老兵モルトの退職 後編


 クリプトは昼の飲み屋街など来たことがない。

 昼間っから酒をくらうような性格でもなかったし、そもそも普段は仕事なのだ。

 でもこうして立ち寄れば、いくつかの店は開いていて、お姉さんがたも普通にお仕事をしていたのだ。


「あらモルト久しぶり。こんなとこきて怒られない?」

「奥さん大丈夫なのお? まだ夢見がちかしらあ?」

「きゃあ。モルトさん。ずいぶんじゃないさ」

 店に入れば女性陣から黄色い声が上がる。さすがだ。

 話を聞けば、嫁さんと暮らしてからは足が遠のいていたそうだ。

(意外と真面目なんですね)

「うん?」「なんでもないです」

 軽い昼食を頼んだついでに噂を聞く。

 この界隈でも卿の件はすでに話が持ちきりで、ただ同情的な感想はほとんどないのが残念なものだ。

「もうね、自慢ばっか。客だから愛想良くはするけどさあ。確かに下っ腹と羽振りは良かったけどさ、ケチなのよ」

「羽振りは良いのにケチなのか?」

「そう。見せびらかしてばっかり」

「見せびらかす……宝飾品か?」

「しょっちゅう身につけてんのが変わるのよ。でも店の誰かにあげるわけでもないしさ。どっか女でも囲ってんじゃないの?」


(宝石……銀行……)

(——貸金庫に隠してるんですかね?)

 礼を言って、二人が店を出る。

 可愛い顔のクリプトもそこそこモテて帰り際に頰にキスをされた。次も来いということだ。貧乏兵士には、ちょっとつらい。


 曇り空の下、通りまで歩く。

 顎を撫でて考えながら歩くモルトに、横からクリプトが声をかけた。

「聞いていいですか? モルトさんが考えてること」

 提案にモルトが少し立ち止まって。


「——まず。卿は生きてる」

「あ、やっぱり」

「なんだ。お前、わかってたのか?」

「兵長が燃やしたのに、こだわってたのって、そういうことでしょ?」

「そうだ。あの死体はバルウッド卿じゃねえ。他の似た誰かだ。卿はおそらく南の国にまんまと亡命して、自分の隠し財産が届くのを待ってるんだ。だから金貨じゃなくて宝石だ。持ち運びしやすいように、足がつきにくいようにだ。街に帰ったウエルトンが、ほとぼりが冷めたらもう一度領外に出て、卿に宝石を持っていく手はずなんだ」

「筋は通ってますね……じゃああの鉄コップは」

「その身代わりの誰かのもんだろう」

 だが。なんとなく、おかしい。とモルトが思うが。

 とりあえずは詰所に帰ることにした。歩いてもいいが距離がある。見上げれば通りの建物の上で、洗濯物を干してるおばさんが空に両手をかざしていた。

「見てくださいよ」

「歌でも歌ってんのか?……ああ、雨か」

?」


 クリプトの声に。モルトが固まる。


「どうしました?」

「今、なんて言った?」

「雨なので、馬車に——モルトさん!」

 いきなり通りに駆け出したモルトが、そばを通りかかった空きの辻馬車を無理やり止めた。幌なしの二人掛けだ。

 驚いた御者が声を上げる。

「あっぶねえでしょ旦那! ちゃんと言やあ止まるからさ!」

 構わずに顎をしゃくるのでクリプトが走って乗り込んで。モルトも飛び乗る。

 御者が怪訝な顔で言う。

「お急ぎで?」「東三番の城郭門まで」

「あいよ。揺れますぜ」

 愛想はないが飛ばしてくれる。石畳を車輪を軋ませて走る馬車の席に掴まり、モルトが御者に声をかけた。

「聞きたいんだが。いいか!」

「舌噛まないようにねぇ!」


「喉が渇いた!」「はあ?」


「喉が渇いた! 水、分けてくれ!」

「別料金ですぜ旦那! 脇にぶら下がってるでしょお!」

 叫ぶ御者の声に座席の脇を見て。クリプトが目を丸くした。

 見つけた。


 鉄コップだ。


 同じものだ。革の水筒と一緒に、口のそばの丸穴に紐が通してぶら下がっている。鉄ならどうしたって割れない。こうやって飛ばしても。

 モルトが言う。

。卿はけっこうな肥満で、あの性格だ。南方への長旅で、自分で馬を駆るはずがねえ」

「じゃあ、死体は」「しっ」

 指を口の前にやって。小声で。

(御者だ。似たような風体の御者を選んで、連れて行ったんだ。馬だけ残して、おそらくどっかの谷間に馬車は捨ててあるんだ)



——・——



 詰所に戻れば子供がいた。見張りの子だ。

 ウエルトン医師が出立したらしい。家から出て、足早に銀行に寄ったらしいのだ。

 モルトとクリプトが顔を見合わせて。

 子供が続けた。

「それから馬、借りてさ。別の門から出てったよ」

「どこまで?」

「東の村まで借りたんだって」

 クリプトが少年の頭を撫でるので、へへっと笑って。

「駄賃はずんでよー」

「わかった。帰ってからな」


 すぐさま支度に入る。

 子供に駄賃ついでに知り合いの兵士に手紙を渡して。

 二、三人、馬車付きで東の村に駆けつけるよう手配する。


 ざっといつもの軽装の帷子を着て合羽を羽織って。

 同僚に門を任せてモルトとクリプトが馬を出した。



——・——



 村の中までは行かずに近くの街道で待機する。

 ほどなく兵士も到着するだろう。

 ぱらぱらと小雨の降り出した中、合羽を羽織ったクリプトが早足でこっそり村から戻ってきた。

「——ウエルトン医師は村のうまやで時間を潰しているみたいです。どこかに出かけたら合図もらうよう手配してきました」

「ご苦労だったな」

「いえ。……どうか、されました?」

 木に馬を繋いでいたモルトの手が止まっているので、クリプトが訊いた。

 しばし黙っていたモルトが呟く。

「……〝雑〟な計画だなあ、と思ってな。死体も燃やされたのは、偶然だよな」

「でも流行病の死体なら燃やすのが普通ですよ」

「その前にしっかり顔見られるかもしれねえ」

「どれだけ似てたんでしょうね。あんまり〝赤斑病〟の死体に近づきたくないですけど」

「そうだな、しかも夜で洞窟だからやり過ごせると、思ったんだろうか?」

 クリプトがぽりぽり頰を掻く。

「まあ、確かに雑ですね。ウエルトンに財産、預けるってのも」

「そうだ。隠し通せる、と思ったんだろうか」


 夜だから見分けがつかないかもしれない。

 死体は燃やされるかもしれない。

 手下の財産は見過ごされるかもしれない。

 かもしれない、かもしれないで。

 だが鉄コップは転がっていたのだ。

「不完全な犯罪だ。しっくりこねえ」

 モルトが言う。


 応援の兵が三人、馬車で到着した頃には雨も降り出して。

 ほどなく村から連絡が届いた。

 医師はさらに東の森へ分け入ったらしい。

 徒歩とのことだ。

 兵士全員が顔を見合わせる。馬車の番に一人残して、モルトとクリプト、残り兵士たち四人が森に向かう。


 ぱたぱたと雨音を立てる樹々に分け入って医師を追う。

 扇型の包囲を少しずつ狭める。

 繁る草木を打つ雨で足音が消されるのが都合がいい。

 やがて。


 森の奥に医師の背中が見えた。

 兵士たちが互いの位置を確認して、慎重に寄せる。

 その視線の向こうに、医師の前に。

 繁みから人影が現れたのだ。


 浅黒い肌の、ひとりの青年。いや、少年か。

 顔立ちの整った異国の服を着た子だ。

「ウエルトンさま……ですか?」

「そうだ? 卿は?」


「お亡くなりになりました。〝赤斑病〟です」


 数瞬の沈黙の後。

 医師の右手が小袋を落として。

「くっ……くくっ……うふふふふ、ふふふふ」

 雨に濡れたまま、少年も見ずに視線を落として。

 笑い出してしまったのだ。

 モルトの合図で兵士たちが草陰くさかげから顔を出した。

 少年がぎょっとするが「動くな。危害は加えない」と声をかけられて立ち尽くす。

 医師は振り向きもしない。

「ウエルトン。身柄を拘束する」

 その言葉にも笑い続ける医師の両腕を、兵士とクリプトが後ろから取って拘束した。


 落ちた小袋を拾ったモルトが中を覗けば。

 大小いくつもの宝石の上に雨粒が落ちて、濡れて光って。ただ美しい。



——・——



 今度の馬車は幌付きで、モルトと医師が横並びで座った。

 特に彼は歯向かうようでもない。逃げ出すような気配もない。

 がらがらと雨の街道を走りながら、言葉を発するでもないウエルトンに。

 モルトが訊くのだ。

「わかった……あんたらしくないんだ。あんたの雰囲気と、合わねえ」

 幌の外を見る医師は振り向かない。

「これは、あんたの立てた計画じゃない。主犯は卿だろ? あんたはただの共犯だ、そして——」

 ゆっくりと、モルトが言う。


?」


「……どうしてそう思う?」

「ずいぶんひどい雇い主だったらしいじゃねえか。そのバルウッドが税金ちょろまかして南の国に逃げ切るってのは、あんたも、面白くねえんじゃねえか?」

 医師が、鼻を鳴らす。

 笑ったようだ。振り向いてモルトの顔を見る。

 目に、初めて感情がこもる。

「——あのひとは、いつもそうだ。いつもだ。餓鬼みたいな思いつきを『名案だ、名案だ』と叫び散らして、無理やりにでも実行させる。やるのは部下の人間だ。もう何人も首を吊って、何人も牢に入った。それでも卿にとっては愚図ぐずなのは〝きさまら下っ端〟で、いつだって彼の計画そのものは完璧なんだとさ」

「馬鹿みてえに穴だらけだったけどな」

 笑って医師が首を振って。

「私はこらえた。なんとかやってきた。いつも尻拭いだ」

「優秀だな」「食うためさ」

「それで、人まで殺して、どんな報酬があるんだ?」

「——報酬はな、前払いでもらったんだよ。若い頃に破産してな。私は彼に〝買われた〟んだ、文字通りな。卿に子供がいないのは、知ってるだろ? そういうことだ」

「……ああ、そりゃあ……あんたにそのがないんなら、ひでえ災難だったな」

「歳を取ったのが救いだよ。もっぱら今では、南に出かけて男娼だんしょうを買う。ここらへんで王族よろしく可愛い子らに囲まれて余生を過ごしたくなったのさ。だから成功していても、私は今回でお払い箱だった。やっとだ。やっとあの醜い身体から解放されたんだ」

「失敗したら?」

「こうして私は捕まって。卿は南の国で文無しだ。ちょっとは蓄えがあるがな。焦っても、もうこの国には戻れない。犯罪人だからな」

 満面の笑みで医師が言う。


「それも。いいじゃないか。痛快だろ? 私はどっちでもよかった。だから、計画の穴は、一切、指摘しなかった。どうせ言っても聞かない。いつもそうだ。殴られるだけ損じゃないか。これまでもそうやって、やってきたんだ」

 そうして、雨の森を見て。

「まさか本人が〝赤斑病〟に罹るとはなあ」

「——晴れやかそうなとこ済まねえが、人、殺してるんだぜ? あんたら」

 また医師がモルトに目をやる。

 ずいぶん喋ったせいか穏やかな顔だ。

「私がこれまでに毒を盛ったのは、一人ふたりじゃないよ。兵隊さん」

「そうかい。余罪、覚悟しな」

「もう、私はどうでもいい」


 ウエルトン医師はモルトの瞳を覗き込むようで。

「忘れないでくれ。あんたは頭がいい、兵隊さん。もう、。忘れないでくれ、兵隊さん」

 じいっと。何かを訴えかけるように。



——・——



 その最後の言葉が耳に残ったモルトが、詰所で兵に医師を受け渡して。

 すぐに。クリプトを連れて。

 走って出かけたのはウエルトンの家だ。

 垣根から無遠慮に乗り込んで、庭に降りて。

「庭木、いじってたんだろ? あいつ」

「え、ええ。どうしたんですか一体?」

 庭の端からじょうろを見つける。

 裏の古井戸で水を汲んで、おもむろに植木に水をかけ始めた。ちょっとかけてはじっと見て、次の植木に移って。

「なんなんですモルトさん」

「うん? きっとな。あの医者は日頃の憂さ晴らしのひとつも、やってるんじゃねえかと思ってな……これだ。当たりだ」

「え?」


 横から見れば、その植木だけ。水はけが明らかに早い。

 じょうろを脇に置いたモルトが丁寧に植木の幹を掴んで、ゆっくりと。

「おわあっ」

 すっぽりと木が抜けたのでクリプトが驚く。

 顎をしゃくるモルトに、鉢の中を覗き込めば布で包んだ小袋が出てきたのだ。

 開けてみる。やはり。

 結構な数の宝石が光っている。

 目をまんまるにして驚くクリプトに構わず、綺麗に植木を鉢に戻して。

「ウエルトンは、もう、らしい。どうする?」

「……ど、どうするって……」

「山分けするか?」

「い、いや! なんでですかっ。国の税金でしょもともとっ」

 顔を真っ赤にするので。モルトが笑った。

「お前ならそう言うと思った。もう財産調査は終わったんだぞ。これは〝この世にない金〟だ。それでもか?」

「じ、自分は判断できませんっ」

「こんな時だけかしこまって……生きづらいやつだなあ」

「い、生きづらかろうが、なんだろうが、ですねっ」

「わかったわかった。それ、明日の朝までお前が持っとけ。——俺は今夜、人探しがあるんだ」

「え? 人探しですか? って、俺が持っとくんですかっ?」


——・——


 誰を探しに行ったのか知らないが、結局その夜一晩クリプトは、おそらく一生手に入らないであろう大金に相当するはずの宝石袋をベッドの布団の中に抱えこんで寝る羽目になって。眠りも浅い。

 翌日の午前中には森がもう一度捜索されたらしく、確かにモルトの推理通り洞窟からだいぶ離れた崖の下でばらばらに壊れた馬車の残骸が見つかったらしい。

 という報告を眠そうに詰所で聞いたクリプトは昼飯を食べてからさらに眠気が増してきたのをモルトに引っ張り出されたのだ。


 通りの道端の片隅で、急にモルトがしゃがみこんで。

「昨日の宝石、持ってるか?」

「え? ええ……ここに」

 クリプトが差し出した袋の口を開けたモルトが、ごそごそポケットから別の小袋を取り出して、ざらっ。と。

「モ、モルトさん?」

 宝石のいくらかを移し替えて、元の袋をまたクリプトに返す。

「いや、その、ダメですって。ねえモルトさん」

「おまえ、ここで見てろ。それとも付いてくるか?」

 そのまますたすたと歩き始めたのだ。

 この辺の通りは貧民窟で、ろくに仕事も行き場もない連中や孤児が集まっていて、道もわずかに臭いがきつい。

 呆然と見つめるクリプトの視線の向こうで、モルトが一つのぼろぼろのバラックに近づくと、もう服というには酷すぎる布切れに身を包んだ、汚れた長い髪を紐で巻いた浅黒い女が出てきたようだ。


 モルトが。一言ふたこと話して。

 女が口元を両手で押さえる。宝石の小袋を渡す。が、そのまま。

 その場にしゃがんで。泣き声がここまで聞こえる。


 クリプトの肩から力が抜けた。

 ああ。そうだ。理解したのだ。

 どいつもこいつも。


 金をちょろまかしたり保身を考えたり敵を追い落としたりで忙しくて。

 誰も。誰ひとりも。それは自分さえも。

 考えちゃいなかったんだ。

 殺された御者のご遺族のことなんて。

 クリプトが唇を噛む。


 今日はまだ雨の降らない曇天で、重たい雲の下まで差し込む弱い陽の下で。

 ただ泣き伏せっている女をそのままに、老兵が戻ってきた。

 少し申し訳なさそうに首をかしげる。

 若いクリプトは、むっすり顔だ。子供みたいだ。モルトが苦笑した。

「なんだその顔」

「……言ってくれればよかったのに」

 ぶすっと言うクリプトの横を通って、モルトが来た道を戻りながら。

「もう俺は退職だ。横領で告発するなら、早いほうがいいぞ」

 怒ったクリプトが不機嫌に追い越した。

「おいおい、どうすんだ」

「そんなのは俺が決めますっ。教えませんっ」

「ほんっと。生きづらそうだなお前。頑張れよ」

「なにがですかっ。ちょっと。モルトさん重たいですって」

 老兵が新米の肩に手をかけて笑う。


「辞める前にもいちど、あの店連れてってやろうか?」

「ホントに? いや! 今はそんな話じゃないでしょっ」


 曇り空だが晴れ間は見える。

 笑う老兵と怒る新米が、石畳を歩いて帰っていった。

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