住宅展示場で手品をしたときの話(3)

 現場は、電車で、三時間もかかるんです。


 それを考えただけでうんざりです。わたしは五時半に起きました。朝風呂に入ります。頭を洗い、全身の毛をカミソリで剃り、身も心も綺麗になってお風呂を出て、バスタオルで全身を拭いて、ドライヤーで髪を乾かします。


 めんどくせえ。


 昨日みたいに見すぼらしい格好で行くと、自尊心が死んでしまうと思ったので、きっちりした服装にしようと思いました。具体的に言いますと、紫色のラメ入りジャケットと、黒いサテンパンツと、サテンの白シャツと、スパンコールネクタイです。スパンコールのネクタイはキラキラした丸いシールみたいなものがボロボロ剥がれてあんまり好きでないのですが、とりあえずマジシャンっぽい感じは出るので装着しました。現地に着替える場所がないというのは、昨日の時点で分かっていたので、この格好のまま出発しようと思います。


 家を出ます。が、野良猫が玄関前に居座っていました。三毛猫です。こいつは毎朝、餌をねだりに来るのです。「びみゃ、びみゃ」と可愛くないダミ声を出しています。


 仕方がない。


 こういう時のために靴箱の上にキャットフードが置いてあるのです。それを取ろうと振り返ると、そのときに、玄関の壁にぶら下がっている丸い鏡を見てしまいました。


 わたしの姿が映っています。


 鏡の中のわたしは、山登り用のでかいザックを背負っています。この中に手品道具が山のように入っているのです。演歌歌手のような衣装に登山用のザック。全く似合っていませんでした。こんなの変人です。きっと、近所の人に見つかったら、頭のおかしい人だと思われてしまいます。嫌な気分になりました。このまま手品のお仕事をバックれてしまいたい。いや、ダメだ。お金稼がないと。さあ、早く行かないと。気を取り直して、出るんだ。息を吐きながら、猫の餌を玄関先に置いて、家を出ました。


 犬の散歩をしているおばさんが向こうからやってきました。こっちをチラッと見たような気がしました。こっち見てんじゃねえ殺すぞ! と心のなかで叫びながら顔を下に向けました。きっと、今すれ違ったおばさんは、わたしのことをバカにしていたに違いないのです。


 ちくしょう。やっぱりこんな世界、滅ぼしてやる。


 ▽


 電車です。乗り換えは二回です。時間はかかるけれど、ほとんどずっと座っていられるので、その点では楽です。車両の端っこに座りました。スマホで漫画を読んで時間をつぶすことにしました。ボーイズラブな漫画をチョイスして、電子書籍をポチッと購入しました。


 ヤンキーにぶん殴られて喜ぶフリーターのマゾ野郎の物語でした。事もあろうに男同士のセックスシーンがありました。こんなの読んでるところを見られたらヤバすぎる。そう思って、横や上から覗かれないように、スマホを顔面に密着させるようにして、難しいことを考えてるフリをしました。もう、この時点でだいぶ疲れました。


 ▽


 現地に到着したのは午前10時頃です。


 やることは昨日と同じです、外のガレージで、塗り絵コーナーや焼きそばコーナーのテントを張っているスタッフの方達、似顔絵師さん、広告代理店のKさんに挨拶をします。それからテントの中で軽めの化粧をして、フローティングテーブルの準備をしてモデルルームに入って受付のおねーさんに挨拶します。あとはひたすら受付のエントランスでマジックを繰り返すのです。誰も見ていなくても、テーブルを浮かし続けたり、カードをファンしたりして、手品やってる風な感じをアピールするのです。


 今日はすでにお客様が入っていました。四歳くらいの子供がフニャフニャ泣いていました。わたしがテーブルを浮かしながら、その子供をチラッと見ると、子供がさらに大声で泣き出してしまいました。でも大丈夫です。ベビーシッターの女性が来ているので、すぐに泣いている女の子をベビールームに連れて行ってくれました。


 わたしの目を見た子供は十中八九泣き出します。今までもそうでした。きっと子供たちはわたしが邪悪な人間であることを本能レベルで知っているのです。


 ああ、気分悪ぃ。外の空気が吸いたくなって、一旦ガレージに出ました。今日は陽射しが強いです。ベンチで座っている依頼人のKさんに声をかけられました。「アリスちゃん、今回はドレス着ないの? ドレスで行こうよ」「いや、もうわたし三十二歳です。こんなおっさんがドレスって、ヤバくないですか」「大丈夫だよ。スタッフのみんなも群ちゃんのこと女の人だと思ってたみたいだよ」「え、ほんとに? なんか照れちゃうな。嬉しいです。じゃあ、明日はドレスで来ますね」「そうしてよ」


 わたしは『ルンルン気分な笑顔のようなもの』を、スタッフさんたちにふりまきました。しかし実際は全然、嬉しくありませんでした。そもそもドレスは持ってくるのが大変だし、ヒールも履かなくちゃいけないから立ちっぱなしの仕事だと足が痛くなる。あと、わたしが女の人に見えるというのは嘘なはずです。せいぜい『女か男かどっちか分からない』くらいな感じでしょう。そのことはわたしが一番良く分かっています。もう、わたしは恥をかきたくないのです。もうダメなんです。


 せっかく『あなたは女の人に見える』と言ってくれて、嬉しいはずなのに、その言葉を素直に受け取れず、なぜだかもっと嫌な気分が覆いかぶさってくるのです。


 なんで、わたしはこんなに捻くれているのでしょうか。素直に褒め言葉を受け取れないのです。嬉しいという表現が苦手なのです。嬉しいと思った瞬間、その嬉しいと思ってしまった感情に強い罪悪感を覚えてしまうのです。


 休憩を終えてモデルルームに戻りました。エントランスのソファーが置いてあるところで、ベビーシッターの女性が、先ほどの女の子を抱っこしてあやしています。そこは、商談コーナーで話し込んでいる母親が見える位置なのです。だから、その女の子っも安心してニコニコ笑っていました。とりあえず、わたしはその子の前でテーブルを浮かしたり、空中から赤い光を取り出すマジックをしたりして、汚名返上とばかりに子供好きをアピールしました。


「すごいねえ。不思議だねー」


 と、子供をあやしていたベビーシッターさんが言ってくれたので、その子がわたしに興味を示してくれました。子供が泣き止んで、わたしは少し、嬉しくなりました。静かになってよかった。


「一緒にテーブルを浮かそうよ」


 と、わたしは言いました。女の子はコクンとうなづきます。シッターさんに手伝ってもらって、その子にテーブルクロスの端っこを持ってもらいます。わたしがテーブルに息を吹きかけます。そして、その子にもマネっこをして、息を吹きかけてもらいます。テーブルが浮きます。その子の目がまん丸になります。子供が驚く瞬間というのは、表情が固まり、口が半開きになるのですが、わたしはこの表情がすごく好きです。マジックをやって純粋に楽しいと思えるのは、この原始的な驚きの表情を見た時です。


 商談が終わったみたいです。女の子の親御さんがエントランスにやってきました。母親が「ありがとうございました」と言って女の子を抱っこします。「バイバイ」とベビーシッターさんが言います。わたしもシッターさんの真似をして、女の子に対して「バイバイ」と言いました。その女の子も可愛い笑顔で、わたしたちの真似をして、バイバイと手を振ってくれました。


 今日のわたしの仕事は、これでおしまいです。

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