136 異世界帰還者の胎動 02 サチホ視点


 地下アイドルのサチホ。

 斑鳩サチホにとって、人生とは男に媚を売るか否か? という問いでしかなかった。

 母親は男がいなければダメだというのが口癖で、男を何人もとっかえひっかえしていた。物心ついた時からそうだったものだから自分の父親が誰なのかもよくわからない。

 戸籍を調べれば名前が書いてあるのかもしれないが、それを見たところで顔を思い浮かべられるとは思えなかった。

 だが、それを不幸だとは思わなかった。

 ただ、それがサチホの人生にとって当たり前の光景でしかなかったからだ。

 それでも、自分が母のようにできるかというと、できないと確信していた。いつか母と同じように誰かを下半身に迎えるのかと考えると言葉にしがたい嫌悪感に襲われた。

 それが態度に現れてしまったのか、母に嫌われるようになった。

 いや、もしかしたら、母はサチホに男とは利用するものだと教えたかったのかもしれない。

 小学校の高学年になったところで芸能事務所に所属させられ、ダンスや歌の練習をさせられた。

 そして中学に入る前から地下アイドルとして活動させられるようになった。

 自分はうまくいかないだろうなと思っていた。

 歌もダンスもそれなりにうまくやれていると思うのだが、講師たちのサチホを見る目がそれを物語っていた。

 わたしはどうしたのだろう?

 そんな疑問がサチホを支配するようになった。

 誰にも期待されていないのに地下アイドルなんてする意味はあるのだろうか?

 しかも地下なんて付く。

 つまりはちゃんとしたアイドルではないということだ。

 なんちゃって。

 趣味の延長。

 地下アイドルにはそんなイメージがあった。

 芸能事務所に所属して、歌やダンスのレッスンまで受けて地下アイドル。

 これが普通のことなのか。

 わたしがだめだからこんなことになっているんじゃないのか?

 ならやめた方がいいんじゃないのか?

 だけど、そのことを母に言ってみても、ニコニコ笑って首を振る。


「あなたは若くてかわいいんだから、それを武器にして金持ちの男を捕まえなさい」


 つまり、いまのサチホはショールームに並んだ商品なのだ。

 あるいはペットショップで飼い主が現れるのを待つペットか。

 そうか。

 急にストンと納得できた。

 母はペットなのだ。

 飼い主をあれこれと変えながら生きているペットなのだ。

 自分がペットの生き方をしているから、その生き方しか知らないから、サチホにも同じ生き方を、より良きペットの生き方を求めているのだ。

 アイドルとしての成功なんて、最初から求められていないのだ。

 ただ、良い飼い主が見つかるまで舞台というショールームに立っていろという意味でしかないのだ。

 なんだ、その程度なのか。

 そう思った瞬間、全てが脱力した。

 やる気が失われた。

 この年になってくると自身の性癖にもある程度の納得ができていた。

 男を受け入れるのは無理だとわかっていた上で、男の客が多いアイドルを続けることは無理だった。

 もうやめよう。

 これが最後のライブだ。

 そう思った場所が秋葉原のライブハウス。

 その日は世界的ダンジョン・フローの日だった。

 人生を変えようと思った日が、世界が激変する日となった。

 だが、世界の変化を知る前にサチホたちは地下のライブハウスに閉じ込められることになった。

 爆発するような巨大な音。

 逃げようとして出口が塞がれていると誰かが叫ぶのを聞く。

 マネージャーと一緒に楽屋で震えるしかできなかった。混乱し、怒声と悲鳴を上げる男たちの声が聞こえてくる。

 スマホを通して世界の情勢を知ることができるのは幸運なのか、不幸なのか。自分たちが閉じ込められていることをなんとか外に伝えることはできたのだが、同時に助けがすぐには来ないだろうことも理解するしかなかった。

 外には漫画やアニメでしか見ないような化け物が暴れている。サチホは興味がなかったが、使用するライブハウスが秋葉原が多かったため、そこら中にある絵や模型を見ることができた。

 ああもう死ぬんだなと茫然と思ったが、女性のマネージャーが恐怖で呟くのを聞き逃すことはなかった。


「あの男たち、自暴自棄になって襲いかかって来ないかしら?」


 ぞっとした。

『襲う』の意味はすぐに理解できた。

 それだけは嫌だ。

 死ぬことに恐怖はない。生きていることの実感さえも薄いのだから死を怖いと思う理由もなかった。

 だけど、男たちにこの身を蹂躙されるのだけは嫌だ。

 それから数日間は楽屋に閉じこもりきりとなった。


 数日後に助けは来た。

 スマホの電池はとっくに切れてしまって外の状況はわからなくなっていた。

 ただ、異世界帰還者と呼ばれる人たちが戦っているという動画は最後に見た。

 彼らが助けに来てくれると呪文のように呟くマネージャーの言葉を聞きながら過ごした日々だった。

 やがて、それが現実となる。


「この部屋にも誰かいるのかな?」

「も、杜川さん?」


 長閑な声の後に続いたノックの音にマネージャーが驚いた声を上げた。


「その声はシャダックスの織戸さんだったかな?」

「はい……はい! そうです!」

「無事でよかった。とりあえず、この扉は……」


 バゴッという大きな音とともに扉が引きちぎられた。


「も、杜川さん? それは……」

「ああ。すまない。ニュースはここでも見れたかな? 実は私も異世界帰還者でね」

「そんな」


 杜川という名前には聞き覚えがあった。サチホが所蔵している芸能事務所の出資者の一人のはずだ。


「まっ、それほど驚くことではないよ。この時代、誰もがみんな、知らない間に異世界を体験していると私は考えているからね。それよりも、立てるかい? 無理なら女性のメンバーを呼んで運んでもらうが」

「おっさん。そっちの二名も確保した?」


 ……と、廊下から誰かが杜川に声をかけた。


「おっさんではなく、杜川だよ。マスター」

「んじゃ、杜川っちで」

「……いいか。いたよ。あなたの気配感知はすばらしいね」

「当然。やっ、元気かな?」


 顔を覗かせたその人物を見て、サチホは心を奪われた。

 艶やかな黒い髪、キリっとした眉と瞳。神が配置したとしか思えない鼻と唇。

 アイドルをやっていて思う。目は化粧でどうにでも誤魔化せるけれど、鼻と唇だけは整形手術でもしない限りどうにもならない。

 それぐらい、この二つの形と配置は重要だ。

 そしてこの人はそれに恵まれている。

 いや、それだけじゃなくて、外見的特徴の全てに恵まれている。

 その上で、強い人だ。

 サチホにはその女性がとても輝いて見えた。

 全てが完璧に見えた。

 自分にはないものをすべて持っているように思えた。


「さて、長話してる暇はないんだ。この後、大掃除が待っているからね。地上に引き上げて、救助隊を待ってもらう感じになるんだけど……」

「さっ、出ようか」


 杜川が説明をしている横で彼女はサチホに手を伸ばしてきた。


「はいっ!」


 サチホはその手に飛びついた。


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