2、ふりだしに戻ったら(10)
でも、僕は。
結局僕は……。
ゴミクズの僕は、あれだけのことがあったというのに。
また戻ってきてしまうのだ。ふりだしに。
あの時の僕を否定できずに、あの時からの僕を否定してしまうのだ。
「僕は……みさきのことがずっと好きだった」
僕は腰を振るのを止めて、無意識のうちに美沙希にそう伝えていた。
「みさきのことが……好きです」
部屋が静まり返る。
美沙希もピタリと止まったまま動かない。やがてゆっくりと起き上がると美沙希は右手で僕の頬に触れた。
「ねぇ……君、もしかして……」
それより先の言葉はなかった。美沙希は首を横に振って、再び股を広げる。
「ううん、なんでもない。続き、しよ」
僕は美沙希に言われるがままに続きを始める。
程なくして射精に至ると、美沙希はゆっくりと事後処理を始める。
「……お風呂、入ろうか」
包帯を巻いているから洗体は割愛ということで、自分でシャワーを浴びて浴槽に入る。美沙希も同じように身体を洗って、後から狭い浴槽に身体を沈める。温水が排水口に流れていく音だけが、部屋を支配していた。僕も美沙希も、喋らない。ゆったりと暖かいお風呂の中で心と身体を落ち着かせた。
ようやくして「私ね」と美沙希が話し始める。
「私ね、高校の頃好きな人がいたの」
まぁ思春期の女の子なんだから当然か、と美沙希は鼻で笑いながら続ける。
「その人は私と同じクラスの人で結構仲良くしててさ。イケメンってわけじゃないけんだけど、一緒にいるのが楽しくて、いつまでもこの人の隣にいたいって、そう思えたの。今思うとね、私が本当に人を好きになったのって、あの時だけだったんじゃないかって、そう思うことがある。私、ずっと無意味な時間を過ごして生きてきたけど、あの時だけはなんか幸せって思って生きてた」
言葉が出てこなかった。同じクラスの男子が好きだった。美沙希は今、そう言ったのだ。平沼先輩という一つ上の男と付き合っていたのに、だ。僕が驚くのも無理はないが、信用もできなかった。ただ、話題がなくて適当に作った話である可能性は充分にあった。
「でも私は私に告白してくれた先輩と付き合い始めたの。理由を言うとクズだと思われそうだから、普段はあんまり言わないんだけどね……その先輩は、すっごくモテる人だったから。カッコよくて、勉強も運動もできて、女子からは憧れの的で、それなのにチャラくもなくて真面目な先輩だったから。だから私は、好きでもなかった先輩と……世間体のために付き合ったんだ」
急に語り出した美沙希の台詞は、僕の心を、気持ちを、過去の僕の全部を、抉る。美沙希と僕はひとまずお風呂から上がって、ベッドの上へと移動する。美沙希は身体を拭くと再び制服に着替えた。
「平沼先輩の彼女ってポジションは、居心地が良かった。彼を好きだった女の子はいっぱいいて、その子たちからは羨望の眼差しで見られるし、私自身は何も変わっていないのに私までが平沼先輩くらいのレベルに引き上げられたみたいになるの。そうして彼と付き合っている内に、私は彼のことが好きになってた。いや、違うか。彼と付き合っている私を……自分自身を好きになってた。でもね、ずっと負い目を感じてた。だってさ、私は平沼先輩と付き合うためにあることをなかったことにして生きてきたから」
嫌な予感がした。
僕はもう静かに美沙希の言っていることを聞くしかなかった。
「その人を傷つけてることに気づいてたのに」
……やめろ。
「私は、何事もなかったみたいにしてた」
……やめてくれ。
「勇気を出して言ってくれたのに、好きだよって伝えてくれたのに」
……なんで、なんで、今更なんだ。
「私だって……好きだったのに」
でも違う。
「だから嬉しかったはずなのに」
違うだろ。
「ねぇ、今更遅いかな? 謝っても、もう許してくれないのかな?」
……わからない。
だっておかしいだろ。
何かが変じゃないか。
「ねぇ……答えてよ。嶋くんなんでしょ?」
平沼先輩の彼女というポジションを優先してしまった、だから平沼先輩と付き合った。それは理解できる。いや、その時の美沙希の心境を理解できるわけではないが、そういう思考に至ってしまったということは把握した。ただ、僕が美沙希に告白したのは平沼先輩の告白より前の話で、平沼先輩に告白されたからという理由では僕がフられた理由には全くならない。だからそれじゃ納得がいかないんだ。言っていることがめちゃくちゃだ。僕がフられた理由はそこじゃない。だったら今しがた美沙希が言った言葉に本当の理由が隠されているじゃないか。
なあ、美沙希。
僕が誰だか気づいてしまったのだろう?
だから昔の懺悔を始めたのだろう?
それなら僕は聞きたい。
嶋くんというのは……誰のことだ?
僕の名前は、嶋じゃない。
つまり君が好きだったのは僕ではなく、その嶋くんというやつなのだろう?
クラスメイトの名前なんて覚えちゃいない。だから正直その嶋とやらがいた記憶が僕にはない。
でもどうせその嶋というやつも今ではもう高校の頃の面影を捨てて、今を生きているのだろう。美沙希のように。そして僕のように。
だったら関係ない。高校の頃の嶋はもういない。高校の頃の美沙希もいない。高校の頃の僕もいない。誰もいやしないんだ。
僕は美沙希に伝える。
「ああ、よく気づいてくれたね」
それならもう、僕は今日から……。
「久しぶりだね、美沙希。まさかこんなとこで会うなんて」
これからは僕が嶋になってやる。
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