10 地味子

「私には別にいいですけど、あんまり他の子にそういうこと言わない方がいいですよ。」


 他の子に言うと殺されますから、と笑いながらトートバッグをロッカーの中へ入れた地味な女。昨日面倒そうなナンパに絡まれてた上、体調も悪かったようでそのままぶっ倒れた女だ。今日は昨日より顔色がいい。

 しかし、まさかこんな女がここ歌舞伎町という夜の本場みたいな場所でキャバ嬢をやってるのか。そう思うくらい、地味な女だった。

 希に天然はいるが、基本的に顔を直していることが多い上、化粧も濃いキャバ嬢ばかり見てきたが本当にいじりもせず、あまり濃くない化粧をしているキャバ嬢は初めて見る。

 これでクビにならないのかと思った時、店長の言葉を思い出した。地味だけど頭がいいから、客の話になんでもついていけて固定客がいる女がいるとかなんとか。


「お前かー!」


 思い出したことで大きな声を上げると、地味子はビクッと肩を揺らしてから、軽くこちらを睨みつけてきた。


「なんですかいきなり。」

「いやなに店長からお前の話聞いてたんだよ。あ、そうそう。俺少し前からここで働いてるボーイの西川仁だ。よろしくな。」


 握手を求めて手を差し出すと、訝しみながらも白くて小さい手が伸びてきて、それを掴むように握手をした。

 着替えると言って更衣室に引っ込んだ地味子を見送り、控え室のテレビをつけて出勤までの時間を潰す。少し早く来たせいで結構暇だ。


「ボーイなのにこの時間でまだ出勤してないんですか。」

「まだあと十分あるんだよ。お前もだろ?」

「ええ、まあ……。あ、そうだ。私名前言ってなかったですね。香し、葵です!」


 今明らかに本名を言おうとしたな。案外ガードが緩そうな地味子こと葵に視線を向けると、カジュアルな服から藍色のミニドレスに変わっていた。

 変わらず地味なままではあるが、服を変えれば割とキャバ嬢っぽくなるのは女の不思議なところだ。


「な、なんですかまじまじ見て。」

「いや、別になんでもねぇよ。……よし、じゃあ出勤するか。」


 こういう店にしては割としっかりした勤怠管理表に、出勤時間を記してから控え室を出ていく。そういや地味子、オープンから出勤って訳でもないのか。



 昨日はゆっくり仕事をさぼってまで寝たのに、少し体調が悪い気がする。

 指名した女の子を待つ間のお客さんにお酌をしながら、話を合わせて適当に笑っておく。あまり頭が働かない、もしかすると結構お酒が回っているのかも。

 はぁーやだなぁ、これ明日もしかすると二日酔いになるかも。確か講義は二限からだし、多分平気だけど。


「葵ちゃん、ご指名入りました。」


 新しいボーイの西川さんではなく、店長に耳打ちされ、私はお客さんにいつもの文句を言ってから指名した人の席へ向かう。そうだ、店長に後で謝らなくちゃ。

 向かった席に座っていたのは、私をよく指名してくれるお客さんの中野さんで、また来てくれたんですねー!と頑張って元気な声を出した。ああ、向かないなぁこの仕事、本当に向かない。


「葵ちゃんって今日の夜……。」

「ん?あ、ごめんなさい。私アフターやってないんです。」


 だからここでいっぱい話しましょうね、なんて気持ちの悪いことを言って、中年太りしている中野さんの太ももに少し手を置いた。気持ち悪い、早く辞めたい。

 それからしばらく中野さんと話して、帰ったらまた次のお客さんについて、そんな時間を過ごしているうちに私の上がり時間が来ていた。


「お疲れ様でした。あと、昨日本当に申し訳ありませんでした!」


 目眩がする中裏にいた店長に声をかけ、そのまま深々と頭を下げる。そんな私の態度に驚いたのか、店長はおおぅ……と戸惑ったように声を漏らす。


「まあ気にすんな、一応ではあるが電話も来てたし。まあ普通に罰金だけど。」


 タバコ片手にニヤニヤしている店長に、ですよねと思いながらも、悪いのは私のため、もちろんです、と頭を何度か下げてから着替えるために更衣室へ引きこもる。とりあえず、怒られることは免れた。

 ほっとしながら貸し出しドレスを脱いで、ハンガーを掛けてから着用済みの札が貼ってあるハンガーラックに吊す。


「お疲れっすー」


 Tシャツを着て、ジーパンを穿いていた最中に西川さんの声が聞こえてきた。もしかして、もう退勤なのだろうか。なんだか意外、ボーイと言えば女の子達が退勤してからも長いこと退勤できないイメージがあったのに。


「おお仁!お前退勤だよな?葵ちゃん送ってってやってよ、徒歩で帰るし心配だから。」


 急すぎる提案をしている店長を止めるため、慌てて服を着て鞄を持って更衣室から出て行く。


「近いんで平気です。」


 じゃあ、と言って店を出ていった。きついタバコの香りと、白く煙っていた室内から汚れた外気で満ちた外へ出る。

 もうすっかり日付も変わり、時間は夜の二時。風営法で零時までしか営業できないはずのキャバクラだが、そんなの守っている方がレアだ。

 酔っ払いの声が響く中、それをシャットアウトしたくてイヤホンを耳につける。今日もタバコの臭いが体にまとわりついていて、臭いし気持ち悪い。

 バッグの中に入れている安いフレグランスをかけて、気休め程度の安いベリーの香りに少し安心した。やってらんないなぁほんと。


「おい地味子!」


 急に後ろから男の人の大声が聞こえてきて、思わず体がビクつく。男の人の大声は苦手だ。聞こえない聞こえない、そう言い聞かせて歩いていると今度は肩を掴まれた。


「ひっ!?」


 驚いて振り返るとそこに居たのはあの西川さんで、今度は別の意味で驚いた。なんの用だろう。

 口を大きく開けて、自分の耳元をとんとんとノックする西川さん。首を傾げると、イヤホンとゆっくり口パクで言った。外せってことだろうか。

 イヤホンを片耳だけ外し、独立型のそれを手の中に握り込める。


「女一人で夜中にイヤホンしながら歩いてんじゃねぇよ。危ないだろ。」

「え、あ、は、はい……すみません。」


 気をつけろよな、なんて言って随分ゆったりした歩調で歩いていく西川さん。一応言われた通りイヤホンを両耳外し、電源を落とす。

 帰る方向が西川さんの歩いている方向で、あとを着けているみたいに歩くのが嫌だなぁと思いつつ、靴音を鳴らしながら後ろを歩く。


「地味子って一緒に歩く時人の後ろ歩くタイプか?」

「地味子?」

「おう、外で源氏名呼ばれるのも嫌だろ。」


 それはそうだけれども、それにしたって地味子か。まあ言い得て妙というか、実際小学生の頃に地味子と複数の男の子にからかわれていたし。

 なんだか懐かしい響きのある地味子という呼称を繰り返す西川さんは、なぜか私の横に並んで歩き、お前大学どこだ?なんて質問を始めた。


「どこって言っても別に……。」

「お?なんだよ、言いたくないのか。」

「店長にでも聞いてください。」


 明日聞いとこ、と西川さんは気軽に言って、カーキ色のジャケットのポケットに手を突っ込んだ。それにしても、本当にどうして一緒に歩いているんだろう。

 そこまで考えて、ふと思い当たる。そういえば、西川さんと私のアパートはかなり近い。


「えっまさか、送ってます?これ。」


 バレたか、西川さんはなんでかバツの悪そうな顔をしながら目を逸らした。店長の冗談みたいな言葉を本気にして、愛想もなく出ていった私の住所まで聞いて送ってくれているのか。

 なんだかそう考えるとありがたくて、少し恥ずかしそうにしている西川さんの顔をマジマジと見てしまう。


「なんだよ、見るなよな。」

「ふふ、西川さんって店長になんか似てますね。」


 どこがだよ、そう聞かれても答えないで先を歩いていく。うちの店って、基本的にいい人多いよなぁ。なんて思って、少し上機嫌で西川さんの隣に並んでから一緒に帰った。

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