エピソード 3-1
※
トムのアナウンスメントに区切りがついたところで人々は解散を命じられた。とりあえず今は何もできない。長期戦の構えだ。
もちろん僕の出る幕などなくいったん自宅へ戻ることに決めた。午後九時を回っていた。僕はまず医務室へ向かう。
美音亜たちはどうしているのだろうか。まだ医務室にいるのか。それとも今夜は引き上げ、リニアで東京へ向かったのだろうか。いや。状況が状況だ。どこかに宿泊して事の成り行きを見守るに違いない。
美音亜に何度かメールを送ったが返信はない。
僕は医務室の前に立った。扉横のセンサーにモバイル・ターミナルをかざした。「ハイ」という事務的だが落ち着いた声が応答した。合成の声だが人間の声と遜色ない。
「津久井さんはいらっしゃいますか」
「木崎ミヲルさんですね。少々お待ちを……。はい、津久井さんはいらっしゃいますが、ただいま面会中でございます」
僕は一瞬迷ったが訊ねてみた。
「どなたと面会中なのでしょうか」
「少々お待ち下さい」
音声ロボットはオウム返しに言う。ほどなく部屋の中から気配を感じた。ドアの間近で足音がする。やがて自働ドアが開いた。顔を出したのは美音亜だ。
紺色のコート姿だった。コートの下で、どんな服に着替えたのかは分からない。
「ごめんなさい、ミヲル。なかなか返信できなくて」
美音亜は僕の恰好に軽く目を走らせた。
「帰るの?」
「うん。いったんね。美音亜たちは今夜どうする?」
「ホテルに泊まるわ。池野さんが手配してくれるって。池野さんから事故の説明とお父さんの様子を教えてもらってるの」
美音亜はわずかに首を動かした。心なし声音が震えている。そうか。面会相手は池野センター長か。
僕は美音亜に近づき肩に手を添えた。
「大変なことになったけど大丈夫。今、お父さんたちを助けに行く方法をみんなで考えてるところだから」
美音亜は何とも言えない複雑な顔をしたが頷いた。込み上げる何かをかみ殺しているかのようだった。池野は美音亜たちにどのような状況説明をしたのだろうか。
「ありがとう、ミヲル。……気をつけて帰ってね」
美音亜はそう別れの言葉を口にした。
僕は探した。美音亜に掛ける言葉を。けれど。
「美音亜、少しでも休んで。辛いだろうけど」
それしか思いつかなかった。僕は美音亜に笑みを浮かべてみせると踵を返した。
「ミヲル」
美音亜の澄んだ声が僕を呼び止めた。僕は足を止め振り返る。
「メールするわ。後で」
何だろう。美音亜は目になんとも不可解な何かをたたえていた。
いや。今に限ったことではない。彼女はたびたび僕をそういう目で見つめていた。
それに対し僕は深い意味を見出して来なかった。けれどここへ来て決定的な違和感を感じている。
僕はずっと見過ごして来た。美音亜の気持ちを疑っていなかったから。
美音亜はいつも表現していた。
まるで僕のことが好きであるかのように。そうでなければいけないかのように振る舞った。
僕は躊躇っていた。ここで美音亜と離れてしまって良いのか。本当にそれでいいのか。
結局僕はタイミングに負けた。僕が声を出そうとした瞬間、美音亜はくるりと向きを変えドアの向こうに姿を消した。
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