夢の先が暗闇だったとしても。

さーしゅー

夢の先が暗闇だったとしても。


 目の前に座る猫背のおじさんは、画面越しに見た時よりも老けて見えた。

 

 そのおじさんは、大人の魅力に満ちているとか、渋くもカッコいいとかそういうのじゃなくて、眉毛の上には広いおでこがのぞき、ほんのわずかにある髪の毛は今にも風でとんでいきそうな位もろく、頬には深いほうれい線が入っていた。俗に言う冴えないおじさんってやつだ。

 

 母の同級生だから年齢は四十代中頃といったところで、母曰く独身らしい。


 このおじさんの情報は待ち合わせの喫茶店に行くまでの車の中で散々母親から聞かされた。それも悪い情報を重点的に。


 目の前のおじさんは三池みいけ正之まさゆきといい、コンビ名は『まさ・ゆき・まさ』だそうだ。ただ、相方の行正ゆきまささんは10年前に芸人の道を諦め就職したから今はソロでこの名前を使っているらしい。


 車の中で母が「これが三池クンのテレビの映像、一応見ておきなさい」と2枚のDVD渡してきた。2枚の白い面には、『H11 関東漫才大会 準々決勝』と『H30 売れない芸人スペシャル』と書いてある。


 両方とも見てみたいと思ったが、あと10分ちょっとで着いてしまうから最近出演した番組のDVDをかけた。

 

 内容は、タイトルの通り売れない芸人の日常を描いたもので、おじさんが狭いオンボロアパートでカップ麺を半分ずつに分けて食べていた光景が映る。


「あなたはこうなりたくないでしょう?」


 ハンドルを握る母親は、目の前を向いたまま、何か説教じみた声音こわねで呟いた。


 俺は何も返事をしなかった。


 なぜ今日、正之さんと対面するのかは、母の言動から薄々わかっている。


 数日前、進路希望調査にお笑い芸人の養成学校を第一希望に書いたところ、その晩長い長い家族会議があった。


「そんな安定感のない職はやめなさい」

「現実を見ろ」

「第一にお前のネタ面白くないだろ」

 

 順に母父兄にそう言われ、会議というよりは一方的な弾圧を受けたが、俺は全くもって引き下がらなかったから、この面会は諦めさせる一手だろう。


 俺は昔からお笑い番組が大好きで、嫌なことがあっても笑っていたら忘れられた。


 テストで悪い点とった日も、徒競走で転んだ日も、人一倍努力したのに志望高校に落ちた時も……


 どれもつらかったけど、お笑いはその憂鬱ゆううつを綺麗に流してくれた。

 

 だからお笑い芸人になることが俺の夢だった。だけど……


 兄が言うように、俺のネタはウケない。


 徹夜して必死に考えたネタでも、友達は口元がぴくりともしない。


 しかも、ネタを考えるのも、無い頭を捻ってネタを書き出すことはそんなに楽なもんじゃなくて、むしろつらいことだった。



 だから、DVDを見たただけでもお腹いっぱいだった。そこには俺の実力ならたぶんこうなる未来が映っていて、その映像に希望なんてない。



 だから母親の作戦は大成功なんだと思う。


 

「俺の名前は、今本いまもと佑介ゆうすけ。将来の夢はお笑い芸人です……」


 俺がぼそぼそと言うと、隣から母親が口を挟む。


「三池クン、今日はわざわざごめんね。でもどうしても佑介には現実を知っててもらいたくて……」


「いえいえ、いいですよ。それで、何から話しましょうか?」


 正之さんはほうれい線をキュッと上げ、優しそうに微笑む。


「…………」

 

 俺は何も口にできなかった。


 正之さんから現実を聞いたら、俺の中の夢は儚く散ってしまいそうな気がしたからだ。そんな俺の様子を見て母は、横から自信満々に口を開く。


「三池クンは、いま芸人として……こんな感じだけど、芸人になったことどう思ってる? 佑介に後悔を教えてあげて欲しいの」


 俺は下を向き、ギュッと目を瞑った。


 思うに、正之さんはたくさんの後悔をしてきたのだと思う。


 俺は車のカーナビの中に映った、正之さんを思い返す。とてもいい扱いなんてされてなくて、番組が可笑しげに取り上げたその生活だって、幸せそうには見えなかった。


 だから、これから話すだろう苦しい話は聞きたくなかった。


 そんな俺の意図を無視して正之さんは口を開く。

 


「俺は……」


 その時、俺は更にきつく目を瞑り、母は期待に満ちた表情をしてたんだと思う。






「芸人を目指してほんっっっっっっっとうに良かったと思ってる!!!」

 






 正之さんは大きな声で、そう言い切った。



 何が起こったわからず俺は顔を上げると、そこには活き活きとした正之さんと、対照的に青ざめた母親がいた。正之さんは更に続けた。



「確かに今の生活は苦しい。だけど、俺はちゃんと夢に挑戦できたし、未だに夢を追い続けられている!」


 正之さんが元気よく言うなか、母が頬をヒクヒクとさせながら、引きつったような苦笑いをしながら口を挟む。


「お、お言葉だけど、今貴方はそんないい歳してそんなことしているんだから、後悔の一つ位はあるのじゃ無いかしら……」


 その十二分に失礼をはらんだ言葉にも、正之さんは嫌な顔一つもせずに堂々と答える。


「いいえ、いっさい無いです! 今こんなことをしてつらいと思うことはあるけど、それでも後悔はしてない!」


 そこまで言うと正之さんは「だって」と一息つくと……



「あの時、芸人を目指さない選択肢なんて絶対にあり得なかったから! たぶん目指してなかったら今でも後悔で苦しんでいたと思います」



 と満ち溢れた笑顔で言ったんだ。


 そのおじさんの姿は、はたから見ればクソダサイものかもしれないけど、俺の目には一番にカッコよく映った。


「あっ……あ、そ、そうですか? わかりました……! ちょっと今日用事思い出したのでここでおいとましますね! 全部こちらで払いますので、ごゆっくり〜」


 母親は引きつった笑顔を崩さないまま、正之さんにそう言うと、俺の腕をガシッと引っ張って「行くよ」と言った。


 まだ、湯気立つコーヒーなんて一口もつけていなかったのに。


 母親が痛いほど腕を強く引っ張り、ガツガツと店内の出口に行く途中、俺は母に背いて叫んだ。


「俺、絶対お笑い芸人になるから!」



 そう言うと正之さんはニッコリと笑った後、腕を天に向かって突き上げた。


 だから、俺も掴まれてない方の腕を思いっきり、天に突き上げた。


 厳しい現実にも負けずに夢を目指す決意を込めて。



 





 



 

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夢の先が暗闇だったとしても。 さーしゅー @sasyu34

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