137 異世界帰還者の胎動 03 サチホ視点
彼女の名前は封月織羽という。
そんな情報は外に出ればすぐに見つかった。
テレビは彼女の話題でひっきりなしだし、彼女がドラゴンの頭を破砕するシーンはモザイク付きで世界中に出回った。
異世界帰還者の情報もテレビにSNS、動画サイトを通して浸透していく。
だが、異世界帰還者のことを知るにつれて、逆に封月織羽の神秘性が深まっていくことになる。
誰も、彼女の異世界時代の活躍を知らないのだ。
それに関して彼女は隠す気もなく、「他の連中とは違う法則の異世界にいた」と言い放った。
クランメンバーに宣言したことが外に漏れ、織羽が改めてヨーチューブにそのことを語る動画を投降したのだ。
異世界帰還者という特別な存在の中のさらなる特別な存在。
サチホの中で織羽は太陽のごとく光り輝いていた。
もう一度会いたい。
理由なんてどうでもいい。もう一度、ちゃんと織羽の姿を見たい。
それは恋慕なのか、それとも崇拝なのか、サチホにはもうわからなかった。初めての強すぎる気持ちに振り回されてしまっていた。
秋葉原が崩壊してライブもなくなって、サチホの立場は宙ぶらりんになっていた。
だけどその時には事務所そのものが危険な状態となっていたし、大変なのはサチホだけではない。
さすがの母もこの世界的混乱とサチホの身に降りかかった災難に思うことがあったのか、労わってくれるだけだった。
久しぶりの学校に通うだけの日々をぼんやりと織羽を思って過ごした。
異世界帰還者になりたいと叫ぶ男子たちの言葉にハッとさせられた。
そうか。
異世界帰還者になれば『王国』に入ることもできるのではないだろうか?
そうかその方法があったと思ったが、どうすれば異世界帰還者になれるのかわからない。
彼らの証言は全て「気が付けば異世界にいた」という言葉で始まるのだ。
ではやはり無理なのか?
もう織羽に会うことはできないのか?
テレビやネットの向こう側で彼女の活躍を見るしかできないのか?
そう……まるでアイドルとファンの間のように、そこには越えてはならない壁が存在しているのか?
だが、幸運の女神はサチホを見捨ててはいなかった。
サチホが再び最悪な気分に沈んでいるときに、マネージャーからその知らせが届いた。
『王国』が売り出す美容品の実験台になって欲しいというものだった。
迷うことなくサチホは受けた。
そうして、あの幸せな日々が始まったのだ。
「お疲れさん」
「いえ! 織羽さんこそお疲れ様です」
マッサージが終わり、シャワーでクリームを落とした後でお茶の時間になるのはいつものこと。
クリーム……というかゼリーのようなものは布である程度こそぎ落としてからシャワーに行かされる。
どうも下水に流れてはいけないもののようで、だからビルの排水には特別な濾過槽が設置されているのだという。
だから、この美容品は売ることはできず、ここで施術するしかないのだとも言っていた。
「ライブは再開できた?」
「はい。別のところでしています」
「そりゃよかった」
「織羽さん、今度見に来てくださいね」
「いいね。あれ、あの光る棒持って踊るんだろ?」
「っ⁉ 織羽さんはそんなことしなくていいです!」
「いや、あれやってみたい」
「しなくていいですってば!」
「ええ」
心底残念そうな顔をする織羽が信じられない。
織羽はあんな変な踊りはしなくていい。
でも、子供のように残念がる織羽の表情が貴重でサチホは内心で「やった」とも思っていた。
「織羽、いい?」
そんな幸せな気分をこの存在が邪魔をする。
「んあ? 霧?」
「予定が入ったわ。いまから移動してぎりぎりね」
「うへ。了解」
わかり合っている二人のやり取りに嫉妬の針が胸を刺す。
ああ。
織羽が立ち上がる。
楽しい空気が一気に霧散するのがわかる。
なぜなら、彼女はもうサチホを見ていないからだ。
もっとずっと楽しいことがその先にあるとその目が物語っているからだ。
だけどこんなのは一方的な理解でしかない。
織羽はサチホをぜんぜんわかってくれていない。
サチホの存在なんて、彼女にとっては暇潰しの一環でしかないのだとその目が物語っているからだ。
「んじゃ、サチホちゃん、急だけど今日はここまで。また来週な」
「はい!」
それでもサチホは表情を作り、明るく織羽を見送る。
戦いに行くのだ。
「はぁ、いつもながら緊張した」
帰り支度をして移動を開始したところでマネージャーがそんなことを言う。
「サチホちゃんって意外に豪胆よね。怖くないの?」
「なんで怖いの? 織羽さんはいい人だよ」
「そうかもしれないけど。あの人、ドラゴンを殺せちゃうような人よ。ちょっとカッとなっただけで私たちなんて簡単に殺せちゃうのよ?」
「そんなの、織羽さんだけのことじゃないでしょ?」
ドラゴンを殺せるのは織羽だけかもしれないけど、人を殺すだけならそこら中にたくさんいる。
異世界帰還者というのはそういう存在なのだから。
「はぁ、そんなすぐに馴染めるのはあなたが若いからかしら?」
「マネージャーさんだって、まだまだ若いでしょ?」
「まだまだ……って二回言われるとなんだかおばあちゃんになった気分よ」
「あっはは、こまかーい」
「……うん、でも、織羽さんに会えて、あなたは正解だったみたいね」
「え?」
「だって、あなた前よりぜんぜん明るくてかわいくなったもの」
「それは織羽さんの美容品のおかげ」
「見た目はね。でも中身は違う。いまのあなたってとても前向きで、すごく人を引き付けるわよ」
「ははぁ、お褒め頂き感謝の極み」
「冗談じゃなくって…………実はね、メジャーデビューの話が来てるの」
「え?」
「グループじゃなくてソロで。バックダンサーは付くけどね。あなたは歌もダンスもうまいから」
「ええ……講師の人に褒められたことないけど」
「それはあなたが嫌々やっているような顔をしているからよ。でも、いまは違うでしょ?」
「……うん」
織羽が磨いてくれたサチホが変なことをしたら、それは彼女の恥になると思って必死に練習して、ライブも頑張った。
根本は母と同じなはずなのに、どうしてこうも違うのだろうと自分でも不思議に思うほどだ。
「うん。織羽さんのためなら何でもできる気がする。……異世界帰還者にだってなれるかも」
「ははは。それは無理じゃない」
「…………」
「サチホ?」
「うん?」
「どうかした?」
「え? ……っと、うん、なんでもない。これからなにかあったっけ?」
「ええとね、さっきのメジャーデビューの話。先方がよかったら話がしたいっていってるから、実はもう予定を入れてるのだけど」
「うわっ、急だね」
「びっくりさせたかったの」
「うん。びっくりした。じゃあ、行こう」
「サチホ、なにか変わった?」
「そう?」
「……なんだか、さっきよりも輝いているみたい」
「ふふん」
戸惑うマネージャーにサチホはくるりと回って笑ってみせた。
「アイドルですから」
ネーム:斑鳩サチホ
レベル:200
クラス:アイドル
斑鳩サチホは還ってきた。
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