第37話 野晒しの心

 ◆


 倉井戸蒼との出会いはたしかに鮮やかで、あんな風に印象づけられては、僕だって忘れようにも忘れられない。その夜、同級生の女の子に吸血鬼にされました。でも実際は、吸血鬼でもなくて、もっと奇天烈なものです。


 誰が信じるよ、そんなこと。

 だから一度死んでみた。なんてことをした僕も、どっちもどっちか。


 たしかに、僕のバックボーンも大概だ。でもハッキリと言えることがある。倉井戸蒼という女の存在がどれだけ僕に変化を促したか、ということ。

 青咲巴の過去編が始まったのは、彼女との接触以後であり、当時の自分にはまるで理解できない事の連続だった。

 実際、余裕はなかったし、螺旋としての巴の記憶も、君ほど得ることはなかった。


 はは。どの世界線であっても、最初に惚れるのは同じ女か。

 ――――本当は話したくはないさ。けれど、お前は僕とは違う。

 違う選択肢があるし、違う未来を歩んでいる。

 ああ。わかるか? 僕のようには腐るなよと、忠告してやりたいんだ。


 正直、倉井戸蒼という女に魅力を感じることはなかった。というより、魅力を感じてはいけないと、好きになってはいけないと、そう思うようになっていったんだと思う。


 おい、別世界の自分の色恋沙汰だからって耳を逸らすな。半分は僕と同じ、ろくでなしの心がベースなんだ。同じわだちを踏むのはあり得るだろう?


 最初に言っておくけどね、青咲巴の初恋である少女はこっちの世界でも亡くなっているよ。――――死因は違うようだけれどね、こっちでは怪異化した連中に殺されたんだよ。

 時雨雪には、怪異と深い縁があった。言い換えれば、怪異にがあった。だから、世界樹が汚染されたことによる人類の怪異化を免れた、数少ない生き残りになれた。

 けどね、国は国として機能しない。勿論、町も。人類の文明は数世紀レベルで一気に後退して、“なり損ない”の多い都市部ではみるみる死体の山ができた。


 生き残った人間を、怪異のなり損ないたちが襲って殺すんだよ。

 思い出したくはないけどね、怪異は殺した人間で遊ぶんだ。自分たちだって、元は人間なのに。考えてみろよ、半端に知能の残ったなり損ないが、人間でどう遊ぶと思う?

 拷問だとか、倫理観の欠けた行為だとか、言葉にもしたくないものだよ。

 僕が彼女を見つけたときは、もう遅かった。

 ヤツら、彼女を―――――――。


 絶望したさ。きっとこれ以上辛いことはないだろうってくらいに。

 でも、自分にはどうしようもできなかった。世界をもう一度覆す力なんてない。偽吸血鬼としての力は失われていたし、片目は失明、腕と脚は一本ずつヤツらに持っていかれた。

 倉井戸香夜はあっさり死んで、自分には世界がどうなっているか把握する余裕もない。それどころか、当時の自分はこう思ってた。

「こんなのは街を出れば終わる。とにかく、他の地域に移動すればどうにかなる」ってな。でも、そんな希望はすぐに消えた。夜が来ても、街が光らないんだよ。どこへ行っても、高台から一望しても。


 あの時だけは、無数の星の浮かぶ空が気持ち悪く見えたよ。


 人間がいない。どこへ行っても手遅れだったり間に合わなかったり。負傷して満身創痍、食糧すら万全に確保できない僕たちが誰かを救えるわけもない。

 そうして、見てみぬフリを続けたんだ。

 助けてと叫ぶ、人の声を。


 ずっと、側にいた。

 倉井戸蒼はずっと側にいた。

 何をするわけでもなく、言うわけでもない。まるで魂の抜かれた人形みたいに、僕と一緒に行動していた。

 香夜の行いを止めることができなかったこと。そして、彼の行いを最後まで正しいと思っていた自分に嫌気が差したんだと、小さな声で言ってたな。

 でも、それは僕も同じだった。

 あの樹が世界に姿を見せたとき、自分たちはどうしようもない呪いを背負ってしまったんだろう。


 頭の中はめちゃくちゃで、心はじっとりと血で湿っていて。

 僕と蒼は互いに依存するものを欲していた。

 別に、コイツのことが好きなんじゃない。

 二人だけでただひたすらに寿命を浪費する日々は、互いの汚点を、人としての見苦しい生き方を、それはそれはさらけ出すことになった。

 だから、僕は彼女が嫌いだった。

 彼女も、僕が嫌いだった。


 だというのに、体を重ねたのは、それでも誰かに欲されているという実感が欲しかったんだと思う。

 生きているという実感が欲しい。

 自分にはまだ利用価値があると思いたい。

 きっと、そんな感情。


 ◆


 人類はもう二人きりになったんじゃないか。そんな風に錯覚して数ヶ月というとき、ある魔術師が僕たちの前に姿を現した。名は、黒崎くろさきれつ。倉井戸香夜の行動に疑問を持ち、行動を起こしたものの、その頃には既に手遅れ。世界樹というこの星の運営システムは暴走を起こし、人類はごっそりと人口を減らすこととなった。


 黒崎という男は、香夜を止めるため、事件発生前に関東の魔術組織から派遣されてきた者だ。だから、関西が本拠地ではないし、故郷というわけでもない。


 全人類の怪異化――当然ながら伴う交通インフラの完全停止。人間がいなけりゃ鉄道や車は動かない。

 おかげで黒崎は、本拠地に戻ることなく怪異との徹底抗戦を余儀なくされた。関西一帯の生き残りをかき集めて、拠点を作っていたんだよ。


 そういったことを知らされて、僕たち二人も拠点に招かれた。当時は心底安心したもんさ。安心して暮らせる環境―――とまではいかないけれど、久しぶりに聞いた人の声と、まだ生きようとしている人たちを見たとき、僕は少しだけ救われた気分になったし、到着と同時に意識を失った。


 目が覚めたのは一ヶ月も後のことで、黒崎からいろんな説明を受けた。義足の代わりだった木の棒は、幾分もマシなものに変わったし、腕も魔術師お手製の特殊な義手へと変わった。なんでも、怪異と戦えるのであれば投資は惜しまないようで、その分の礼は戦って返せと言われた。怪異は一般人には対応できない。僕は魔術師としての知識が少なからずあったから、待遇がよかったんだ。


 倉井戸蒼の顔色も、その頃には大分マシになっていたと思う。

 というか、名前が変わっていた。倉井戸ではなく、黒崎。なんでも、世界樹顕現の元凶たる男の娘と知られれば、流石にマズいとのことだった。

 僕は青咲姓をそのまま使う。家族はもう、とっくに死んでしまっているのだろうけど。確認する術なんて、どこにもない。誰も死者に向ける余裕はなかった。


 魔術的に安全性が確保されているその拠点―――集落の名は、「れいめい」。

 人類はまだ滅んでいない、これから夜は明ける。そんな思いを込めて、黒崎が名付けたものらしい。

 実際、マイナスなことばかりではなかった。

 前を向けるような話もあった。

 遠方で有力な魔術師がその土地の生き残りを集めて決起している。だとか、「れいめい」の活動が活発化して、他の安全地帯に拠点を用意できたとか。


 ◆


 娘が、紡稀が産まれたのは“あの日”から二年も経過していなかったと思う。正確に日付を図る道具すら存在しないから、はっきりとは言えないけど、季節はたしかに巡ったから。


 そういう話で、自分も浮かれていたのかもしれない。

 少し、穏やかになったから。“あの日”に比べたらそりゃあマシだったし。


 でも、またある日。僕の生活は一変した。どこからか、情報が漏れたんだ。黒崎蒼の本当の名前が、漏れた。

 倉井戸香夜という名は、集落の中で広く知れ渡っている。世界樹を顕現させ、この世界を地獄にした元凶―――真相を知っている元組織の魔術師たちは吐き捨てるように何度も呟いた。だから、誰であれ彼が悪だという認識を持っていた。


 その娘が、「れいめい」にいる。

 まるで、ストレス発散だ。怪異に怯えて暮らす人間は、ある瞬間、枷を外した。

 そのとき僕は、れいめいを護るため周辺の危険な怪異を掃討している最中だった。だから、何がどうなって、彼女が死んだのかは知らない。知りたくもない。

 帰ってきたときは、まるで狩りが終わった後の宴。

 ひっそりと裏口から集落へ入らされた僕が見せられたのは、凄惨な――の遺体と、フェイズブルーと呼ばれるものを保存した、ガラスの水晶。


「どこからか、漏れてしまったようだ」


 黒崎が当時どんな顔をしていたか憶えていない。けど、紡稀の事は大丈夫だと、そう何度も繰り返していた。


「それで、許されるのかよ――――この時代に、怪異でもなくっ、人に‼」


「………このとおりだ」


 黒崎は、そんなことをする人間ではなかった。けれど、地べたに頭をつけている。


「わからない。わからない。わからない!」

 

 珍しく物にあたった。側にあった椅子を蹴り飛ばした。

 その日から、僕は集落に近づかなかった。近づけなかった。人間なんて死ねばいい。人間なんて滅べばいい。

 こんな生物もの、生かしておく価値などない。


 自分が嫌いだ。大切な人を護れない自分が。

 自分が嫌いだ。集落の人間に報復できない自分が。

 自分が嫌いだ。まだ言葉も喋れない娘を置いて、集落を去った自分が。


「…………みんな死んでしまえばいいのに」


 ◆

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