73


「いまのは?」


 脇を通り抜けていったアジア人の少女二人組を見送り、その男は首を傾げた。


「乗船した時にはいなかったはずだが?」

「さきほど途中乗船してきた一行ではないですか?」


 と言ったのは隣にいた女性だ。


「乗船? そうかまた客が増えたのか」


 そう呟いた男は顔をしかめた。

 かすかに漏れた敵意は少女たちの背中に届く前に霧散する。


「やはり、アレが目当てかな?」

「それはわかりませんが……大丈夫です。予算は十分にあります」

「であれば……いいのだけどね」

「問題ありません。いざともなれば……」

「ここで騒動を起こせば、それはこの世界にできているもう一つの社会を敵に回すということだよ」

「その価値はあります。きっとアレの価値を他の者は気付いていません。手に入れるならいまです」

「……そうだな。全てを捨ててでも、か」

「おお、ミスター・ギルバーランドじゃないか」


 前の部屋から出てきた老人が男女を見て声をかけてきた。


「おや、ミスター・封月? なるほど途中乗船してきたのはあなた方でしたか」

「うむ。孫をこの船に乗せてやりたくてな」

「物見遊山でこの船に? いや、たしかに刺激的な船ですが」

「刺激が好きな孫でな。これがもう可愛くてたまらんのじゃ」

「ははは。では、たしかにこの船は最適でしょう」

「であればよいがな。ではのミスター・ギルバーランド。儂らは一週間ほど乗っておるつもりじゃから、その間に食事でもしよう」

「ええ、是非とも」


 老人といつも彼と一緒にいる執事。そして護衛の男たちを見送り、男……ホーリー・ギルバーランドは小さく舌打ちした。


「……ここで最大の敵が登場するか」

「こちらの目的に気付いていると?」

「わからない。だが、あの老人の興味をアレに向けさせるのだけは何としても防がなくては」

「確かに封月の資金力は侮れませんが……調べますか?」

「……藪を突いて蛇を出すとはしたくないが、いまなら交渉の余地もあるか」

「孫……と言っていましたね。先ほどすれ違った少女のどちらかということでしょうか?」

「アジア人だったから、そうだろう」

「あちらから接触してみるのはどうですか?」

「ふむ……とはいえこの船に乗る人物だからね?」


 ホーリーの問いに女性、秘書のペギー・ワイナスはやや軽蔑の色を見せた。それはもちろん上司であるホーリーにではなく、封月昭三に向けたものだ。


「彼にあるのはマネー・パワーだけです」


 はたしてそうだろうかとホーリーは内心で思う。だが、あえて口にしなかったのには彼自身に封月昭三にそういう感想を抱き、侮っている部分があるからだ。

 だが、それではいけないと異世界の経験が囁く。


「ペギー。侮るのはよくない。それを我々はあの場所でよく思い知ったはずだ」

「ええ、わかっています。孫への接触も慎重を期すべきです。ですが、あなたが声をかければ案外簡単に話が進むかもしれませんよ?」


 それは冗談だったのだろうか?

 わからないが、ホーリーは微笑みを返した。


「……わかった。やってみるとしよう」

「いえ、そちらは部下に任せましょう。陛下にはこの船にいる間にも色々と予定がありますので」

「やれやれ、たまには僕もプールサイドで女の子とドリンクを飲んだりしたいんだけどね。それに、もう陛下じゃないよ。こういう場では社長と呼んでもらわないと」

「あら、二人きりの時は昔の呼び方でもよいと仰られましたよ」

「そうだったね」


 今回の一件でナイーブになっている上司から笑顔が出たことに安堵し、秘書のペギーも微笑む。

 彼の名はホーリー・ギルバーランド。

 異世界にて聖王と呼ばれることになった男である。

 その清廉たる精神はいまもなお彼の身の内に存在し、そしてこの船にいた。



†††††



 どっちを向いても水平線な海を見ながらプールに入る。

 うーむ、これが金持ちのやることか。

 とはいえしょせんは船の中。プールといってもそこまで広くもないし深くもない。


「お嬢様、タオルをどうぞ」

「ありがとう」

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「うーん……炭酸でなにか」

「ノンアルコールでよろしいですね」

「そだね。よろしく」


 プールから上がるとスーツ姿のスタッフがふわふわのタオルと共にいろんなものを用意するべく動いてくれる。

 チェアでゆったりとしている霧の所に辿り着いた時にはフルーツの飾られたハワイアンなドリンクを持ったスタッフがやって来ようとしていた。


「至れり尽くせりだな」

「小市民の私にはちょっときついわ」


 霧の嘆息に軽く笑い、俺もチェアに横たわる。

 とはいえ粗雑に扱ってくれと言われても困るのはスタッフの方だ。彼らは乗客の等しく上質のサービスをするために教育されているのだ。

 他の客の目もある。逆バージョンの差別扱いはいらぬ誤解や騒動の種にもなる。それがわかっているから霧だって口にしない。場違いなのは自分たちなのだ。


「まっ、せいぜい成金ぽく振る舞うぐらいしかないやね」

「その開き直りが羨ましい」

「これでも俺、向こうでは勇者様だったからな」


 異世界流とはいえ最上級のサービスを経験している。

 たまに暗殺者っていうサプライズイベントも用意されたりしてたな。懐かしいな。次の日平然と朝食を食べているときの貴族連中の悔しそうな顔。メシウマとはこれか、と思ったものだ。もちろん、それ以外にも仕返しは色々したけどな。寝起きドッキリとして新鮮なトーテムポールをベッドサイドに置いてみたりとか。目覚まし機能付きだぞ。


「そういう意味だと私もあるにはあるけど……」

「だろう」

「とはいえ、私はそこまで重要人物じゃなかったから」


 なんて嘆く霧と一緒にトロピカルなドリンクを飲む。微炭酸でなんか薄いフルーツ味。見た目重視だな、これ。いや、俺が炭酸っていったからこうなったのか?

 ていうか、普通に日本語が使えるスタッフがいるんだな。


「そういえばオークションで霧はなにか目当てはあるのか?」

「なにもないわよ。そんなお金も持っていないし、そんなものを持ち帰る余裕もなかったわ」

「あ、ならこの前のダンジョンで何個か拾ったろ? あれ売り払ってしまおうぜ」

「いいけど……いいの」

「取っときたい物はとくになかったな」


 この船のメインイベントはオークションだ。それも異世界帰還者関係の物品を専門に扱う。

 なので、この船にいるのもほとんどが異世界帰還者ということになる。

 このプールの周りで同じようにチェアでだらだらしている連中も異世界帰還者ということだ。

【鑑定】はいまのところ使っていない。喧嘩の種を無意味に振り撒きたいわけでもない。

 ただ、この船のルールの面白いところは喧嘩や戦闘行為は禁止されていないことだ。

 禁止されていることは船を傷つける行為。船を傷つけさえしなければなにをしてもいいということになる。

 つまり、船を傷つけなければ乗客同士で殺し合うのもありだ。

 なんというか、呆れるようなルールだな。

 それはともかく、オークションだ。

 特に重要でもなかったので軽く流していたが、ダンジョンの戦闘では青水晶のほかに武器や防具やアイテムなんかも拾っている。

 一応研究用に売らずに置いておいたが、もう必要ない。調べたがどれもたいした能力もないし、特殊な素材でもなかった。


「大半は普通に冒険者ギルドの買取所に出せばいいだろうけど、これならまぁ、それなりに売れるかも?」


 俺がちらりと見せたのはカルデミア古戦場で拾った赤の籠手とかいう防具だ。いままでダンジョンで拾った中では数値が高いのだ。たかが防御力+15の分際で。


「ダンジョンを潰してしまったからセットにできないし持ってても仕方ないから売ってみよう」

「そうね」

「ちょっといいかなそちらのお嬢さん方」


 と、男が拙い日本語で話しかけて来た。

 見ればブーメランパンツのゴリゴリマッチョがすぐそこにいた。デカいわりに静かに動ける黒人の男だ。

 Vなパンツを見せつけんばかりに立つ男はニヤニヤ顔で俺たちを見下ろす。


「お嬢さんたち、刺激的な遊び、しないかい?」

「よしやろう」

「おっ、ノリいいねぇ」

「遊びは遠投だ。お前が球な」

「はっ」

「ちょいや」

「ぬあっ!」


 一瞬でブーメラン男の背後に回ると首根っこをひっつかんで放り投げる。男はそのまま船の外まで飛んで行って海に大きな水柱を作った。

 さすがにパンツのようにブーメランとはいかなかったか。


「誰かのおまけで付いてきた娼婦とでも思ったのかね? ばかめ」

「大丈夫なの?」

「知らね」


 救助隊はもう動いているみたいだしなんとかなるんじゃないかな? 溺れたとしても知ったことじゃない。この船では殺人は禁じられていない。

 ちなみにこの船、国籍がない。

 つまり公海上の犯罪取り締まりの基準となる旗国主義も通用しない。

 というか場合によって海賊みたいな集団として取り締まられたりする存在だったりするが、その心配はないそうだ。

 いまのところは。

 これもまた異世界帰還者の扱いがいまだ世界的に定まっていないせいでもあるのだろう。

 公表するべきか、否か。

 世界中の人間がその問題に対して二の足を踏んでいるというのもなかなか面白い話だ。


「ナイスシュート」


 チェアに戻ってジュースに口を付けていると拍手とともに近づいてくる者がいた。

 今度は女性だ。

 霧の目が動く。

 俺の目も動く。

 二人の視線を釘付けにする見事な果実をその胸に宿した白人女性だが、何となくやぼったい雰囲気があった。

 色気よりも別のことに興味が向いているって雰囲気だ。


「今度はお姉さんと知的な遊びをしない?」


 ちてき。

 痴的ではない……だろうなぁ。

 そんなことを考えている俺に、彼女はスマホを見せた。


『こんにちは新しいご主人様、ボクが玩具職人ルーサー・テンダロスだ』


 スマホにはそう書かれていた。


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