第2話

 2、

「では、此方にいらしてください」

 イグソルウト人従者の案内で向かった面子は、副隊長レセトとタルス、それに傭兵部隊から小兵のコス人が加わった三人だった。さすがに隊長自身が入るのは指揮系統上まずい、とレセトもタルスも嗜めた。というよりは、巨漢のエデが入る隙間があるか分からないためだ。

 一方、タルスは役目にうってつけと云えた。余所者の上、人間ゾブオンですらない。タルスはルルドとモーアキンの間の子だった。蛮族ブルガですら、一応は人間ゾブオンと認められているのに。守備隊からすれば此れ程死んでも惜しくない駒もあるまい。

 尤もタルスとて、ただの捨て石になるつもりはない。種族の特徴を反映し、手足は短くずんぐりむっくりで不恰好だが、発達した筋肉の持ち主のタルスは、膂力にも、体術にも一応の心得はあった。

 ツィタ砦の建屋は丸太と石を組んだ武骨な造りだった。砦はいま、跳ね橋も明かり取りも閉ざされ、甲羅に閉じ籠る老いた亀のように身構えている。内部はいがらっぽい松明の煙が充満し、其処に雨季のじっとりとした湿気と甘ったるい果実臭が忍び込んで、混じりあっていた。

 だがタルスは砦の空気の中にもう一つ、別の臭いを嗅ぎ取っていた。守り手たち体臭、躰から滲み出る隠しようもない恐怖の臭いを。

 タルスの聞いている限りでもすでに、数名の守備隊員が砦から姿を消しており、表立っては云わないが傭兵たちは彼等が敵前逃亡したと見なしていた。尤も、逐電したところでいずれ蛮族ブルガに捉えられ、頭の皮を剥がされているであろうというのが、専らの見立てであったが。

 地下の食糧倉庫まで急な階段を下ると、従者は人の気配を確認してから、空の樽を退けた。そして奥の石壁を押した。

「こいつは驚いた……」

 コス人傭兵が、下手な口笛を吹く。

 滑らかに動いた石壁の向こうに、もう一つ、部屋が出現していた。従者が松明を置くとぼんやりと全体が見渡せる。何もない部屋で、中央に、さらに基部に向けて降りる口があるだけである。方形の井戸のような竪穴には黒黒とした闇溜まりが湛えられ、ふと蛮族ブルガの云った〈悪霊のあぎと〉という詞が浮かび、タルスはゾッと全身が総毛立った。

「私はここでお待ち申し上げます」

 従者に促され三人は、竪穴を覗き込む。後からつけたとおぼしき縄ばしごが、底知れぬ闇に溶け込んでいる。

「よし」

 まず松明を落として、空気に問題がないことを確かめた。炎の大きさで、思ったより深くはない、と見当がついた。身軽なコス人が先頭で降りた。傭兵は下に着くと合図に縄ばしごを揺らす。レセトが続き、タルスがしんがりだった。

 縄ばしごを降りきるとそこから横穴が延びていた。

「確かに河岸方向だが……」

 レセトが地上の位置関係を浮かべて呟く。横穴は、立ったタルスの頭がギリギリ天井に着かないくらいの高さで、やはり隊長は来なくて正解だと一同に忍び笑いが起こった。気を引き締め直し、先程と同じく、コス人、レセト、タルスの順で隧道のような通路を歩き出す。松明が先頭としんがりの二つきりなのが不満だが、物資が払底していると云われれば返す詞もない。通路は爪先下がりに傾斜しているようだった。

 歩くにつれてぼんやりと照らされる周囲は、明らかにそれまでとは様式の違う石積みであった。一つ一つの石が大きく、しかもその組み合わせ方は複雑精緻だった。蛮族ブルガはおろか、たとえイグソルウト人の文明をもってしても可能とは思えない代物だ、とタルスは唸る。

 空気は黴臭く、その中に生き物の気配の残滓を感じた。鼠や地虫の類いならば問題ないが、もっと凶暴な生き物であれば、用心が要る。抜け道の先に何がいるのか判ったものではない。

「うっ!?」

 先導するコス人が、頓狂な声を挙げた。タルスとレセトは、瞬時に身構えつつ、松明の灯りで浮かび上がったそれを同時に見た。

「これは……」

 さしものレセト副長も絶句している。

 細長い通路の中ほどに、無造作に投げ出されていたのは、動物の腕ーーいや、前肢だった。それは、赤黒くて硬そうな毛に被われていた。

「猿の足ーーか?」

 コス人が疑わしげに述べる。確かに、すがめて見たタルスには、猿の右前肢の、肘から先が転がっているように思えた。それも、古いものではない。血などは見当たらないが、朽ちているでもなく、肉があって新鮮に見える。

「何だってこんなところに、こんな物が?」

 コス人が、慎重に近づく。

「気をつけろ。何かおかしいぞ」

 レセトが警告する。尤もな詞である。秘匿され封印されていた筈の通路に、動物の、それも躰の一部だけが残されている。こんな無気味なことがあろうか。

 と、そこで、信じられないことが起こった。〈腕〉が、毒蛇のごとき素早さで身をうねらせ、コス人の脚に襲い掛かったのだ!

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