもりすらもなくなっていく。


「イ、ア……」


 再び涙が零れ、彼女の頬へ。しかし今度は何の成果も生み出せはしなかった。ただ伝い落ちていくだけだった。






「…………」






 死。






 ロックの想いは、砕け散った。自らの過ちが理由でイアは命を落とした。後悔だけが鎧のように体にまとわりつき、それは外れることなくこびりつき始める。自らの自慢であり、取り柄だった『優しさ』が裏目に出た。かつてイアを救った『優しさ』が、イアを殺した。


「うっ、うぁぁぁぁぁうぅぅ!!」


 ただ泣き叫ぶしかなかった。今までの行動理念が間違っていたと突きつけられ、絶望。泣いても何も変わらないというのに、息継ぎを挟み喉が枯れるまで。


「ああぁぁぁぁ!! 俺が、俺のせいで……! イアっ! ぐぅぅ、うっあ、ああ…………うぅっ!」


 今更になってロックは自らの胸に空いた銃痕の痛みを思い出した。肉体的な痛みと精神的な痛みが同時に襲ってきたため、ますます彼の叫びは激しくなる。


「ごめんっ! ごめん! 俺が『優しい』せいで! イアは……! 死、死ん………………うわぁぁぁ!! あぁぁぁぁぁあぐうっあぁぁ」


 優しいだけでは救えないものもあると、身をもって理解したロックはそのまま叫び続けた。




 *




 12時間後、ロックの喉は完全に枯れた。まともに発声もできず、風が通るような音がするだけ。


「ぁ…………」


 廃工場の窓枠からオレンジ色の太陽が差し込み、ここでやっとロックは時間の経過に気づいた。涙の跡が彼の目から顎にかけて出来上がってしまっており、流した液体の量は計り知れない。


「…………」


 何も言わずに、やっとの思いでロックはイアの元から離れた。最後に彼女が発した『大丈夫』の声は嘘だと察したが、それもロックを安心させるための嘘。



 優しい、嘘。この重みは、ロックが背負いきれないほど。



「ナ、イド……」


 イアから離れ向かった先は、相変わらず倒れているナイド。気絶している彼の上に馬乗りになるように、ロックはゆっくりと腰を落とした。

 そしてロックはナイドの首元へと手を伸ばし、ぐっと力を入れた。既に彼は心身ともに疲弊しきっており、力は弱かったがこのまま続けるとナイドは窒息死に至るだろう。


「……!」


 しかしロックは手を素早く離した。『復讐』の意思を抱いている事に僅かながら後ろめたさを感じ、急いでナイドのそばからも離れる。


「俺は……」


 喉を刺激しない程度の小さな呟き。同時に彼の体は廃工場の出入口へと向き、小さな一歩を踏み出した。


「優しくなんかない。俺は、バカなんだ……」


 自身やイアの主張を否定し、ナイドが言った言葉を肯定するような呟き。しかしナイドもまた『優しい』とは言ってはいたため、どちらも合っているとは言えないものだった。


「うっ……」


 胸に空いた傷跡を右手で抑え、夕暮れが射し込む室外へとロックは歩き始めた。歩幅は安定しておらず、時々転びそうにもなっている。


「優しくなんかない俺は、ナイドを警察に突き出して……あいつら詐欺グループの壊滅を手助けする」


 言い聞かせるようにロックは言ったが、すぐに言動の矛盾にも気づいてしまう。


「あ、殺しはしなかったから『優しい』のか……? なあ、イア」


 振り向き彼女へと問うも、勿論答えは帰ってこない。ただ口と胸から流れていた乾いた血がこびりつき、倒れているだけで。


「わかんないな……お前がいなくっちゃ、俺が『優しい』かどうか。【LIAR】で、調べてくれたら……嘘かどうか分かるはずなのに」


 時間と共に頭も冷えたようで、小さな微笑みをイアへと向けていた。




 *




 数秒経った後、ロックは廃工場から抜け出していた。警察に電話をしようにもかすれ声でまともに会話もできない。ならば自ら交番か警察署に出向くしかないと思い、独りで呼吸を荒くしながら歩いていた。【ROCKING’OUT】も使用していない。満身創痍の状態で乗ろうものなら事故でも起こしかねない、という理由がある。


「ナイドの様子からして、まだ詐欺グループは活発……か」


 ロックはふと思い出しかすれ声で独り言を発した。『リーダー』や『他のメンバー』の存在も詳しくは言及されていなかったが、未だに活動しているのは事実。


「悪いな、イア……」


 前もって彼女に謝罪を送る。彼の中には前までの彼には思いつきもしない思案が芽生えていた。


「ナイドから聞き出した情報を警察から盗んで、俺がこの手で詐欺グループを潰す。俺はもう、『優しい』俺じゃない。俺はバカだ。だからそのくらいやらかしても……いいだろ?」



 プロローグ 終

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