エピソード 2-1

 ※

 美音亜は水星を滑るように走っていた。


 厳密に言えば浮遊して地表に触れないまま移動している。青白い地表を上下しつつ地下に埋まるT・Bが発する信号を求めて進む。


……いや。美音亜ではない。僕だ。僕がロボットを操作している。違う。僕だ。違う。


本当は……。僕は船長の娘の名前にちなんだロボット・ミネアのAIなのだ。後ろにT・Bを収めるコンテナをしょって。右に左に斜め上に真下に落ちる。


 ……しまった。


 突然あることに思い当って僕は凍りついた。


 すでに掘り出したT・Bを積み込んだコンテナに無効処理を施しただろうか。どうも忘れたような気がする。


 まずい。T・Bは猛毒だ。


 とはいえ僕は生きている。それこそT・Bが無効化している何よりの証拠だ。だが。今度は別の危険を認識した。


 進む方向が違う。僕は灼熱地獄に向かっているのではないか。太陽に近い水星で太陽光に晒されればたちまち溶け死んでしまう。早く安全な北極に引き返さなくては。


 けれど見つけたT・Bは八個だ。たったの八個。そんなはずはないのに……。

僕はハッと見を起こした。椅子に座ったままだった。


「大丈夫?」


 美音亜が僕の顔を覗き込んでいた。肩に彼女の手が添えられていた。


「うなされてたから」


 美音亜が遠慮がちに言った。そういうことか。美音亜が起こしてくれたのだ。僕は姿勢を整え座りなおした。全身にじんわり汗を掻いて冷たい。


「起こしてくれて良かった。ちょっと怖い夢を見てたんだ」

「うん。そんなふうだった」


美音亜は小さく肯き微笑んだ。片側だけへこむえくぼが愛くるしく僕は思わず目を逸らした。


「戻って来たんだね」

「ええ。でも着いたばかりよ」

「お母さんは?」

 美音亜はスッと無表情になると首を振った。

「来ないって」


 瑠音が体調不良を訴えたのは、トムが他のクルーと共にディスプレイに現れミッション開始宣言をした直後だった。家に帰りたがる瑠音を美音亜が東京の自宅まで送り届けたのだ。


 僕はモバイル・ターミナルで時刻を確認した。十二時五分。タイムリミットはかなり先だ。


 水星着陸後、クルーはただちに〃餌〃を仕掛けた。餌とは地球から持ち込んだT・Bである。T・Bは格納室に〃無効化〃された状態で封じ込められているため安全に運べる。


同じく無効化機能のついたコンテナを搭載したロボット「ミネア」にT・Bを移すとエリンから解き放ち水星を走らせた。ミネアはT・Bの探知・掘削・回収・格納封鎖作業を行うAIロボットだ。


 ミネアは水星の北極点に到達するとコンテナの扉を開け極点上に餌のT・Bを放つとただちにT・Bから逃げる。T・Bが放射する有毒物質を浴びないためだ。もともとミネアはT・Bの毒性に耐えうるよう、エリュ圏由来の特別な物質で造られている。


 その後ミネアはいったんエリン内部に格納される。エリンの機体はミネア以上にT・Bの毒素をカットする処理が施されているので、毒素に晒されない時間を少しでも稼ぐためだ。


餌の配置作業後、水星に埋まったT・B群からの反応を待つ。その待機時間がセカンド・ミッション前のクルーの休息に当てられていたのだ。


 セカンド・ミッション開始から二日間、僕は一度だけ自宅に戻り数時間の睡眠を取った。宿泊室では落ち着かずきちんと眠ることができない。


「ところでT・Bはいくつ取れたのかしら?」


「八個さ。まさかの八個」


 美音亜の問いに答えたのはどこからともなく現れた歌村だった。


「ほら、飲めよ」


 気が利いていることに歌村は二人分のコーヒーカップを両手に持っていた。僕と美音亜はありがたくコーヒーを受け取ると、早速すすった。


 パーティー用丸テーブル群はすでに取り払われているが、右手の壁沿いの細長いテーブルにはドリンクやポットが置かれ自由に飲むことができる。室内にはそれなりの人数がいたが、パーティー時と思うと閑散としていた。


 これも収穫が少ないせいか。


「そうなると格納室はムダに大きい。ガラガラの状態で帰ってくることになるな」

「ミネアを載せていけるね」


 格納室はT・Bで満タンになる見込みだったのでミネアを水星に置き去りにする予定だった。


「うむ。そういうことになるな」


 ディスプレイを睨みながら歌村は目を細める。エリンの船外カメラが撮影している画像にエリンの機体の一部、それにミネアが映っていた。夜の世界の中、宇宙艇が照らし出す大地は青白く輝いている。

 

 コンテナから宇宙艇の格納室に移動するT・Bはどす黒くところどころ緑色に発光していた。


八個。きっとそんな声が飛び交っていたに違いない。だからあんな夢を見たのか。


「グラントの奴、機嫌を損ねて出て来ないらしい」


 僕は苦笑した。


「持ち帰れないほど見つかるつもりがたったの八個とはね」


「そう、八個。これじゃあ5.5万光年無時間通路の元を取るどころか、地球に配置した分を取り返した程度に過ぎない。まったく割に合わないな」


 僕は軽くため息をつくとカップに口をつけた。


「でも第二回では水星の南極を探索するのでしょう? ひょっとしたらそこでたくさん見つかるかもしれないわ」


「そうでなくちゃ困る。水星にはT・Bがわんさか埋まっているはずなんだからな」

 

 歌村は、楽天的な彼らしく口元を緩めていた。


 ふと視界の隅に白い何かが入ってきた。洋服だ。よく目立つ白。大きく広がった襟に裾がこれまた大きく広がったミニスカート。細い腰には大きなリボンが止まっている。


「凪野理瀬だ。また来たのか」


 僕の視線から歌村が背後を振り返ると、呆れたような声音を出す。


「暇なのか。それとも……よほどエリン計画に関心を寄せているのか」


「多分後者ね。パーティーのときもT・Bが描かれた衣装を着ていたし」


「まあ、彼女は広告塔だからね」


 上の空で二人の会話に口を挟むと僕はディスプレイに集中した。次のT・Bでいよいよラストだ。レールに載せられたT・Bが宇宙艇格納室に収められていく。


「第三回はいつになるのかしら」

「第三回からは太陽光が当たる灼熱の世界を旅するからな。追加の準備がいる」


両腕を組んだ歌村はディスプレイを眺めながら答えた。


ゆっくり。ゆっくりと。T・Bが動き、やがて姿が見えなくなった。それからというものミネアは停止した。エリンのハッチは開いたままだ。


「とは言えエリンのボデーはすでに水星のどこにでも降りられる程度の耐熱設計が施されている。だから、あと少し手を加えるだけで使えるんだ。第三回の実現もそんなに先の話にはならないだろう。なにしろ今回の成果があまりにアレだからな」


 美音亜と歌村の雑談は続く。

 僕は目をしっかり開け脳を働かせディスプレイを見つめた。


 待つこと十分ほど。ミネアが動き出した。エリンの格納室に入っていく。どうやら連れて帰る決定が下されたらしい。ハッチが閉じられた。


これで八個のT・Bは一時的な無効状態となった。


歌村の視線を感じた。僕は彼の視線に応えるように頷いてみせた。


「成功だ」


 そのつもりはないのに僕と歌村の声が綺麗に重なった。それが目立ったのか、何人かの視線を浴びた。美音亜が噴き出した。細い腰を折って笑っている。

 僕も笑った。そんな美音亜を見ていると嬉しくなってくるのだ。


 ※


『ゼロ』の声と同時にエリンの両翼が回転し始める。

『放出値最高レベルに』


 タミレ副船長の声だ。回転翼が猛スピードで回る。エリンがふわりと浮いた。


地球を離陸するときとは異なる方法だ。大量の空気を噴射し水星の大地に叩きつけ、同時に回転翼によるグラウンド・エフェクトを利用して揚力を得る。


その状態でエリンはぎりぎり低空飛行で前進した。瞬く間にスピードが上がる。水星に置かれたカメラはプログラムされたとおりエリンの姿を追ったが、みるみるうちに小さくなった。


「離陸成功だね」


出発は予定より二十六時間も早まった。これもT・Bの収穫が少ないせいだ。


「ええ」

 美音亜はそう答えたきりディスプレイを見守っている。


 ディスプレイの映像が水星からコックピット内部に切り替わった。トムがアップで映る。

『これより地球に帰還する。着陸予定日は35日後の2月19日。状況は安定している。すべてがうまく動いている』


 トムの報告に大きな拍手と歓声が起こる。


「良かった」

 美音亜が呟いた。小さく控え目な声でほとんど拍手にかき消されていた。


「うん。とても良かった。もうすぐトムに会えるね」


「ええ。そう。……でも。本当はね……違うの」


 僕は思わず美音亜を見た。拍手が鳴り止んだ。

「お父さんが還って来るの、もちろん楽しみよ。でも」

美音亜は目を伏せた。


『君たちにエリンから素敵なプレゼントを贈ろう。エリンが撮影する大宇宙の景色だ。みんな楽しんでくれ。まあ、我々も四六時中監視されていては堪らないからな』


 ドッと笑いが湧き起る。トムは真顔のままだった。


『ではお楽しみの休憩タイムだ。コーヒーでも飲むとするよ。また後ほど』


 トムが手を振った直後、画面が切り替わった。

 無数の星や銀河が散らばる宇宙空間へ。


 父親が消えると同時に美音亜はまっすぐ宇宙を見つめた。


「これでお母さんから逃げられるかなって、期待してるの、私。お母さんの束縛が苦しかった。自由になりたかった。でもお父さんが仕事を引退してお母さんの傍にいれば、少しは楽になるんじゃないかなって思う。そうでなくても私、お父さんにお母さんを頼んじゃうつもり」


 美音亜はまた俯いてしまった。


「狡いよね。私。お父さんに押し付けようとするなんて。そのために大好きな仕事を辞めてお父さんに早く還って来てほしいなんて思ったりして」


「そんなことない」


 トムに任せればいい。美音亜は少し休んだほうがいい。そう言ってあげる代わりに僕は美音亜の手を握った。そうしたかったのだ。


「二人でエリュへ行こう。きっと」


 だが美音亜は首を振った。僕は狼狽える。今度は美音亜が可笑しそうに微笑んだ。


「きっとじゃない。必ずよ」


 美音亜は彼女の手を握る僕の手にもう片方の手を添えながら決然と言った。


 パーティーはこれにてお開きだ。予定より一日早く。


 部屋を出て行く者たち。引き続きディスプレイの前に立ちエリンから贈られる宇宙を鑑賞する者たち。通りすがりに壁際に立つ僕と美音亜に目を遣るものの、すぐに目を逸らし澄ました顔で通り過ぎて行く者たち……。


 次の瞬間、僕は身構えた。誰かが見ている?


 手を握り合うカップルに関心を抱かないふりをする心優しき人たちとは明らかに違う。特定の意志を持って僕らを観察する視線。まるで僕たちを嘲るかのような。


 僕は苛立った。


 冗談じゃない。僕たちは観賞用動物とは違う。


 誰だ。僕は相手に悟られないよう目だけを動かした。

 視線の主を突き止めてやろうと。


 そう言えば。僕は歌村を探した。まだ戻らないようだ。T・Bが無事に積み込まれたタイミングで、総務部の女性に呼ばれどこかへ行った。

 実はそのとき僕も呼ばれたのだが、歌村に残るよう言われたのだ。美音亜と一緒にいてやれ、と。


「お母さん……」


 突然美音亜がつぶやいた。妙に掠れた声だった。反射的に僕は部屋の入口に目をやる。そこには確かに瑠音が立っていた。突き刺すようで、なのにどこか空虚な目で僕たちを見ている。


 瑠音が来ていた。今から僕たちはどうすればいいのか。


 それを考え始めたときだった、何かが起こった。何かとてつもなく異常な事態。


 物音がした。破裂音だ。


 僕はとっさにディスプレイを見た。僕と同じように異常を察知した人々も足を止めディスプレイを振り向く。音は確かにディスプレイから聞こえた。つまりエリンが発した音だ。次の瞬間、宇宙空間を映していたディスプレイが真っ暗になる。

 部屋も暗く沈んだ。


 どうした……何が……今……爆発のような音がしなかったか? 

 悲鳴のような声も。


ひそひそ声の会話がそこかしこから漏れ聞こえた。僕は画面を凝視する。


どうして何も映らない?……故障なの? ……いや、通信が途絶えたのだ。


 突如部屋がいっせいに明るくなった。遮光カーテンが開けられたのだ。あまりのまぶしさにまだ昼間だったことを思い知らされる。僕は顔を逸らした。


 混乱の中、いきなり美音亜が動いた。人々をかき分けるように入口へ向かう。美音亜が向かう先には瑠音がいた。瑠音の顔色は死人のように蒼白だった。


 僕も美音亜に続く。

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