9 再会

 ぼやけた視界に映る知らない天井に一瞬驚いたが、寝る前のことを思い出して胸をなで下ろした。起き上がって辺りを見てみると誰もおらず、カーテンの向こうからうっすら光が漏れていて朝なのが分かる。


「今何時だろう。」


 今日は普通に平日のため、講義は当たり前のようにあるし遅れるのは絶対に避けたい。

 ベッドから降りてすぐそこに置いてあった鞄からスマートフォンを取り出すと、一限が始まりそうな時間で今日の時間割を思い出す。確か今日は二限からだったはずだけれど、家にかえってする準備のことを考えるとかなりまずい気がする。

 急いでここから出て行こうと考えたが、なにより家主がいない。どうしようかと思ったとき、ソファーの前に置かれたローテーブルの上に何か紙とペンがあることに気づいた。

 紙を手に取ると思ったより綺麗な字で「仕事行ってくる。鍵はポストに入れておけ。」という簡潔なメッセージが。確かに紙の横になんの飾り気もない、銀色の鍵が一つ置かれている。


「ありがとうございます!」


 いない家主に感謝の言葉を告げてから、横に置いてあったボールペンで昨日のお詫びと感謝のメッセージを紙に書き込んで部屋を出て行く。」

 スマートフォンで現在地を調べてみると、なんと自分のアパートからほど近い別のアパートで、ある意味慣れ親しんだ道をたどり、アパートまで戻った。



 昔から人付き合いが上手かったのか、友人はたくさんいて、それのおかげなのかわからないが、人の感情を読むのが得意だった。だから今でも、人がそのとき何を考えているかというのはある程度察しがつくのだが、友人で一人何を考えているのかわかりにくい子がいる。


「はぁ、はぁ、間に合った……!」


 それがこの子、珍しく遅く教室へやってきた香椎瑠理だ。

 瑠璃との出会いはこちらが一方的に認知したというところまで遡ると、一年以上前。入試の頃まで遡る。どうやら瑠璃は覚えていないようだけれど、私と瑠璃は入試の時席が隣で少し咳をしていた私に飴をくれた。集中できないだろうからと言って渡してくれた飴は少し溶けていて、それがなんだか心地よかったのを今でも覚えている。

 そんな瑠璃だが本来なら学部式で挨拶を予定だったものの辞退したなんていう話もあるほど成績優秀者で、さらに基本的に他人に優しいため最初は色んな人が瑠璃に群がっていた。のだけれど、どうにも分かりづらい態度とあまり遊びに乗れないことから徐々に人は離れていき、瑠璃はそれを気にしていないのが気になった。


「どうしよっかなぁ……。」


 と、そんな瑠璃だが珍しく落ち込んでいるというか、悩んでいるらしい。


「どうかしたの?」


 珍しいことが連続していることもあり心配しつつ、瑠璃にそう聞いてみると薄いベースメイクしかしていない瑠璃の顔がこちらを見る。眉が困り眉になっていて、明らかに困っていそうだ。


「初めてアルバイト休んじゃって。一応、本当に一応電話したんだけどなんて謝ったらいいか。」


 菓子折とかいるかな、瑠璃が全くふざけてる気配もなくそんなことを言ってきて、流石に私は驚くしかなかった。


「あんた、馬鹿真面目ね。」


 あまりに驚いてそう言うと、瑠璃はなんで、と言いたげに顔を歪める。さすがに、アルバイトを休んだくらいで菓子折を持って行くとは思いもしなかった。


「普通に謝れば大丈夫よ。」

「ほ、本当に?」


 本気で心配そうな瑠璃がなんだか面白いし可愛くて、本人は悩んでいるとは思うけれどこちらは笑いそうになる。なんだかいつも考えていることが曖昧な瑠璃のことが、少し身近に感じられた気がする。

 まあ、悩みが人より少し独特ではあるけれど。



 芽依に言われたように素直に謝ろうと決めて、駅のトイレで髪の毛とメイクをしっかり自身に施し、他はいつのもカジュアルな服装のままで夜の街を歩き、自身が働く店へ裏口へ向かい、ドアに手をかけた。

 何度か深呼吸しドアを開けると、そこには見慣れないボーイが。背の高い金髪が、白いシャツの上に黒いベストを着ている。相当体を鍛えているのか、シャツを着ていても筋肉が付いている体なのがよく分かるほどだ。


「お?あんたここのキャバ嬢か。……あ。」


 私に気づいたようで振り返ったボーイは、顔に赤紫に変色した痣を残した昨日私を助けてくれた人で、驚いて口もふさがらない。


「なんだよ昨日の!はぁーここで働いてんのか?意外だな。」


 明らかにその意外という言葉に、何か失礼なニュアンスが含まれているのはあまり察しのよくない私でも分かるもので、流石に顔を歪めてしまう。


「昨日はお世話になりました。」


 しかしお礼を言わないわけにもいかないため、少し納得はいかないもののお礼を言って頭を下げておいた。気にすんな、と明るく笑うその人に、なぜだか私はため息を吐いた。


「いやぁしかし、あんたみたいな地味な女がなぁ。」


 うん、なるほどな。この男、相当失礼だな。

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