125 深淵狂騒曲 12 ※瑞原霧視点


 織羽のC国行きに同行しなかった霧が何をしていたかというと……普通に学校に通い、それ以外の時間はホテルで本を読んでいた。

 東京行きで転校することになったお嬢様学校の居心地は悪くない。

 異世界帰還者とばれたことで霧のことを恐れる人は多いが、積極的に近づいてくる者も多い。

 前と人との付き合い方は変わってしまったが、ここは新しい場所だ。知っている人が変化することに比べればどうということでもない。

 最近、以前の仲間の佐伯公英や柴門アヤから連絡が来ることがある。最初は織羽の実力に驚く内容だったけれど、いまは近況を伝えるものにかわった。

 公英は異世界帰還者の存在が公になったことであまり突出した活躍をするとそちらで疑われる可能性が出て来て、より慎重さを求められると愚痴を零している。

 柴門アヤは宣言通りにイタリアに行き、そのままそちらで暮らすことになったそうだ。向こうでクランに入り、下っ端ながら異世界帰還者として活動しているという。

 霧もこちらでの生活の変化を伝えている。

 羨ましがる声もある一方で、織羽の側にいることの大変さも理解してくれている。下っ端ながらともに世界の激動を体験した中だ。上の連中の大変さというものもある程度はわかってくれている二人だ。

 とはいえ、霧がクランの中での重大な決断をすることはない。

 自分が見える未来に従って、ときどきそっと織羽の行動を修正するだけだ。

 それで織羽がわかってくれる。

 わかってくれないときもあるが、その時はリスクを呑み込んだ顔をしているのでそれならばそれでいいとこちらも受け入れる。

 自由さが織羽の魅力だ。

 失敗を恐れて霧の顔色を窺うような人間にはなって欲しくない。


 北海道から戻って来たフェブリヤーナは織羽が戻ってきていないことに感想もなく、すぐに自分の世界に没入していった。

 つまりスウィッチに必死だ。

 どうもダンジョン攻略に同行した籠池剛も同じゲームをしていたようで、彼の村づくりに対抗心を抱いてしまったようだ。

 織羽がいないとそこら中に引っ張り回されることもない。クランにはフェブリヤーナに命令できる者はいない。

 それは霧にしてもそうだ。

 そして霧も自分たちの分は終わらせているから自由にしていても問題ない。

『王国』が活躍している間に他の異世界帰還者たちも急速にクラン化を推し進めており、すでにいくつかのクランはダンジョン攻略を請け負うようになっている。『王国』だけが忙しい時期ももうすぐ終わるだろう。

 久しぶりにゆったりとした読書の時間を持てて霧の心は晴れやかだった。


「……来客だぞ」


 リビングでそんな楽しい時間を過ごしていると、部屋の大画面で村づくりに勤しんでいたフェブリヤーナがそう言った。


「知っているわ」

「そうか」


 霧の答えに満足したフェブリヤーナは膝の上に置いていたコントローラーを握り直した。

 タイミングを見計らい、霧は本にしおりを挟むと立ち上がりドアに向かう。


「ノックの必要がないというのはいいものですね」


 ドアの前に立ったと同時に開けたというのに、彼女は動揺さえもしなかった。

 白い女がそこに立っている。

 白いフード付きのケープのようなもので体を覆い、その下もぞろっとしたローブらしきものを着ている。刺繍などで要所に多少の色や模様が配置されているものの基本は白。

 フードの下に隠された顔も、髪も白かった。

 目だけが赤い。

 それはまるで、体内に流れている血が霧と同じであることを示すかのような赤だった。


「私が来ることは、もうご存じだったようですね」

「そのことをご承知のようですが?」

「素晴らしいことです。お邪魔してもよろしいかしら?」

「はい」


 白い女性が中に入って来る。


「聖女様がなんのようだ?」


 入って来た女性にちらりと視線をやり、フェブリヤーナがそう漏らした。


「やはり蘇ったのですね。魔王フェブリヤーナ」

「ふん、望んではおらんがな」

「あなたと争う気はありません。今日はこちらの方とお話があってまいりました」

「わざわざ、異世界からな」

「ええ。では、まずはご挨拶を。ニースと申します。あちらの世界でイング……いまは封月織羽と名乗っている彼女を異世界に召喚し、白魔法を享受した者です」

「そう……ですか」

「霧よ。この女はな、妾が配下の魔族から『終わらずの聖女』と呼ばれ恐れられた者よ。いくら殺しても死なない。この者がいる戦場では周りの兵士が決して死なないとな」

「私の側で死者は許しません」

「なっ、死の自由を奪う恐ろしい女だ。そんな女に仕込まれたから、織羽もあんなに恐ろしい性格になった。妾が哀れな魂の奴隷となったのは、そもそもこやつのせいだな」

「死霊魔法はナイアラの領分ですし、織羽の結論に私は何の口出しもいたしておりません」

「さてな……。で、なんの用だ?」

「ええ。まずは彼女にお礼を」

「お礼?」

「いま、織羽がいる戦場に同行しなかったことを。それをしていると、あの子に成長はなかったでしょう」

「それは……」


 ニースと名乗るこの女が来ることはわかっていた。

 そして、織羽がいま向かっている場所に霧がいると足手まといになることもわかっていた。

 だが霧にはその理由はわかっていない。

 霧の持つ占い師の能力、魔眼導師に生えて来た【未来視】の能力とはどういうものだ。


「あなたたちは、なにかを企んでいるのですか?」


 だから、霧にはそれが見えない。


「それは……企んでいるわ」


 わずかに言いよどんだかと思ったが、次の瞬間にはあっさりとそれを認める。

 霧は目を丸くした。


「私が望んでいるのはあの子の成長です。向こうで完結しなかったあの子の成長」

「完結しなかっただと?」


 ニースの言葉にフェブリヤーナが反応した。


「ええ。人々が望んだ結果は導いてくれたけれど、我々が望んだ結果には到達しなかった」

「……妾どころか魔神王までも倒しておいてか?」

「そうです。おおいに目論見を外してくれました。あの未熟な子にとっては、あなたたちでは物足りなかったということでしょうね。いえ、イング・リーンフォースという肉体は、あの子には甘やかしすぎていたということなのかもしれません」

「……その言い草では、あの世界を救うことはお前たちにとって重要ではなかった、と言いたげだな」


 フェブリヤーナは不満げだ。

 それはそうかもしれない。

 寝物語に織羽からある程度は聞いているが、その戦いはかなり激しく厳しいもののように思えた。

 それなのに、結果に不満足?

 世界を救うことが目的ではなかったのか?


「勇者とは、なんだと思いますか?」

「む?」

「民衆の力ではどうにもならない苦境を解決する者? 字義通りに勇気ある者? それだけなら封月織羽は確かに勇者だったでしょう。ですが、私たちの定義する勇者とは違います」

「ではなんだというのだ?」

「限界を突破する者。それこそが私たちの求める勇者です」

「限界だと?」

「覚えていませんか、フェブリヤーナ?」

「なんだ?」

「あなたと戦った時、織羽はあなたの得意な魔法で応じませんでしたか?」

「む?」

「部下の魔将と戦う時、それぞれの得意分野で応じませんでしたか?」

「…………」

「軍には軍を。その結論には至ったものの、主要な敵との戦いでは相手の得意分野で応じたはずです。まぁ……魔神王の場合は全力を持って応じたというべきでしょう。あの存在にはそうするしかなかったとも言えますが」


 たしかに、剣聖である亮平に剣で挑んだし、バシアギガ相手にもほとんど武器だけで挑んでいるように見えた。

 魔法や彼女の使う死霊の軍団をもっと活用すれば、もっと簡単に勝てているはずなのに織羽はそうしない。

 自身がときどき皮肉るようにバトルジャンキーなのだと霧は思っていた。

 だけど、理由はそれだけではない?

 そういう行動原理を誰かに刷り込まれている?

 そしてその張本人が、彼女の師匠たち……ということなのか?

 なんのために?

 自分たちの世界を救うという目的以上のことを織羽に望むのはなぜ?

 どうしてそこまで織羽を成長させたい?


「目の前の限界に挑み、それをことごとくと乗り越えていく。それがお前たちの定義する勇者だとして、だからどうしたと言うのだ? その性をあいつがいまも引きずっているのだとして、それがどうしたと言う? 本題を遠回しにし過ぎではないか?」

「私たちのやっていることを理解して欲しいだけですよ。この方に」

「霧にか? なぜだ?」

「それはいずれ、この方自身が理解に至ることでしょうし、この方がそうなればいいだけです」


 そう言うとニースは霧の前に膝を突いた。


「いまはただ、あなたに感謝の祈りを」

「え?」

「私たちの思惑を超える尊き方よ。どうか我らの愚行をお見過ごし下さいますように」

「…………」


 そんなことを言われても困る。

 霧はただ、静かに本を読んでいたいだけだ。

 己の内で渦巻き荒れ狂ういろんなものを本の内に封じ込めておきたいだけだ。

 いまはただ、織羽の側にいたいだけだ。


「織羽は……無事に帰ってくるのでしょうか?」

「あなたに見えぬ未来は私たちにも見えません。私たちはただ、あの子が試練の中にあることを望み、そして試練を勝ち抜くことを望むだけです。その先にこそ……」


 その先にこそ?

 なにがあるのだろうか?

 だけど、いまの霧にその未来は見えない。

 下手に見えてしまうからこそ、見えない時が怖い。

 どうか、織羽が笑って帰ってきますように。

 霧はただ、それを願うしかなかった。


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