4 鍋パーティー

「そういえば知ってる?最近この辺りで働いてる女の子を狙った犯罪よく起こるんだって。」


 帰り道、私と同じようにドレスの上からコートを着ているだけの状態で隣を歩くエリちゃんが、急にそんなことを言ってきた。


「なにそれ、初めて聞いたかも。」

「本当に?葵ちゃんイヤホンして外歩いてること多いみたいだし気をつけてね。ストーカーとか、そういうのしてると気づきにくいから。」


 ストーカーなど、私としては対岸の火事に近い。とはいえ心配して助言をくれているエリちゃんに対し、私は大丈夫だよ!なんて言うわけにもいかず、気をつけるね、と曖昧に笑っておいた。

 それから二人で歩いていると、アパートまでの道にある24時間営業のスーパーの前でエリちゃんは足を止める。


「ねえ、鍋パーティーしない?」

「えっ?ご、ごめん、私課題が……。」

「大丈夫、買い出しも準備も調理も私がやるから!葵ちゃん先帰って課題やってて!」


 あまりに急な誘いを断ろうとしたのにも関わらず、エリちゃんはそれだけ言うとスーパーの中へと消えていってしまった。ここでエリちゃんを追うことで生じるロスタイムと、何もしなくても出来上がる鍋を天秤にかける。

 結果的に言うと鍋が勝って、私は急ぎ足でアパートまで帰り、靴も揃えぬまま部屋へ上がってすぐにトートバッグの中から取り出した本を読んだ。

 何ページか捲ったところで、なんでか音まで古いチャイムが鳴って部屋のドアを開けた。大きめのビニール袋をふたつ持ったエリちゃんは、お邪魔しまーす!と言ってからさっさとキッチンへ向かっていく。


「ごめんねエリちゃん。」


 本を読みながらではあるが調理をしようと手を洗っているエリちゃんに謝罪の言葉を述べると、エリちゃんはなんで謝んの?と不思議そうに言ってきた。


「私が急に誘ったんだし、葵ちゃんは謝ることないじゃん。」


 それより課題ファイト、とエリちゃんは明るく言って調理を始める。優しいエリちゃんに感謝しながら、なるべく話せる時間を取れるようにと急いで本を読んだ。



「勉強集中してくれていいよ?」


 お玉で鍋の中身を掬いながら、エリちゃんは心配そうな顔を見せる。もう目標ページ読み切ったから平気、と少し眠気が回り始める中笑顔で返事をした。

 せっかくだからとエリちゃんが買ってきた果実酒を片手に、肝臓をいたわるという名目であさりが多めに入ったシーフードがメインの鍋を食べる。体調もあまり良くないし眠りたくはあるのだけれど、だいたい私より退勤があとのエリちゃんと話せる機会は貴重で、どうしても少し無理をしてしまう。


「そういえばさっきまで何読んでたの。」

「ん?あーえっとね、東堂傑のディープグレーにダークグリーンって本。」


 東堂傑?とエリちゃんは険しい顔をした。もしかして知らないのだろうか。

 東堂傑、有名な作家で純文学に近いエンタメ小説を書く小説家だ。ディープグレーにダークグリーンという小説は彼の出世作で、昔好きだった女性の姉と結婚し、子供もできたが偶然同窓会でその好きだった女性と再会してしまう。というようなあらすじの話だ。

 この話は序盤だと鮮烈に登場人物の過去の傷を抉り出すような内容をしているが、終盤からは様々な事情を抱えた登場人物が幸せを掴んでいく優しい話になる。

 登場人物たちのトラウマの描写が見事で、今回のレポートを書くにあたってこの本を絶対に使いたかったこともあり、もう何度か読んだが再度読み直しているところだ。


「これおすすめだよ!気になるのはこの3人の子供の行方だけ描写が曖昧なところだけど、それ以外は満点かな。」

「ふーん……私活字読めないからなぁ。まあ、葵ちゃんのおすすめだし考えとく。」


 てかグラス空いてるじゃん、と言ってエリちゃんは私のコップに果実酒を継ぎ足した。エリちゃんの反応を見る限り、エリちゃんはあまり読書は好まないらしい。語らないようにしよう。オタクみたいに思われるのはちょっと。嫌というより、そこまでの知識がなくて恥ずかしいから。

 なんだか物憂げな表情で百均のガラスコップに口をつけ、果実酒を飲むエリちゃんを鍋の湯煙越しに見る。確かに、言われてみれば目の形が似ているような気がした。髪の毛や目の色は、私と違って綺麗な黒色だけれど。


「葵ちゃんは文学部なんだっけ、将来は作家とかになりたい感じ?」

「いや、そういうわけではないけど、でも編集社に就職したいとかは、少しだけ……。」


 私なんかが夢を持つのはおこがましい感じがするけど。そんな言葉が喉元まで出かかったが、どうにかせき止めて飲み込む。こういう話は、他人にしたって重たいだけだ。


「へぇー!すごい、いいなぁ。夢いっぱいだね。」

「そうなのかな?エリちゃんは、何か夢とかあるの?」


 酔っ払っているのと、眠気と、それに疲れ、全部が混ざってある程度いい気分になっていたせいか、普段なら人に聞かないようなことを聞いてしまった。

 黙り込んで難しい顔をしたエリちゃんを見て、私は瞬間的に後悔をする。しまった。夢を語り合う友人なんていなかったせいで、急に踏み込んだことを聞いてしまったらしい。


「児童養護施設とか……。」


 ぼそっと呟くように言った言葉に、えっ!と思わず大きな声を上げてしまう。


「あっいや、聞かなかったことに。」

「すごい、素敵な夢。」

「え、本当にそう思う?」


 うんうん、とエリちゃんの言葉に何度も頷いた。私は何度かそういった施設に入りたいと思い、場所を調べて様子を見に行ったりしてみたけれど、みんな楽しそうに生活していたのを覚えている。子供ながらに素敵な光景だと思ったし、そんな光景を作ろうとしているエリちゃんの夢は当たり前に素敵だと思った。

 

「まあでも、私はそういう夢を叶えられるような人間じゃないんだけどね。」


 エリちゃんはなんだか悲しそうな顔をしてコップに残っていたお酒を一気に飲んだ。冷め始めた鍋の中身をおたまで掬って、私はエリちゃんの表情と言葉に思いを馳せているうちにだんだん頭が重くなっていく。

 もしかして、このまま寝るのか。そう思った時にはもう遅く、小さいテーブルにおでこが乗った時点から記憶がもうない。

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