第38話 螺旋逆流/あの日の続き
記憶が流れ込む。自分であり、自分でない者が頭の中で溶け合っている。
かつて経験したことのあるものとは、比較できないほどの嫌悪感だった。
「ありもしない記憶が、頭の中で暴れてる…………」
吐瀉するものはもうない。喉はカラカラに枯れている。
「これでもまだマシだ……? 黄金を止める代償としては安いものか……?」
うずくまっている俺の前に、一人の少女が現われた。軽やかに、夜空を突っ切る流れ星のように。
「今の貴方は、どちらですか」
少女は簡潔に問う。
「どちら………? 紡稀、なにを、言ってる?」
俺は動揺してて、これもまた夢なんじゃないか、なんて思う。
どうして/違う/自分の娘が/違う/生きている?
動悸がする。激しくて、今にも血が吐き出せそうだ。
紡稀は/随分と背が高く/娘ではない/僕は/フェイズブルー?/青咲紡稀は娘じ
ゃない………!
脳が書き換えられている。自分であり、自分じゃない何者か。巴であって巴じゃない者。平行世界の記憶が押し寄せて。自分という存在を希釈する。
青咲巴? 違う。
螺旋巴? 違う。
なり損ない。なり損ない。なり損ない。なり損ない。
何者でもない。
あの頃と同じ、人形だ。
何者にもなれない。
ぼくと同じ末路を辿るんだ。
心を失って、脳だけで生きるんだ。
夢だ。これは夢だ。
ビデオのテープがすさまじい勢いで巡る。モーターは悲鳴を上げている。このままじゃヘッドは交換だ。
どうしようもない。
交換なら大丈夫。
大丈夫。一部分が変わるだけ。
「――――うん、大丈夫だ。ぼくは大丈夫」
そう答えた。
けど、それを聞いて紡稀は顔をしかめた。
「そうですか」
彼女は勢いよく間合いを詰めてくる。ぼくはてっきり抱きつきに来たのかと手を広げた。けれど、次の瞬間、自分は宙を舞っていた。
「これで少しは頭が冷えますか」
すごい顔だった。
今回の一件で一番記憶に残るものがあったとすれば、これだ。そのまま写真として現像できそうな勢いで眼球に焼き付いている。
右脚を綺麗に空へ向けて。
きっと、俺を蹴ったのだろう。
けど、おかげで頭の中がスッとした。
「いってぇ…………もうちょっと手心ってものをさ……」
「それで? 今の貴方はどこの誰ですか?」
「危険な力をホイホイ使う螺旋巴ですよ………すまん。完全におかしくなってた」
紡稀は、俺の声音が変わったのを確認して(他にも手段はあるのだろうけど)、安堵したように険しい顔をやめた。まだ機嫌は悪そうだけど。
「現状を説明できますか? それと私に詫びることは?」
「…………」
お前を助けたかったんだよ。とは絶対に言えない雰囲気である。
「疑似新世界創世って魔術で黄金を殺そうとした。香夜の考えじゃ、疑似新世界創世は旧血種が持ち得ていない魔術だから通用すると聞いて。けど、実際そう上手くはいかなかった」
「それで?」
どっかの誰かさんに似たガンを飛ばすものだから、俺は思わずその場で縮こまった。
「―――俺の疑似新世界はさ、モノを殺すことに特化していたけれど、もう一つ特殊な機能があった。自分のルーツを辿れば、そりゃあ当然のものだし、先月末、フェイズブルーを使った俺が二つの力を行使できた理由と同じなんだけど…………」
口をもごもごさせていると、さっさと言え、みたいな圧を凄く感じた。
「…………紡稀のいた世界の青咲巴に力を借りた。実際は芋づる式であらゆる世界の同一人物に」
「結果、どうなりましたか?」
「それでも黄金は殺せなかった…………」
「で?」
「…………」
「で?」
「言わないとダメですか……」
「後々責任を負うことになるのは私なんですが?」
「…………黄金と同化することになりました」
紡稀はそれを聞いて肩を落とす。それで、誇張していなくとも聞こえているよという具合の音でため息をついた。
「まぁ、聞かずとも分かっていたことなんですけどね。私の目には螺旋巴と黄金の旧血種がうっすらダブって見える」
「つまり、俺が旧血種になったってこと?」
「それは貴方が一番理解できるのでは?」
「い、いやー……原理も分からずに術を発動させたものだから、俺には全く」
また大きなため息。
「旧血種にはなっていません。あくまでその権力のほんの一部を借用しているだけです」
「ほんの一部? 偽吸血鬼みたいなもんかな?」
「それ以上に希釈されていますね。貴方が旧血種を内包していることも、私みたいな者でなければ判別することもできない。白銀の旧血種のように、人間に擬態している状態――とも言えるのかもしれませんが、それ以上に低リスクですね」
「うーん、何が変わったかハッキリ分からないな。頭の中はごったごただけど、体に変化はないし……」
以前のように体の一部は動かないままだ。だから、盲杖桜がくれた杖は今現在も利用している。
「旧血種になろうなんて思うのなら、そうなれますけど、私のように円環から外れますよ?」
「つまり?」
今度は舌打ち。
「使い方次第ってことです。やり方を教えた者――――この場合、螺旋巴全員の知恵で生み出した技巧なのか。私には理解できない仕組みで、貴方という人間を保っている…………ホントにどういう仕組みだ?」
「えーっと、じゃあ?」
もう顔が無表情だ。
「普段通り生活していいってことです。ただ――――」
「ただ?」
「私という監視者が常駐します」
「それってつまり?」
「貴方が死ぬまで、側にいるのが私の責任でしょう」
「プロポーズ⁉」
「もう一度冷やすべきかな」
頭を掴まれた。多分今後見ることはないくらい怒っている。
「あだだ! 死ぬ! 死ぬ!」
けど、すぐにその手は離された。
「まぁ、私が黄金のぐだぐだやっているからこうなってしまったのも事実です。貴方は人質として、拉致されたわけですし、こちらにも非はあります」
紡稀が一帯を見渡すように目を動かしたので、連られて周囲を見る。さっきまで大きなクレーターがあったはずだけど、何事もなかったように修復されていて、生物の気配も戻っていた。魔法使いの実力に関心する。
「――――まぁさ、大分遠回りしたけどさ。紡稀」
よろよろと立ち上がると、紡稀が不安そうにこっちを見た。大丈夫大丈夫、と、紡稀の持っていた暁を勝手に拝借して杖にして(杖にするなと暁がすげー騒いでたけど)、ようやく目線の高さが同じくらいになった。
「お前とこれからも一緒にいられるんだろう? 俺は、ずっとそう言いたかったんだ」
あの日、後悔したことだったから。
自分で言ってて少し恥ずかしくなりながら、照れ隠しに笑うと、紡稀もまた、少し恥ずかしそうに笑った。
「今、泣いた? 泣いたよね?」
「泣いてませんって!」
そんな表情を、今の紡稀がするのは珍しいのかなと体を前のめりにさせると、思わずつまずきそうになって、紡稀がすぐに体を支えてくれた。彼女の体は、正直「魔法使い」だとか、覚醒した新人類だとか、そんな風には思えない。
あたたかくて心地いい。
さっきまでの興奮はさっと消え去って、安心感に包まれた。
「紡稀、情けなくて悪いんだけど………あとは任せてもいいかな……」
「はい。任されました」
一気に疲労がやってくる。
考えれば、内容の濃すぎた一日で。
白銀の旧血種の正体を暴いたところから始まり、セクタヴィア・ソーンとかいう魔術師にいつの間にか拘束されていて――――正直もう会うことはないと思っていた人と再会して。挙げ句の果てに黄金の旧血種と一戦交えてなんとかした。
黄金の旧血種の撃破――いや、封印? 自分でもまだ、正直理解が及んでいないわけだけど、相当危ない橋を渡ったのだと思う。香夜の言うことは、たしかに正しかったし、黄金を一時的に追い込むことに成功した。だけど、それで王手とはいかなかったし、自分だけの力ではどうしようもなかった。
あり得ない邂逅を経て、その存在と混ざり―――結局はそういったドーピングじみた手段をまた取った。
肉体的にも精神的にも、もう限界を迎えようとしている。
“任されました”
本当か嘘か、まだ分からない。次に目覚めれば紡稀はまた俺の前にはいないのかもしれない。そういう可能性を捨てきれない。
けれど。
けれど、紡稀の言葉を信じて、俺はそのまま深い眠りへと落ちた。
◆
「まったく。どっちが親なのか分かりませんね。これは」
すぐに寝息をたてる巴を見て、紡稀はくすりと笑った。
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