93 ホーリー視点


 少し、時間が進む。

 クラウン・オブ・マレッサを下船した僕たちはワシントンD.C.のとある邸宅にいた。

 森と見まごうばかりの庭に囲まれ、その威容とは裏腹に静けさを維持した豪邸に直行した僕は屋敷の主人と対面していた。


「ホーリー、慌てているようだが、どうした?」


 主人は初老ぐらいの男性だ。総白髪であるのは男性の苦労の現われなのかもしれない。


「ついに揃いました」

「なに?」

「以前に話していた物です」

「なに⁉」

「聖者装備が揃いました」

「……では、可能なのか?」

「はい。僕の力不足でいままで不可能だったお孫さんの治療を」

「ホーリー。では、ついに」

「はい」


 それは五年前。

 僕が異世界から戻ってそれほど時間が経っていない頃。

 彼女と出会ったのはネバダ州だった。

 彼女は異世界帰還者ではない。エリア51を信じているような夢見勝ちの大学生だった。

 一方の僕はダンジョンの存在を知って各地を仲間とともに巡っていた。手に入れた能力を無駄にしないため。気分はちょっとした探検家だ。

 世界にどうしてダンジョンが現れたのかを考えることもなく、無邪気にそのスリルを楽しんでいた。

 最終的にはダンジョンを潰すまで行うのだが、攻略を急ぐことはなく、日が沈む時間には外に出てバーに行って仲間たちと乱痴気騒ぎをし、昼過ぎまで寝てからダンジョンに入る。そんな生活を送っていた。

 異世界での日々を思えば、能力を再利用できつつ、しかしあの頃のような逼迫感がない生活はただただ楽しかった。

 彼女と出会ったのもそんな夜でのことだった。彼女のUFO話は広く深く、そして趣味に没頭する人間の他人を無視した喋りではなく、どうにか楽しんでもらおうという努力が垣間見えた。世界には大きな秘密があるのだと夢想する彼女の姿は微笑ましかった。

 そして、同好の士ではないというのに嫌な顔をせずに聞く僕のことを彼女は好いてくれた。

 惹かれ合うのにそれほど時間は必要なかった。

 だが、楽しい時間は長続きしない。

 その事故は起きてしまった。

 世間的には隕石落下による爆発事故だと報じられている。

 エリア51が近かったことでUFOの噂が世界中で再燃したが、政府はそれを都合よく利用して事実の隠ぺいに成功した。

 そう。

 事実は違う。

 現実に起きたのはダンジョン・フロー。

 ダンジョンという囲いを超えて、その中にいたモンスターが溢れ出したのだ。

 限定された空間であればなんということのない敵たちだが、移動の制限がなくなった現実の大地に解き放たれたモンスターを全て駆逐するのは簡単ではなかった。

 僕たちの方が強かったとしても数では負けている。

 必死で戦い、最終的には外の被害には目を向けてダンジョンを完全攻略するしかないという結論に達し僕たちはそれを実行した。

 作戦は功を奏し、ダンジョンの攻略を終えるとともに外のモンスターたちも消えた。

 だが、その間の被害者に彼女もいたのだ。

 愛しのマイア。

 彼女はただ負傷しただけではなく、呪毒という謎の状態異常を受けた。

 それは回復と補助を極めた聖王である僕でさえ癒やせない謎の症状だった。

 なんとしても彼女を癒やす方法を見つけなければ……。

 こうして異世界から帰還した僕の新しい人生は定まった。

 新たな癒しの技を研究するため『探究会』という組織を作り、同時にダンジョン・フローを二度と起こさないためにダンジョン攻略を目的とした異世界帰還者チームをボランティア団体という体裁で組織した。

『探究会』にやってくる人々の数は増え、ダンジョン攻略チームの活動も順調。彼女の治療という最終目的以外は全てがうまくいっていた。

 いや、それに対しての希望が見えたのも早くはあった。

 それはとあるダンジョンでのことだ。それ以前に黄金のランダムボックスで手に入れた聖者の法衣……それを着た悪魔のような有角の人物がそのダンジョンのボスだった。

 奴はこちらのチームにいるデバッファーの使う毒を解除したのだ。

 彼の毒は時間制限はあるものの様々な能力を低減させるだけでなく、その時間内では絶対に解除不能という強みがあった。

 その毒を癒やすことができればマイアを救うことができるかもしれないと僕も挑戦していたが、いままでうまくいかなかった。

 それをあのボスは成功させていた。

 その時、奴の持っている装備に着目した。聖者の法衣はセット装備で揃えれば特殊な能力を発揮すると【鑑定】には出ている。

 その能力こそが僕の求めているものだと、確信した。

 いや、そう信じるしかなかっただけかもしれない。探究したところで僕に新しい癒しの魔法を作ることができないことは明白だった。

 しょせんは敵を倒すという行為でのみ成長し、獲得してきた能力だ。ダンジョンでのレベル上げで新しい魔法の獲得を目指したが手持ちの魔法の精度があがっても、新しい魔法を得ることはできなかった。

 新しい能力、新しい魔法……聖者装備を揃えることで手に入れるしかなかった。


 その努力が、いま実を結ぼうとしている。


「…………」


 聖者装備を身に纏って彼女のいる部屋に入る。

 彼女の部屋はICU並みの設備が揃えられている。そうでもしなければ彼女の命は保てなかった。

 そしていまでは意識を取り戻す時間は少ないという。

 僕が部屋に入ってきてもマイアは気が付かなかった。


「いま、癒すよ。マイア」


 僕はそう声をかけ、獲得した新たな魔法を展開する。


【聖光無辺】


 あの有角のボスが起こしたものと同じ現象が起きる。

 杖を中心に眩いのだけどなぜか見ることのできる優しい光が発生し、部屋に満ちる。

 あらゆる呪詛毒素を打ち払う状態異常完全回復魔法。

 それが【聖光無辺】だ。


「マイア」


 光が去るとともに【状態探査】で彼女を調べる。無菌状態を保つシートの中で眠る彼女は呪毒によって見る影もないほどにひどい状態となっているのだが、その彼女の状態から呪毒の文字が消えていた。

 ただ、生命力が減少しているだけだ。

 僕はすぐに回復魔法で彼女を癒やした。


「……うっ」

「マイア」

「え? ……ホーリー?」

「ああ、そうだよ」

「どうしたのその格好? まるで教皇様みたい」

「ははは……君のためなら教皇様にだってなってみせるよ」

「なによそれ」

「マイア!」


 弱々しく笑う彼女の姿を後ろから見ていた屋敷の主人、マイアの祖父がたまらず叫んで駆け寄る。


「え? え? おじい様? え? どういうこと?」


 混乱するマイアを置いて、僕は屋敷の主人にその場を譲って部屋を出た。

 これで目的は達した。

 僕は達成感で脱力し、リビングのソファに体を預けた。

 屋敷の主人がやって来たのは一時間ほどしてからだった。


「マイアは?」

「医者の検診を受けていまは寝ているよ」

「そうですか」

「医者からはもう何も異常はないとのことだ」

「よかった」

「……さて、君の話をしようか」

「そうですね」

「君は約束を守り、マイアを救った。ならば私も君との約束を果たそう」

「ええ」

「もうすぐ始まるアメリカ大統領選での大統領候補者として君が指名されるようにする。すでに時期が迫っているが……なに、多少の無理は通る」

「ありがとうございます」

「なに、君はすでに奇跡の人としてアメリカでは有名人だ。あるいは本当に大統領になるのも可能かもしれないな」

「いえ、必ず当選します」

「しかし、本気なのかね?」

「ええ、必ずやり遂げます。この世界は、もうなかったことにするのが不可能なほどに変化している。それを隠し通すこともまた不可能です」

「異世界帰還者の存在を公表するのか。混乱が訪れるぞ」

「もはやそれは不可避です。ならばその混乱に巻き込まれるのではなく、巻き込む側になるべきです」

「……まぁいい。私はただ、約束に従ってやるべきことをやるだけだ」

「はい」


 マイアとの出会いは運命だ。

 彼女の祖父、タイロン・ハルバートンと出会うことができたのだから。

 このアメリカで絶大な影響力を持つとある団体の理事長である彼の力があれば、僕がアメリカ大統領になることも夢ではない。

 そしてネバダの悪夢をもう二度と起こさせない。

 この世界は狙われている。

 ダンジョンはただの遊び場ではない。

 これは異世界からの侵略の橋頭保なのだから。



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