住宅展示場で手品をしたときの話(4)

 今日がイベントの最終日です。


 ゴールデンウィーク初日と二日目は、お酒を飲まずに手品をやりました。だって、居酒屋やレストランでマジックをやるのとは訳が違うのです。子供たちも来ているし、外では陽射しがぽかぽかしているし、海軍カレーも振舞われているし、こんな昼下がりからお酒を飲んで顔を赤くしてマジックしてたらさすがに追い出されてしまいます。お酒なんか絶対に飲んではダメです。


 でも、もう、この緊張感に耐えられない。


 今日は黒いゴシック調のドレスを着て、パフォーマンスをしていました。トイレの中で着替えました。そしてヒールも履いています。親指の爪が靴に圧迫されて痛くてたまりません。地獄です。インフェルノです。わたしはなぜか昨日よりも緊張していました。とてつもない罪悪感を感じていました。実は今朝、ここに来る途中にコンビニで『IWハーパー』を買ってしまいました。進化する水素水も一緒に買いました。この進化する水素水はネジ式の缶です。道端に中身を捨てました。そして、IWハーパーをここに入れ替えます。準備オーケーです。あとは休憩中に水素水を飲んでるフリをして、このウイスキーを飲めば、わたしは無敵になれるのです。


 時刻は十二時です。休憩の時間です。まだ、始まって一時間しか経っていませんでした。お酒はまだ口にしていませんでした。

 わたしは外に出て深呼吸をしました。

 Kさんに、海軍カレーをもらいました。


「カレー美味しいですね」


 と、外のイベントスタッフの女性が声をかけてくれました。


「美味しいです! 1日3食カレーでいけます!」


 わたしは慌てて答えました。満面の笑みで。頬が痛い。笑うのが辛い。心の底から笑いたいのに笑えないのが辛い。みんなと心の底から仲良くしたいのに。水を飲むフリをして、ウイスキーが飲みたくて仕方ありませんでした。三十二歳のおっさんがゴシック調の黒いワンピースドレスを着て(しかも、ブラジャーまでつけて)手品をしている。なんで、わたしはこんなことをしているんだろう。もう、酒を飲んで酔っ払ってメチャクチャになりたい。でも、ウイスキーはアルコール度が四十度もある。しかもわたしはお酒に弱い。あっという間に顔が赤くなるに違いないのです。《そんなの、ファンデーション塗ってこ誤魔化せばいいじゃないか》そうです、化粧でごまかせます。でも、匂いは? ウイスキーの匂いがしちゃいます。《何言ってんだよ、そのためにミンティアを買ってきたんじゃないか。ブラックミンティアこれを10粒も飲めば匂いも誤魔化せるさ。飲んじゃえ飲んじゃえ。酔って楽しい気分で手品した方がみんな喜んでくれるぜ?》わたしの頭の中にいる不良少年が囁きました。もうダメです。わたしは進化する水素水をザックから取り出して、グイ。と飲みました。グイグイグイ。一口、二口、三口。飲んでしまいました。喉がカーッと熱くなります。あっという間に気分が良くなります。なんだか楽しくなります。


「ほんっとこのカレー超美味しかったです!一週間ずっとこれでもいけます。ありがとう!」


 なんか訳も分からず、テンションが上がります。わたしはカバンのなかからミンティアを取り出して口のなかに頬張りました。全部口のなかに入れました。そしてメンズビオレで歯や舌を拭きまくって匂いをできるだけ消してファンデーションを塗りたくってチークをつけました。


 楽しい気分と罪悪感をごちゃ混ぜにしながら《手品できるってサイコー》と心の底で喜びを味わって、再びモデルルームに戻りました。


 ローンの審査のためにスタッフの人が裏に引っ込んで手持ち無沙汰にしているお客さんのテーブルに近づいて「お時間あれば、ぜひ手品を見て行ってください!」と、わたしは楽しい気分で声をかけました。お客さんがニコニコしているように見えました。その笑顔を見て、わたしは世界に受け入れられている! と、認識しました。なんか超うれしい! いっぱい楽しんでもらおうと思いました。いっぱいやりました。ビルインキウイ、リングフライト、チョップカップにビルチェンジ。もう、周りの評価なんてどうでもいい。今が楽しければそれでいい! お客さんが笑ってくれます。頭がフワフワします。うあ、超きもちいい!


 けれども、一時間もすると、お酒が抜けそうになり、体が透明になるような恐怖を感じました。外に出ました。ザックのなかから進化する水素水(中身はウイスキー)を取り出して口から補給しました。エンジンが切れないようにしなくてはいけません。アルコールのおかげでまた楽しい気分になります。エンジン全開でマジックをやり続けました。今日は本当に気分がいい。


 こうして、なんとかエンストを起こさず、午後四時を迎えることができました。昨日、四歳の女の子がわたしの手品に本気で驚いてくれたことなんかどうでもよくなっていました。他人が驚いてくれたとか、喜んでくれたとか、そんなことよりも、酔っ払って手品をして気持ちよくなれるほうが、今のわたしには一番大切なことなのです。他人の喜びなんてどうでもいいのです。そうです!


「Kさん、今日はありがとうございました。こういう素敵なところで手品ができるって本当に幸せです」


 と、言いながら、後片付けを手伝います。でも、何を片付けていいか分かんないな。テント畳めばいいのかな? それともテーブル畳めばいいのかな? でも、いいや。まあ、いいや。あ、いつの間にか片付いてるし。


 今日はお疲れ様でした!


 ニコニコが止まりません。帰り道を間違えそうになって、えへへと笑いながら道を戻りました。でも、今は道を間違えたって恥ずかしくもなんともありません。Kさんに、「すんません。また間違えちゃいました」と言ったら、近道を教えてくれました。「ありがとうございました!」と爽やかにお礼を言って、スキップしながら駅に向かいます。くるくるする意識のなかで電車に乗ります。


 途中、横浜駅を通過したときに、体の半分がボトボト溶け落ちていることに気がつきました。肝臓も、腎臓も。脾臓も膵臓も。心臓も落っこちてしまいました。ああ、大切なものが。昨日の四歳の女の子がバイバイと手をふる時に見せてくれた笑顔も落っことしてしまいました。ああ。ああああ! やってしまった。このゴールデンウィークに経験した思い出が、全部、無になってしまった。大切な出来事が全部、嘘になってしまった。


 電車の黒い窓に反射するわたしの顔が、能面のようになっていました。


 もう、お酒を飲むのはやめる。絶対に。

 わたしは家について化粧も落とさず、すぐにベッドのなかに入って眠ってしまいました。夢を見ました。

 夢のなかのわたしは、嘘偽りのない手品師を演じ続けることを誓いました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る