Jille・Marabawsa①
昼間ほどの活気はなくなりながらも好奇心に忠実な者たちが思考の巡らせ研究に勤しみ続ける実験室は少なくない深夜。廊下の灯りは完全に消されているが窓から差し込む月光のおかげで不要そうだ。その廊下に俺の靴底と床のぶつかる音だけが響く。
「まさかマンドレイクを薬学室に置いてくるとか・・・」
何かを忘れているような心の引っ掛かりがありながらも夕食を済ませ部屋に戻ろうとした時になってマンドレイクが不在なことに気づいたのだ。そういえば昼寝していたマンドレイクを薬学室に放置しっぱなしだ、ということに。
マンドレイクなら自力で帰ってくる可能性もあるのだがさすがに放っておくわけにもいかず薬学室へと向かっている次第だ。
「行き違いにならなきゃいいけど」
薬学室の扉を開けると案の定誰もおらず__、の筈なのだが俺が扉を開けた瞬間視界の端から端まで
(・・・??)
「・・・マンドレイク?」
マンドレイクか?と思って部屋を見渡すがそこには人影一つない。というか今日俺が最後にマンドレイクを見た大机にすらいない。いや、ずっと寝ているわけないか。ってことは危惧していた行き違いになってしまったのだろうか。
(ならさっき動いたのは・・・?)
再度見渡す。やはり人っ子一人いない。
「気のせいか・・・?」
そう考えると気のせいだったのではないかとしか思えなくなった。ならばここにいる用はないかと薬学室を出るという選択肢を思考に浮かべた瞬間だった。
「・・・ん?」
気づく。ソファの後ろで動く影。俺はその影に引かれるままなんの警戒もせずにソファの後ろを覗き込む。
『__!?』
「君は・・・」
身体をビクリと震わせたのは十にも満たないような小さな少女。
その少女は丈の長いフォレストグリーンのワンピースにフリルを施した白のエプロンといったいわゆるクラシカルメイド服で包んだその身をソファの後ろで縮こませていた。
(誰!?)
怯えたように眉を寄せた見知らぬ少女の出現に混乱する俺。
しかし、両手にぎゅっと握った少女の身長と同じくらいの箒。そして、肩の上で切り揃えたブラウンの髪の毛の上に生やした細長い兎のような耳。
『昼は兎の姿をしているが夜は人間の姿で掃除をし始める』
「・・・ブラウニー?」
兎耳がピクピクと小刻みに動きブラウニーがおずおずとソファから少しずつ身を出す。ブラウニーが掃除しているところに俺がいきなりやってきたから驚かせてしまったのだろう。
俺はブラウニーに目線が合うように彼女の前でしゃがみ込む。
「驚かせちゃってごめんね。お詫びに俺も掃除手伝うからさ、ね」
ブラウニーは俺の提案にゆっくりと首を縦に振る。
__「こんなもんかな、うん」
モップを片手に談話室全体を見渡し頷く。そこそこ綺麗にはなっただろう(大掃除をするわけでもないから大雑把程度ではあるが)。
部屋を灯す五つあるうち三つのキャンドルランタンの火を消した直後ガチャリと扉が開く音がした。
「ちょうどこっちも終わったよ」
声を掛けるとマンドレイクを頭に乗せたブラウニーがひょっこり上半身を覗かせた。
そう、マンドレイクとは行き違いになっていなかったようだった。
薬学室に放置したことを拗ねているのかマンドレイクはブラウニーの頭の上からどこうとしなかった。俺が手を伸ばすと顔を背ける始末であったのだ。
(いつの間に仲良くなったのやら)
「ん?」
俺の元にトコトコと駆け寄ってきたブラウニーが何かを差し出してきた。棒付きの飴だ。ブラウニーは念を押すように再度俺に差し出す。
「くれるの?」
肯定の意を強調するように二回強く頷く。お礼のつもりなのだろう。
「お詫びってことで手伝ったんだけど・・・、まいっか。ありがたく受け取るよ」
ブラウニーからの飴を受け取る。カーテンの隙間から差し込む月光に当たって半透明の赤色の飴が輝く。
「あ、窓閉めっぱなしだ。埃っぽい気もするし少し開けとくか」
俺は窓を開けようと垂れ下がっているカーテンをあけた。
窓の奥は草木が風に揺られていた。その中で普段踊るように浮遊している妖精や精霊たちの姿がないことに気づく。
「いつもならじゃれているのにな、なんでだろ。__ん?」
代わりに塀の手前に人影のようなものが見えた。研究員だろうか。いや、いくら夜の暗さがあるといえどその人影はあまりにも黒ではないか。
「?」
目を凝らしてみるとそれは人の姿というより
「なんだあれ・・・」
モヤの首がグリンと瞬時に回りこちらを見た。
「っ!?」
俺はそれに反射するように咄嗟にカーテンを閉めた。アレの正体が何なのかは分からない。けど、その人間らしからぬ動作に俺の心臓は音が自分でも聞こえる程バクバクと焦りを顕著に表していた。首と背筋にも冷や汗を感じた。
「・・・見なかったことにしよう」
俺は心を落ち着かせようと深呼吸をしてから背後にいるブラウニーとマンドレイクの方へ振り向き、「さて、もういい時間だしそろそろ部屋に戻ろう」と部屋から出ようと促す。
モヤを見ていないブラウニーたちは『?』と首を傾げる。
しかし、その表情はすぐさまに変化を起こした。
『__!!__!!』
口と目を大きく開いたマンドレイクとブラウニー、両者とも面食らったように動揺の文字をその顔に示していた。
「え?」
二人の視線は対面する俺ではなく俺の背後に。
何事かと振り向いたのと同時にけたたましい音を立てて破壊される窓と窓枠。キャンドルランプの灯りがすべて消える。
「なっ・・・!?」
そして、窓破片に混ざって侵入してくる巨大なモヤ。モヤは部屋の中にいる俺たちを襲おうとしているような明らかな敵意を感じた。
コレは、良くないモノだ。
そう、感じた。
その思考が廻った瞬間、俺は考えるよりも先に慌てふためくブラウニーを庇うようにその身を抱き寄せた。
「くっ・・・!」
俺はその後に訪れる衝撃に備えて身を強張らせる。
「__どけ」
だが訪れたのは衝撃ではなく聞いたことのない男の低い声。
「!?」
その何者かが俺の後頭部を強く押し込んで強制的に姿勢を低くさせた。あまりの不意な勢いに押し負けた俺はブラウニーを抱えたまま床に倒れこんだ。
そして態勢を立て直した俺の目に飛び込んできたのは薬学室の誰でもない苔色の頭をした男の背中。
男は俺と黒いモヤの間に割って入ると、ぶつぶつと呪文らしき言を唱えてさらに自身と黒いモヤの間に魔法陣を展開させる。魔法陣は男を守る盾のようにモヤを弾く。
弾かれたモヤは「ウ・・・ウゥ・・・」と小さく呻き声を漏らしながら霧散して消えた。
「・・・な、なんだったんだ・・・」
「そりゃこっちの台詞だ」
俺の安堵のため息に低い声でうんざりしたように男は言った。男がこちらを振り返る。
男は黒のポンチョジャケットと対称的な白の手袋をはめた右手を腰に当てる。そして甘い言葉をささやかれたら頬を染めぬレディはいないであろう端麗な顔に左頬から首にかけて施された薔薇の刺青がやけに印象に残る男だ。歳はノエルさんより少し上くらいだろうか。
俺の腕の中から解放されたブラウニーが男の視線に当たらぬように俺の背中に隠れると俺の服の裾をぎゅっと握る。
「”
男はニヤニヤしながらそう俺には意味の分からぬことを吐くと懐から取り出した煙管を咥えて別れ際の言葉も言わずに破壊された壁の方から去っていった。
その一連の事態を飲み込めずにいる俺はただあっけらかんとしているしかなかった。
「・・・・・・なんだったんだ、一体・・・」
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