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「ぬるいんじゃないか?」


 そう言ったのは封月昭三の長男、恵だ。


「いまさらいじめの線で押したって一度押し返してるんだ。どうにもならんだろう」

「ならどうする?」


 問うのは次男、誠司。


「親父が正気に戻って織羽も開き直ってべったりだ。どうにもならないだろ」

「……まったく、アルツハイマー型認知症が回復するなんてレアケース、なんで親父に起きるのか。……いや、それはいい」


 愚痴をこぼした恵はぐいとお猪口の酒を飲み干し自分で注ぐ。

 兄弟ではあるが、酌をし合うような仲ではなかった。


「親父にこちらの希望通りのタイミングで墓に入ってもらうのは無理だ。鷹島がいるからな」

「それに親父は金のことには隙が無い。自分が先に死んだ場合の対処は完璧だろう」

「だとしたらやはり、織羽に辞退してもらうしかないが……問題はその方法だ」


 ぴりっとした沈黙が二人の間に走る。

 どちらも次に口にすべき結論がなにかはわかっている。

 だが、それを先に言い出せばそれは言質を取られたことになる。

 できれば、自分は無関係なままでいたい。

 自分が無事なら兄(弟)が身を滅ぼそうと構わない。


「……ふう」


 沈黙の間に流れていた思考は共通している。

 そしてお互いに同じことを考えていることも理解している。


「やるしかないか?」

「そうだな」


 だが、より強大な敵の企みを潰そうというときに他といがみ合っていては為せることも為せない。


「兄貴にその気があるなら、使える奴がいる」

「そうか? 実を言うとこちらにもあるぞ」

「ほう。それなら」

「そいつらを二つとも使うか」


 そういうことになった。



†††††



 壁の向こうで可憐な少女をどうにかしようと、いい年したおっさんたちが話しているとき。


「初めましてでしたでしょうか?」

「そう……だね」


 お隣では俺もまた一人のおっさんと差し向いになっていた。

 ここはとある料亭。

 瀬戸内海の海の幸が並ぶ中、二人でウーロン茶を飲む。

 お酒を勧めたのだが、断られたのだ。いつ呼び出されるからわからないからお酒は飲まないのだと。

 そのおっさんは全体的にくたびれてはいるが、それでも見られる顔をしている。

 見慣れた顔と少し似ているがそれでも違っている。自分の周りだけを見て封月家の顔だというが、血筋を遡れば案外すぐに違ってしまうのかもしれない。

 このおっさんは昭三の甥っ子になる。


「織羽ちゃんだったね?」

「はい」

「それでおじさんになんの用かな?」

「それはもちろん、おじさんに頼みごとがあるからです」

「頼み事? いまや君のお祖父さんが封月家の本家なのに、分家になんの用が?」

「病院です」

「病院」

「病院の実権、取り戻したくないですか?」

「……何を言っているんだね?」

「知ってます?」

「なにをだね?」

「祖父が認知症から回復しました」

「……もちろん知っているとも、回復を証明するカルテを書いたのは私だよ」

「そうですね。祖父は封月の一族が全員嫌いですが、あなたのことは信頼しているようだ」

「それは、私が自分の仕事のことしか考えていないからだろうね。封月の家のことなんてどうでもいい。医者として、私は自分ができることをするだけだ」

「素敵な考えだと思います」

「そ、そうかな」


 とおっさんがデレデレする。

 うーん。外向きに丁寧な話し方をしようとすると、自然と女性的な喋り方になるな。


「本題に戻りますが、祖父は資産の大半を俺……私に譲るつもりです」

「うん。その話は知っているよ」

「すでに相続に関する法や税を回避するややかしい仕組みが動いているようでして、それは止めようがありません。しかしそれを伯父たちは知りません。……私が死ねば、遺産相続の話は正当な分配に戻ると信じています」


 そしていま、隣室で殺す手順についてあれこれと話をしている最中だ。


「それはつまり……君を殺そうという企みがあると? いくらなんでもそれは」

「これは祖父が抱えている調査会社からの報告書です」


 ここに来る前に爺さんに電話したら時に渡された書類だ。

 霧が見たビジョンは俺がここで知らないおっさんと話をしているという光景だった。

 おっさんの特徴が織羽の記憶から医者をしている昭三の甥と合致しそうだった。ここまでわかれば爺さんに頼らないという選択肢はない。

 電話でセッティングを頼むと、迎えに来た千鳳がこの書類を持って来ていた。

 頼んでもいないのに俺が一つを頼むとそのことに必要なものをすべて揃えてくる。

 万能だけど気持ち悪いよな。


「うん?」


 と、俺が渡した書類に目を落とし、そして表情をこわばらせた。


「正直に言えば私にはそこに書かれた内容のほとんどが理解できていませんが、封月系列の病院の存続がかなり危ういことになっているそうですね。それこそ、祖父からの援助が断たれたらすぐにでも倒産してしまいそうなほどだとか」

「……そうかもしれないね。だが、私は経営には不向きだよ」

「経営には祖父の伝手で専門家を雇います。おじさんには新たな病院の顔になってもらえればそれで」

「ふうむ」

「その後、おじさんのお子さんやお孫さんが経営を引き継いで下されば、こちらとしては願ったりです」

「……昭三さんはもういいのかな?」

「はい。もう病院はいいそうです」


 そもそも昭三が病院を奪ったのは家への復讐の趣が強い。もはや昭三よりも年長の者たちは死に絶えており、彼が思い知らせたかった連中はすでにこの世にいない。

 病院そのものに執着はないのだ。


「そうか……恵さんは医者としてはいまいちだが、経営はちゃんとしてると思っていたんだがなぁ」


 おじさんから出てきた意外な毒舌に俺は思わず笑ってしまった。




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