エピソード 1-4

「姿が見えないからどこへ行ってたと思ったら。テラスなんかにいたのね。そんな薄着で。風邪を引いたらどうするの。ただでさえ喘息持ちなのに」


 瑠音の髪は後ろで結い上げられ、額が剥き出しなせいでよけいにきつい印象を受ける。


「ごめんなさい。でも外にいたのは少しだけよ」

 だが瑠音は美音亜を無視すると僕を見てキッと目を細めた。


「木崎ミヲルさん。あなたは美音亜を大事にしてくれないのね」

「お母さん。先に外に出たのは私よ。一人でいたの」


「私はあなたたちの交際を認めていません。このような公の場で恋人同士のような振る舞いは慎んでほしいわ。恥ずかしい」


 異変に気付いた周囲の人々がこちらを気にしていた。聞き耳を立てているのは間違いない。


「申し訳ありませんでした。配慮が足りませんでした」


 僕は深く頭を下げた。これ以上2人でいるのはよくないと思い美音亜から離れようとする。ところが歩き出した瞬間、美音亜に腕を掴まれた。美音亜の頬には涙が光っていた。


「木崎さんのご実家は知多市だったそうですね。それも爆心地から僅かな距離ということで、ご両親と妹さんを亡くされた。お気の毒です」


 僕は軽く頭を下げそのままでいた。瑠音の痩せこけた足が目に入る。


「外出していた木崎さんだけは助かった。そのときアルバイト先の水族館にいらっしゃったのね。そこで丸2日間閉じ込められた後、救助された。美音亜からそのように聞いてるわ」


「はい。そのとおりです」

 瑠音が何を言いたいのか分かり過ぎるくらい分かった。


「生き残ったとはいえ水族館は爆心地からたった五キロしか離れていません。周辺には死の灰が降り注ぎ、今でも立入りできないはず。防護服を着用していてもです。そんな場所に長時間いたのだから大量の放射線を浴びたことは間違いないでしょう。体調に異変はないのですか」


「ないわ。ミヲルは健康そのものよ」

 美音亜が代わりに答えた。

「たとえ今は健康でもこれからは分からない」

 間髪置かず瑠音が決めつける。


 僕は顔を上げた。

「定期的に受診し検査を受けています。今のところ癌の兆候はありません」

「そうよ。私は結果を見せてもらったわ。全て基準値内よ!」


 そんなもの見せたこともないのだが、まさか今それを口にするわけにはいかない。


「たとえ今は良くても一年後には発病するかもしれない。もしかしたら半年先かも。私の大切な美音亜がなぜそんな爆弾を抱えた人をわざわざ選ぶのか分からない。あまりに不条理だわ」

「不条理なのはお母さんよ。言っておくけど私はミヲルと結婚の約束をしたんだから!」


 周囲の人はもう見ないふりなどしていなかった。堂々と揉め事を見物している。

「美音亜! あなた自分がしてること分かってる? 放射能に汚染された人と結婚なんかとんでもない」


 瑠音の声のテンションがみるみる上がり、反対に周りは静まり返る。どうしたらこの場を治められるのか考えていたそのとき。


「津久井さん、津久井さん」


 落ち着いた声が呼んだ。瑠音の横には背の低い男が立っていた。池野センター長だ。


「そろそろミッションが再開します。トムと通信しますよ。ディスプレイの近くに移動しましょうか。さあどうぞこちらへ」


 瑠音は一瞬戸惑った様子だが、一度は美音亜に目をやった後、池野に従い離れて行った。


周囲は相変わらず静かだ。マイクで話すグラントの耳障りな日本語に美音亜のすすり泣きがよく響いた。


「我々エリュは宇宙の広範囲に進出し多くの恒星に拠点を築き共栄しています。宇宙は広く様々な形態の生命体と出会います。中には知的に優れた生命にも出くわしますが我々とは似ても似つかない姿形をしています」


気が付くと美音亜の華奢な指は僕の袖口を掴んだままだった。美音亜は俯いて泣いていた。


「ですからエリュと同じ姿である地球の皆さんと出会えてどれほど感動したことか。しかしこれは決して偶然ではありません。我々は長い間、それこそ数世代にわたりエリュ人と同じ姿の生命がいないか探し求めて来たのです。そしてついに地球を見つけた。銀河系の遥か彼方に。それからさらに数世代かけて、地球へ辿り着くことに成功しました」


 グラントはテーブルからグラスを取ると中味を飲み干す。


「エリュと地球の距離はおよそ5.5万光年。そもそもどのようにすれば恒星間の移動が可能になるのか。その鍵を握る物質こそ我々が今まさに水星から発掘しようとしている物体です。地球の言葉で言うT・B。これなしではエリュもここまでの宇宙進出は叶わなかったでしょう」


 グラントがディスプレイに注目する。つられて僕もディスプレイを見た。


 青緑色の輝きが美しい。この物質の実際のサイズは大きめの段ボール箱程度だ。


 エリンにもT・Bを一個搭載した。水星からT・Bを集めるのに餌の役割をするのだ。


「さきほど詳しく説明しましたように、我々の先祖はエリュでT・Bを発見しました。凍りついた深い海の底にです。T・Bを地上に引き上げ詳しく調べているうちにT・Bの奇跡とも言える素晴らしい性質を見つけ出したのです。ここからはみなさんすでによくご存知でしょう」


 T・Bの特異な性質がエリュの恒星間宇宙旅行を実現した。そのメカニズムを説明するには早い話、T・Bを巨大かつ超強力な磁石と仮定すると理解しやすい。


T・Bは何もしなければ他のT・Bと互いに引き合うか反発する。これにより雌雄に分けることができる。さらに特定の電磁処理を加えることによって新しい性質を付与することができる。


この性質のうちの一つが転移性だ。転移性を帯びた雌雄が接近すると瞬時に位置が入れ替わる。これを相互転移と呼ぶ。この際雌雄が移動に要する時間はゼロだ。従ってこれを無時間移動と呼んでいる。


 T・Bの無時間移動を応用して宇宙空間に〃通路〃を造るのだ。通路は無時間通路と呼ばれている。しかし実際の恒星間移動となると、本当に無時間というわけにはいかない。距離が長ければ長いほどそれに比例して時間を要する。


「我々は地球人をエリュ本星へ招待します。最初の212名を皮切りに1人でも多くの地球人に来訪していただく計画を立てています。無時間通路内での速度は一定ではありません。例えば初日で百万キロ進んだとすると二日目は百五十万キロ、三日目は三百万キロというふうに進む速度はぐんぐん増していきます。そして宇宙船で過ごすこと322日と5.17時間、いつの間にかみなさんはエリュに到着しているというわけです」


「と言いつつどこかのバーチャル空間に一年間押しこめられ、外に出てみたら地球のどこかに作られた未来都市テーマパークにいたりして。エリュへようこそ!」


 グラントの近くで誰かがふざけた。笑いが起こる。


「エリュエリュ詐欺だな」


 ジョークに乗ったのは歌村だ。さらに大きな笑いが起きる。笑いが治まりかけたとき誰かの手が上がった。しなやかな腕が仄暗い空間に白く浮かぶ。


「ちょっと、よろしいでしょうか」

 耳に心地よい柔らかな女性の声。人前で話し慣れているのだろう。発音は洗練されていた。


グラントは笑みを浮かべ頷くと、彼女にマイクを渡す。女性は凪野理瀬だった。


「5年前、エリュのみなさまが地球にやって来たばかりのころ、宇宙人が来たなんて実はかつがれてるんじゃないかって巷で噂していたものです」


 理瀬は金色のドレスから衣装変えをしていた。裾を大胆な斜めにカットした黒のドレスには、青緑色に輝く立方体が散りばめられている。


「本気で疑っていたわけではないんです。ただ、私たちはこれまでの常識を覆す事態に直面しひどく戸惑っていました。信じるのを躊躇っていたのです。これ以上未知の文明に踏み込むのを恐れていたのです。仮に巨大宇宙艇の出現も赤道の人工島も全て捏造だったとしましょう。地震はどうなりましたか。五年前、エリュが5個のT・Bを地球に配置してくれてからというもの、マグニチュード3.4以上の地震は世界のどこにも発生していません。これを地球の科学だけで説明するのは絶対に不可能です」


 言い終えると理瀬はグラントの前に進み出てマイクを返した。会場からは拍手が沸き起こる。大きな大きな拍手だ。なかなか鳴り止まない。


T・Bに転移性とは別の性質を与える処理を加え、惑星に複数配置すると地殻変動を制御できる。これらはT・Bの地殻性と呼ばれエリュ圏の多くの惑星でも配置されている。


 その他、エリュではT・Bが持つ重力を制御するパワーを利用して航空機事故をも防いでいるという。


とにかくT・Bという物質は突出していた。著しく文明を進化させるだけでなくそれを護った。利用する者に多大な幸福をもたらした。


 だがこのような大きな力であるからには当然大きな副作用もある。致命的なマイナス面も持っているのだ。


 まずT・Bは危険である。もしも野ざらし状態のT・Bに生物が近づいたとしよう。生物は体のあらゆる器官が破壊され無惨な死に至る。


「凪野さん。どうもありがとう。あなたの話で私はとても嬉しくなりました。こうして地球を発見し地球の皆さんと仲良くなることができて私は本当に幸せです。しかもそれだけではない。地球を見つけたことには嬉しい特典がついていました。それはT・Bが豊富に眠る水星を発見したことです」


 いつの間にか美音亜は泣き止み、グラントの話に聞き入っている様子だった。


「実のところ太陽系向けに無時間通路を造ろうとする計画は困難なあまり頓挫しかけていました。先ほども触れたように無時間通路は距離が長ければ長いほど速度が増していきます。この現象はT・Bの性質に由来する。ですから5.5万年光年といえど相応分のT・Bを用意する必要はありません。とはいえこれまでにない数のT・Bを必要とすることは確かです。そしてT・Bは消耗品なのです。T・Bは本星の他、いくつかの惑星で採掘可能ですがそれでも数に限りはある。そこまでして地球を目指す価値はあるのか。いくらエリュ人と同じ姿をしている地球人と接触するためとはいえ」


 僕は美音亜の横顔を見た。美音亜は熱に浮かされたようにグラントを凝視している。


「……私、行きたい。エリュへ。エリュを見てみたいの。行けるかな。ミヲルと一緒に」


 やがて前を向いたまま美音亜が呟く。僕の視線を意識しているのだ。


「行けるよ。行ける。絶対に行こう」


 僕は低く囁くと美音亜の手を取った。美音亜が手を強く握り返して来る。


そうだ。エリュへ旅立つのだ。美音亜と一緒に。


「結局、太陽系渡航計画は非現実的と長い間捨て置かれてきました。前任者から引き継いだ身である私でさえ、よくもこんな無謀な計画に着手したものだと感心したものです。ところが計画が動き出したのにはあるきっかけがあったのです。それは何か。みなさんもうお分かりですね。そうです。水星です」


 グラントが人々を見回した。


「太陽系第一惑星、水星。そこがT・Bの宝庫である可能性が示唆されたのです。その発見は地球へ至る無時間通路造りを目論む者たちにとって僥倖そのものでした。そこから計画を巡る空気がガラリと変わったのです」


 人々はみな酔っていた。アルコールもないのに。パーティーという場の雰囲気か。それともグラントが語る奇跡に酔いしれているのか。


 不意にポンという電子音がした。同時にディスプレイが明るくなる。画面がT・Bからエリン船内に切り替わっていた。総勢六名のクルーが陽気に手を振っている。


「待たせてすまなかった」

 第一声を発したのは中心に立つトムだった。


「これよりエリン計画セカンド・ミッションに入る」

「T・Bからの反応はありましたか」


 声が流れた。指令室からだ。


「あるようです。ただし決して多くはありません」


 答えたのは副船長のタミレだ。場内から小さな溜息が漏れた。


「了解です」


 ワンテンポ置いて指令室が応答した。


「では予定どおり8:00UTCより『ミネア』を現場に投入して下さい」

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