第3話

 3、

「うわぁっ!」

 コス人は歴戦の傭兵だが、あまりに予想外の出来事に反応が遅れた。松明を〈腕〉に向けて振り下ろしたが、僅かに早く〈腕〉は、傭兵の足首を握った。

「ぎゃっ!」

 悲鳴が洩れ、傭兵は松明を取り落とした。火の粉が散って、煤煙が広がる。傭兵はその場で尻餅をついた。

 動いたのはレセトだ。吊り紐から短剣を抜くと迷わず〈腕〉に刃を突き立てた。

「むぅっ!?」

 ガチッという音がして、刃が止まった。恐ろしく硬い剛毛だ。レセトの判断は速い。タルスが駆け寄る前に、転がった松明を拾うと、炎を〈腕〉に押しつけた。

 今度は利いたようだった。コス人の足首に取り付いていた〈腕〉が、身を捩って離れた。タルスは自分の短剣をレセトに渡した。レセトは身悶えている〈腕〉に再び松明を向けると、烙印のように押しつけ続けた。タルスも同じく松明を押しつける。〈腕〉は二つの松明で地面に縫い止められたようになった。毛の焦げる嫌な臭いが通路に充満する。

 明かりで〈腕〉の「正体」が露になった。目にしたタルスは、思わず毒づいた。

「番神アウロズよ! これは一体、何だ?」

 油断なく炎で焙りながら、レセトも顔を強張らせている。

 コス人が、悲鳴を挙げた時点で気づくべきであった。いくら相手があやかしだったとしても、身に触れたくらいで泣き言をいうような傭兵ではない。

 剥がされた〈腕〉の、掌にあたる部分には、ぱっくりと開いたあぎとがあった。細かい鋸歯がゾロリと並んだそれは、たったいま噛み千切ったコス人の肉と血にまみれている。そしてまだ獲物を求めて、あぎとをガチガチ鳴らして噛み続けているのだ。

 レセトはタルスから受け取った短剣を、満身の力を込めあぎとの口蓋に叩き込んだ。それで漸く〈腕〉の動きが止まった。

「大丈夫か?」

 レセトがコス人の様子を窺う。傭兵の額には脂汗が浮かび、足首には肉の隙間から白い骨が見えていた。

「だ、大丈夫でさあ」

 強がりを云えただけでも大したものだが、とても動ける状態には思えない。対策を検討したが、任務を放棄すれば要らぬ諍いを招く、とコス人は譲らない。自分のせいで仕事をしくじるのを恐れているらしい。

 そこで、傭兵は一旦、この場に残し、タルスとレセトだけで先に進むことにした。傭兵は固辞しようとしたが、松明は一つ置いていくことにした。あの不気味な〈腕〉が一匹とは限らないからだ。そう云うとコス人は、ギョッとして顔をひきつらせた。レセトが先頭になり、タルスが続いて、いっそう用心しつつ暗闇を急いだ。

 変化は、思っていたよりも早く訪れた。暫く歩くと、緩い下り路が不意に途切れた。通路の天井と左右の壁がなくなり、足元には階段が現れた。

 戸外に出たのだ、とレセトもタルスも合点しそうになったが、違った。空気は相変わらず澱み、生き物の声も葉ずれの音もない。

「こりゃあーー」

 レセトが松明を翳しても、ぼんやりと照らし出されたのは、果てのない空間だけである。

 すると、レセトが階段脇に、一抱えほどもある青銅の燭台があることに気づいた。試しに松明の火を移すと、案に相違して、まだ生きている。それどころか、古の仕掛けすら往時のままであった。灯った火が、壁の通り路を辿って、隣の燭台、そのまた隣の燭台、と次々に連なっていった。

 こうして、タルスたちの目の前に、地下空間の全容がたち現れたのだった。

 其処は、石造りの広間であった。

 大きさはどれほどだろう。高さはおおよそ、農民の納屋が縦に二つスッポリと収まるくらい、広さは納屋を四つ束ねたほどもあろうか。円形の広間で、上を見ると丸天井が垂直の壁に接続し、全体では円筒形になっている。タルスたちの立つ入り口は、垂直の壁の半ばの高さに開いていた。

「おい……」

 タルスが目線で促すと、気づいていたレセトも頷いた。広間の反対側に、もう一つ入り口が開いていた。あれが砦の外に通じている地下道なのだろうか?

 広間を横切るには、階段を降りるしかなさそうである。二人は、警戒感も露に、下りだした。

 というのも、広間はただのガランとした空漠ではなかったからだ。部屋には幾つもの物影があった。それらは大小の壺だったり、上に奇妙な形の器が乗せられた炉だったり、文字の刻まれた石板だったり、おそらく動物が入れられていた檻だったりした。様々な文物が、まるでたった今、うち捨てられたようにあちらこちらに散らばっていた。

 なるたけ早く通り抜けように急ぎ足でいたのだが、ある物の前で二人は立ち止まらずにはいられなかった。人を吸い寄せ、目をそらすことを難しくさせる引力のようなものが其にはあった。

 其は広間のほぼ中央に据え置かれていた。そのせいもあり、一見して石造りの神像に思えた。タルスたちよりも頭二つ分は高く、厚みは倍以上ある其は、凡そ現実感のない姿かたちからすれば、空想上の怪物か、神を象ったものとしか思えぬ。

 しかしだとすれば、何と無気味でおぞましい神であろうか! かつてこの地を支配していた有尾人は、猿面を持った毛むくじゃらの種族であったと伝えられている。もし仮に、有尾人を三人ほど集め、その肉をこね合わせてくっつけたらこんな様子になるだろうか。一塊になって、爆ぜた柘榴の実のようになった胴体から、出鱈目に腕や脚がとびだしている。だけでなく、目や口や耳、体毛や内臓までが、あちらこちらから突きだし、貼りつき、ぶら下がっているのだった。

 その禍々しい形状にタルスは、先に見たばかりの〈腕〉と同じものを感じずにはいられなかった。人為、乃至、何者かの意思、或は意図とも云うべきもの。恐ろしく邪悪で、忌まわしい狙いが籠められている冒涜的な知性を。

 気配を感じて振り返ったのは、タルスもレセトも同時であった。

 彼等がやって来た入り口の方角に、その源があった。レセトは腰の佩剣はいけんを抜き放ち、タルスは両の拳で油断なく身構えた。タルスは北大陸に居た時分に、ヴェンダーヤの苦行僧の修法を身に付けていた。呼吸法や修練によって、肉体を変容させる邪行である。

「司令官殿、此はどういった御心慮ですかな?」

 レセトの問い掛けには、不審の色があった。

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