老兵モルトの退職〜医者が仕掛けた不完全犯罪〜

遊眞

老兵モルトの退職 前編


 まだ新米兵士のクリプトは。

 目の前の机で難しい顔をして頬杖をついている、その頑強な老兵が嫌いではなかった。むしろ尊敬していた。

 だから今回の頼みごとも、二つ返事で受けたのだ。



——・——



 その老兵モルトがなぜみやこ城郭じょうかくの、こんなはじっこの門兵をしているのかは、クリプトは詳しく知らない。

 刈り上げた短髪、無精髭の生えた顔が、叩き上げの兵士の風格というのか、老兵モルトはクリプトのような若い兵が見惚れるだけあって、城下の劇場裏に軒を連ねる飲屋街のお姉さん方にも結構な人気だそうだ。

 若い頃は前線で、結構な手柄を立てたらしい。兵士たちの噂で耳にした。

 そんな老兵も、あと数日で退職なのだ。

 彼に渡される退職手当は周辺国共通の大判金貨、五枚とのことだ。


 よその国に行っても大判一枚で、ひと月は慎ましく暮らせる大金といえば大金なのだが、街の上手かみてに住んでいる屋敷持ちの上役うわやくは、たしか月給が大判十枚ほどと聞いたことがある。

 人生のほとんどを領地に奉公してきた身に渡される謝礼としては、大判五枚は新米のクリプトから見ても多い額には思えない。

 が、「まあそんなもんだ」と笑って言う老兵は特に気にしている風でもない。

 それなら他人がとやかく言うことでもないので、クリプトもそれ以上は話題を引っ張らない。

 モルトの風体ふうていと腕なら、退職後も用心棒なり冒険者なりで十分に食っていけるだろう。

 しかも、これもこっそり聞いた噂なのだがモルトには若くてとびっきり可愛い嫁さんもいるらしいのだ。

 どちらかといえばむしろそれがクリプトには極めて羨ましい。

 そんなの弾けてしまえ。なので。

 老兵を同情したり行く末を案じたりすべき点はクリプトにもまったくない。


 では。飄々としていたはずのモルトが今なにをこんなに顔を曇らせているのかというと、退職寸前になって降って湧いた厄介ごとが原因なのだ。

 具体的には、この詰所の牢に軟禁している男だ。

 ウエルトンという名の医者だ。


 この医者、のだ。

 元徴税官のバルウッド卿をだ。

 しかも、その医者本人が。


 伝染病の疑いがあるらしいのだ。



——・——



 数年前に引退したバルウッド卿は都でも評判の良い人物ではない。


 徴税官という立場を利用して結構な税金を懐に収めたなんて噂は卿に限らずそこらでよく聞く話だから今更だが、彼はお世辞にも人格者とは言い難く、いつも部下には当たり散らし贅沢ぐらしの詰まった下っ腹を揺らしながら手元の物を投げ散らかしたりするような、まあ、夜の街でも酒の肴になるような俗物の一人だった。

 そのバルウッド卿に、もう数十年来のあいだ仕えていたというウエルトン医師は、こちらは逆に真面目を絵に描いたような医者であった。

 執事的な役割も務めていたのかもしれないが、道端に伏せて雇い主から怒鳴られ蹴られている様子は、これまた街の話のネタであった。

 その彼が、流行り病にかかった卿を洞窟に捨てて街門にふらふら帰ってきたのが三日前の土砂降りの夜で。

 おかげでその晩は、モルトもクリプトも徹夜だった。


 真っ暗な森の向こうからばしゃばしゃ歩いてきたウエルトン医師に向かってカンテラをかざした門兵のモルトとクリプトに。

 最初に医者が叫んだ言葉が、

「私に近寄るな! そこで話を聞いてくれ!」

 だったのだ。

 曰く、南方の流行病である〝赤斑病〟に卿が罹患した、もう手遅れで洞窟で死んでいる、二人の乗っていた馬も危険なので森に置いてきた、持ち物も捨ててきた、手ぶらで帰ってきた、とのことだったのだ。


 引退したとはいえ、それなりの権力者だったバルウッド卿の突然の訃報に。

 一時は城内も騒然となって、雨の中を数人の兵が駆けつけ医者の取り調べと、同時に森の調査も行われた。

 証言通り森の前には二頭の馬が、いじらしく夜の雨に打たれたまま木に繋がれていた。が、弱っていても馬には病の気配はなく、逆にその先の洞窟に異臭がこもっていた。

 兵たちも厳重に顔の周りを布で覆って。

 彼らが進んだ奥に、死体が一つ転がっていた。

 暗がりで遠目から見れば確かに卿らしいが、さすがに慌てた兵長が真っ青になって、

「もういい! 焼け! 焼け! 油を撒け!」

 と叫んで、持ってきた油をぶちまけて洞窟に火をつけてしまった。

 正直〝赤斑病〟は致死の病ではあるが、触れさえしなければそうそううつることもない感染症なのだ。

 しかし、そんな知識が兵士にあるわけでもなく、卿の亡骸はこうして一晩きっちりと燃やされてしまったのだ。


 結局、燃え残った死骸の顔形と装飾品からバルウッド卿であると早々に断定されて、洞窟から回収された品物の中で、焼けた医師のカバンやら小さないくつかのガラス瓶やら口のそばに穴の空いた鉄コップやらの燃え残りが門の詰所に置かれたままで、肝心のバルウッド卿を示す所持品は城に回収された。

 簡単な協議が行われ、正式に死亡が確認された。

 残った屋敷や財産は、子供もいないので国に接収されるだろう。


 だったら医師もさっさと帰せばいいのに、とクリプトは思う。


 馬ですら街に戻っているのだ。

〝赤斑病〟は罹ればあっという間で高熱で死亡する、だからこそ卿も助からなかったのだが、もう三日も牢で生きている医師はあきらかに罹ってはいないはずなのだ。

 牢のウエルトンは日がな一日、やることもなくぼおっとしている。

 白髪の長髪に痩せた頰で、身体も丈夫そうでもない。

 よくこんな風体であの悪名高いバルウッドのお抱えが勤まったなあと若いクリプトも感心するが、言っちゃあなんだがいい加減、一日三食の無駄飯の支度も面倒になってくる。


「城の連中が調べてんだよ、倫理的な面をな」

「倫理的?」「そうだ」

 かつかつと昼飯を食いながらモルトが言う。

「本当に万全を尽くしたのか? 雇い主を途中で見捨てたんじゃないのか? 逃げたのではないのか? そういうところだ」

「ええ……だってそんなの、本人しかわかんないですよ、今さら」

「そうだな、答えは出ない。こういうのはな、話し合いましたという『記録』が大切なんだ。査問の記録が書き上がるまでの時間稼ぎに、ここに閉じ込めてんのさ。あとはまあ、接収する卿の財産調査だろうな」

「いやもうそれ俺たち関係ないですよね」

 呆れるクリプトにモルトが笑う。

「二度も三度も身柄を拘束するわけにも、いかんだろ? 今のうちに全部やっちまおうって腹なんだろうさ」


 食い終わった皿をクリプトが片付けてる際に、部屋の端のテーブルにいまだに置かれた、ウエルトン医師の焦げた所持品をじっと見つめて。

 カバンと。ガラス瓶と。コップと。

 モルトが声をかける。

「なあ」「はい?」

「むしろ、医者がここを放免されてからが忙しいかもしれない。その時は、ちょっと手伝ってくれ」

「いいですけど……何か気になるんですか?」


「——退職前に、首突っ込むいわれは、ないんだけどな」

 モルトが苦笑した。性分なのだ。



——・——



 その翌日にやっと。詰所に医者を解放するよう通達が届いた。

 モルトの読み通り、調べはバルウッド卿の生き死にから財産調査に移っていて、医者は関係なくなったのだろう。

 知らせを聞いてもウエルトン医師は喜ぶでもなく、数日の軟禁で少しくまのできた目をしぱしぱと瞬きしながら事務的に受け答えするのみで。

 やがて午後には解放というところで。


 モルトが牢の前に椅子を持ってきて。

 背もたれを前にどっかと座った。

 ちらと見る医師は特に物を言わない。

「そろそろ解放だ、先生。お疲れ様だったな」

「……ありがとう」

「南方には、何度か出向いてんのか? 卿は」


 質問に、初めて医師が目を上げた。

「興味でもあるかね、兵隊さん」

「なんかなあ、今朝の知らせのついでに聞いたんだが。たいした財産も残ってねえらしいな。割と胡散臭い噂もあるってのにな」

「あまり死人を悪く言うのは感心しないな」

 モルトが耳を小指でかりかりと掻く。

「悪いな。細かいことが気になる性質たちなんだ。たとえば、もう隠した財産を国外に持ち出してんじゃねえかなあ、とかさ」

「……持ち出して、どうする?」

「よその国に溜め込んで、最後の最後に亡命てのも、ありかなあ」


「いち門兵が首をつっこむには、荷が勝ちすぎないか?」

 医師が目を細めて笑う。初めて感情を見せる。

 へえ、とモルトが感心した。

 思ったよりこの細面の優男は。修羅場をくぐってきたらしい。

 素直に引いてモルトが椅子から立ち上がった。

「そうかもしんねえ。街の兵が来たら手続きして終わりだ」

「ありがとう。またどこかで」「ああ」


 数時間ののち、医師は解放されて帰っていった。街に続く石畳を去っていく背中を見送りながらモルトとクリプトの二人が話す。

「で、俺、なにすればいいんですか?」

「まだいい」「へ?」

「事件と違って財産調査は、あと数日すればすぐ終わる。ほとぼりが冷めてからでいい」

「……なんで、あと数日で調査が終わるってわかるんです?」

「城の連中は、多かれ少なかれみんな何かやってるからだ。叩けば埃も出るだろうし、こんな調査を長引かせたら下手すりゃ自分に飛び火するかもしれない。だから財産の件は、さっさと終わらせたいのさ」

 平然と言うモルトにクリプトが、はあと息を吐く。

「嫌ですねえ」「そんなもんだ」


 どんな圧力がかかったのか、老兵の予言通り数日後には卿の財産調査も打ち切られたらしい。

 その数日後から何度か。

 モルトから「医師の様子を見てきてくれ」とだけ依頼を受けたクリプトが恐るおそる仕事を抜け出して私服で出かけていったのだ。

 騒ぎが終われば、ほとんど人も通らない端っこの門なのだ。

 口裏を合わせれば仕事をさぼるのは造作もないが。

 特にめぼしい収穫もない。


「不審な動きはないですねえ。たまに銀行と市場に顔出すぐらいですよ」

「家では、なにしてる?」

「中までは見えませんよさすがに。庭で植木いじってる姿ぐらいです」

「まあいい。別に頼みたいことがある」

「はい。なんでも」

「あの晩に、森で死体を燃やした兵長を調べてほしい」

 その言葉に、クリプトがきょとんとした顔をしたので。

「どうした?」

「エドウイン兵長ですか?」

「知り合いなのか?」「はい」

 クリプト曰く先日も一緒に飲んだらしい。

 流行病の死者は燃やすのが通常とはいえ、慌てて火をつけたことに上司からしたたか怒鳴られたと、ぼやいていたとのことだ。減給だそうだ。

「しょうがないから奢りましたよ。自分が見習いの頃に教官で来られていたので昔から知ってます。やらかしが多いんですあの人、あはは……どうしました?」

 あっけらかんと言うクリプトに反して、モルトが腕を組んで考え込んで。

「あの医者と知り合いってこと、ねえよな?」

「兵長がですか?」「うん」

「聞いたことないですね。事件の夜も初めて会ったような風でしたし。——あ、わかった。証拠隠滅とか考えてんでしょモルトさん」

「ほお? なんでだ?」

「その疑いもかけられたって言ってたからですよ。わざと死体に火をつけたんじゃないかって。さんざ身元も調べられたんですよ。まあ、街でも古い馴染みもいっぱいいる人なので、そっちの疑いはすぐ晴れたんですが」

「ふっふ。付き合いが広いってのは、大事だなあ」

「ですねえ」


 二人が笑う。しかしモルトがすぐ眉を寄せて、頰を掻いて。

「じゃあ別件だ」「はい?」

「若い医者、知らないか? 開業したてで、どことも繋がりのないような町医者だ」



——・——



 クリプトが探してきたのは門から離れた裏通りの町医者だった。

 非番の日に二人一緒に、下町の小さな医院に足を運ぶ。

 通りは人も多くなく、子供たちが石投げをして遊んでいる。

 正体は明かさずに、モルトの腰痛ということで診てもらうことにした。

 たまには運動してくださいと言われた老兵が苦笑して、本題に入った。といっても本当にたいした話じゃないのだ。


「——旅行、ですか?」「ええ」

「まだ開業したてで、そんな暇ないですねえ」

「ああ、それは休暇の話でしょう。診療で遠くまで出かけるとか」

「それもまだ。郊外に回診の患者もいませんから」

「例えばですが。遠出で患者がいたとしますよね」

「はい」


「先生、ガラス瓶とか、持っていくんですか?」


「うん? 行きますよ。薬を入れなきゃいけないので」

「馬でも?」

「馬でも。割れないように、こう、しっかり布で包んでですかね。薬品には液もあるので」

 うーんと唸るモルトに、医者が不思議な顔をする。

「そんな、おかしいことですか?」

「いえ——ガラスだと割れるじゃないですか。わざわざガラスじゃなくても鉄じゃあ、ダメなんですか? 鉄コップとか」

 医者が笑って手を振る。

「あはは、です」



「そうですよ。鉄だと薬が変質します。使。せいぜい器具入れに使うぐらいです。コップも必ずガラスです」

 モルトとクリプトが、顔を見合わせた。



 石畳を早足で歩くモルトに。クリプトが追いつきながら言う。

「あれって、どういうことですか? じゃあ洞窟で見つけた鉄コップはバルウッド卿のものですよね? それだけのことですよね?」

「たぶん、違う」「え?」

「言ってたろ、変質するって。味だって一緒だ。だから上級の連中は鉄のコップは使わない。食器はガラスか、陶器か——」

「——銀!」

「そのはずだ。だから引っ掛かってたんだ。けど偶然かもしれねえ。偶然、卿が旅先で鉄コップを使っていただけかもしれねえ。偶然、それが焼け残っただけかもしれねえ。……そういや、ウエルトンの見張りって、まだ続行中だっけか?」

 ああ、と笑ってクリプトが言う。

「ばっちりです。あまり俺が何度もうろつくと目立つので、近所の子に小銭渡して頼みました」

「なんだ、悪かったな。すまん」

「いえいえ。全然。えへへ」

「……おまえ、楽しそうじゃないか?」

「え? モルトさん、こういうの楽しくないんですか?」

 笑うクリプトに老兵も苦笑した。


 次に調べるのはバルウッド卿の財産だ。

 これは別の情報通が要る。

 すでに城の調査は済んだらしいが、モルトにはモルトの情報網があるのだ。

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