エピソード 3-2
※
胸騒ぎが抑えられないまま僕はスタッフ専用駐車場を歩く。
車に辿り着きドアを開けた瞬間目眩がした。
いや違う。揺れている。地震だ。大きい。
だがほどなく揺れは治まった。
これほど大きな地震はT・Bの配置以来初めてではないか。
僕は車に乗り込み発進させた。門の手前で停止するとセンサーが働きゆっくりとゲートが開いて行く。
ゲートの向こう側の光景は、まったくもって見ものだった。
お祭り騒ぎだ。マスコミや野次馬、警備する警察官などなど。歩道と車道の境界にはロープが張られていた。僕が進み出ると警察官は蛍光色に輝くライトを振って誘導してくれる。
さっきの地震で動揺している様子はないか。僕はゆっくり通り過ぎながら、横目で群衆を観察したが何とも判断できなかった。
テロによるエリン遭難事件は世界各国でトップ・ニュースとなっている。マスコミから問い合わせが殺到しJAXAは「事実確認中」で粘ったが、トムが発表した事件の内容がそのままリークされるまで時間を要しなかった。あの場にはメディア関係者も立ち会っていたのだから当然と言えば当然だ。
僕は夜のバイパスを進んだ。三日月が鋭いほどに鮮やかだ。なのに直線道路以外何も見えない。両端に立ち並ぶ照明のおかげで闇をいっそう深く感じる。
堆積した破壊物がそのまま残る一面の廃墟街に造られた道なのだ。廃墟の中には無数の遺体の破片が散らばっているという。
20分ほどで自宅に着いた。車を駐め玄関に向かったとき、僕は思わず身を引いた。
ドアの前に誰かがしゃがんでいる。玄関の照明の下、ぼんやりとした輪郭を浮かび上がらせていた。僕の存在に気づくとその人物は立ち上がった。
「おかえりなさい、ミヲル」
女は言った。耳に心地よい柔らかな声。
僕は女を無視してモバイル・ターミナルを操作する。カチッというアンロック音と僕がドアを開けたのは同時だった。僕がノブを引き中に入ると女も当然のように入って来る。
何の用だ、と僕は靴を脱ぎながら女の顔も見ずに訊ねた。
「報告よ」
凪野理瀬が答えた。僕はモバイル・ターミナルをテーブルに置くと改めて理瀬を見た。彼女は物珍しげに室内を見回すと、ベージュのミリタリーコートのフードを払い除け、トートバッグを床に置いた。
「JAXAはずいぶん高月給なのね。その若さで新築の住宅に暮らしてるなんて」
「僕はJAXAの業務はしてるが社員じゃない。この家は中古物件なんだ。格安の値段で買ったんだよ」
「そうなの。意外だわ」
「それでなくてもこの地区は敬遠されてる。残留放射線こそ少ないのにね」
僕はモバイル・ターミナルに目をやった。これにはガイガーカウンターの機能もついている。
「隣りにシニア専用アパートが建ってしまった。そこで前の持ち主は早々に売り払おうと決意したのさ。正直に売る理由を話してくれたよ。耳の遠い年寄りどもが大音響で深夜アニメ見るものだからとても耐えられないって」
「それは大変ね。でも良かったじゃない。素敵な部屋だわ。ちょっと変わってるけど」
壁紙は一面透き通るような空色で丸い窓が並んでいる。
「家電は総合AIシステムだ。セキュリティも。早速呼んでみる? 不審者が侵入したって」
理瀬は肩をすくめた。
「何だか機嫌が悪いのね。私が来たのが気に入らない? それとも」
理瀬はバッグから出したワインの瓶をテーブルに載せた。
「まあいいわ。まずはお祝いしましょ」
「何の?」
理瀬は苦笑した。
「計画が成功したのよ。見事だったわ。これでエリンは還って来られない」
「僕がどうして祝うんだ?」
「あなたも共犯よ」
僕は軽くため息をついた。
「僕は関わってない」
「そうかしら。少なくとも計画を知ってて黙ってた。それだけでも共犯に近い立場よ」
戸棚を物色していた理瀬は、ワイングラスを見つけ出すと二つ取り出し僕の顔を見つめる。ワインオープナーはどこにあるのかと訊ねたいのか。
だが、理瀬は違う質問をした。
「なぜあなたは私に近づいたの。なぜ私はあなたに秘密を漏らしてしまったのかしら……」
ワインの瓶に指を添え理瀬は自問自答する。爪の一つ一つが青緑で艶やかに染められていた。
「作戦を知ったあなたは私に近づきこうアドバイスした。実行はT・B回収後にするべきだって。だから私はタミレにそう指示したのよ」
理瀬は僕をじっと見つめている。
「あなたのアドバイスの本当の意味は何かしら」
「そのことはちゃんと説明したはずだよ。T・B回収後のほうがより深く世界を絶望させられる、ってね。実際には8個しか獲れなかったから効果は薄かったけど」
理瀬はゆっくりと首を振った。
「私が知りたいのはあなたの真の意図よ」
「真の意図? 考えすぎだよ。君から驚くべき計画を聞いた僕は自分の提案を軽い気持ちで話しただけさ。あとは、そう。敢えて言うなら君の警戒を解くために。僕は君たちの邪魔をするつもりはないってね」
僕はテーブルを前に腰掛けた。すると理瀬はテーブルを回り込むと僕の隣りに立った。
「ねえ、ミヲル。私たちの仲間に入らない? CATSに参加しなさい。CATSには真のエリートしかいないわ。上層部に行くほど輝ける経歴の持ち主ばかり。顔や名の知れた著名人も数多い。どう?」
必要ない、と僕は答えた。
「あなたのような若くて優秀で魅力あるメンバーがもっと必要なの。何だったら私、あなたを幹部に登用するよう推薦してもいいのよ。あなたは特別だから」
「何者でもない僕をずいぶん高く評価してくれるんだね。ありがとう。別にCATSに入ったっていいんだけどね。逆に入らなくてもいい。僕にとってはどちらでも同じだから」
僕の言葉を肯定的に取ったのか理瀬は目を輝かせた。下手な子供より純真に見える。
そのときキシキシという音がした。直後、部屋全体が小刻みに揺れる。大地が揺れているのだ。揺れは二十秒くらい続いた。さっきの地震ほど大きくはない。
理瀬は地震などものともせず語り続ける。大きな地震は絶対にやって来ない。そう信じ切っているのだ。
「大勢の人間を無差別に殺し恐怖でもって目的を遂げようなんていうのは前時代の愚かなやり方。そんなのいつまでたっても誰も評価しない。ミヲルなら分かるでしょう。最小限の犠牲で最大の結果を。私がCATSのトップに就いたからにはこのやり方を徹底する」
僕はいつでも理瀬の熱く語る内容には、とことん興味が持てなかった。退屈すぎて眠くなる話だ。そこらで手に入るスリーピング・ドラッグよりよく効く。
「君たちは驕り調子に乗ってるだけだよ。何かを壊して、みんなが驚き、それを見てはしゃいでるにすぎない。こんなことをする自分たちは凄いねって具合に。本当は違う。壊すより作り上げるほうが遥かに壮大で素晴らしい仕事なんだよ」
理瀬は意味深げに微笑むと僕の腕にそっと手を載せた。
「やっぱり私の勘はいつも当たるのね。あなたは絶対に活躍する。誰よりも良い働きをする。私には分かる。だって私たちも作り上げようとしているのだから」
理瀬は再び食器棚の前へ移動した。真っ先に開けた引き出しの中から見事にワインオープナーを探し当てた。確かに勘がいい。
「乾杯しましょう」
理瀬はワインの栓を抜くと二つのグラスに注ぐ。
「私、エリュへ行くことに決まったの。初回のメンバーに選んでくれるってグラントが確約してくれた。早くミヲルに報告したくてここへ来たのよ」
「それはおめでとう」
そう。この女はそういう女だ。グラントと寝てエリュへの座席を手にし、タミレと寝てCATSに勧誘した。同じ方法でCATSのトップに成り上がったのかもしれない。
「私はずっとエリュに憧れてた。エリュに行くって決めてたの。誰よりも早くね」
理瀬はワイングラスを一つ僕によこした。僕が受け取ろうとしないので理瀬は僕の前にグラスを置いた。
「私と一緒に行かない? エリュへ」
「ありがとう。せっかくだけど行かない。君とはね」
理瀬は表情をすっと曇らせるとワイングラスを撫でた。
「……私はね。魅力的な男が私に対し敵意を抱くのを見るとわくわくするの。だから私は今日あなたに恋をした。生まれて初めての恋かもね」
理瀬はグラスを掴み勢い良くワインを飲み干す。
「ミヲル。あなたが好き。あなたがトムの娘と交際してること、もちろん知ってる。でもあの娘はあなたにふさわしくない。どこにでもいそうな個性のない娘だもの。……ほら、また」
理瀬はおどけたように首をかしげ僕を見下ろしていた。
「私を憎んでる目。真剣に恋してるのね。かわいそうに、あの娘。心配ないわ。エリュならすぐにクルーを救助できるでしょ」
理瀬は無責任に言い放った。鼻高々だ。少ない犠牲で最大なる損害を。そんなテロを実現した自分がCATSのトップとしていかにやり手であるか、自慢したくてたまらないのだ。
そのときテーブルの上のモバイル・ターミナルが反応した。メール受信だ。美音亜からの。
内容を一目見た瞬間、僕は軽い眩暈に襲われた。
『今夜は池野さんのご厚意でこのまま医務室に宿泊させてもらうことになりました』
問題は文面と一緒に送られてきた動画だった。
見覚えのある場所。
人目につかない一画にあるイタリアン・レストランだ。
ちょうど一組のカップルが店から出てくる場面だった。
腕を組み親しげに話す二人。
カップルとは僕と理瀬だった。
そして動画の下には美音亜からのメッセージ……。
再び端末が反応する。今度は着信だ。僕の手が自然に動き端末を耳に当てている。
池野センター長が僕に呼びかけていた。会話しながら僕は上の空だ。
「じゃあ、研究室で待っている。夜中にすまないが、できるだけ早く来てほしい」
池野は僕をJAXAに呼び出すだけで、決して要件を告げようとはしなかった。池野ほどの人物が事件発生の深夜、社員でもなく一技師にすぎない僕に何の用なのか疑問だ。
どちらにしろ願ってもない呼び出しであることに違いはなかった。
「どこへ行くの?」
靴を履く僕は理瀬から声を掛けられ初めて彼女の存在を思い出した。僕は動揺しているのだ。
「ああ、ごめん。呼び出しなんだ」
僕は理瀬を自宅に残したまま急いで車に乗り込んだ。うまくすれば美音亜に会えるかもしれない。
僕はどうしても美音亜と会いたかった。
会う必要があるのだ。
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