幕間 紡がれた希望と終焉を招いた者

 ◆

【擬似・新世界創世発動直後】


 黄金が消滅し、戦いは終わる。それまでどちらが地上であるのかすら分からなかったフィールドは、まるで台風の目に入ったように、ピタリと落ち着きを取り戻す。ミキサーみたいに巻き上がった土砂は重力に従い泥の雨。水気を含んだ土の香りが鼻腔を刺激する。


「あー、ひどいひどい」


 ビシャビシャバシャ。泥の雨に擬音をつけるなら、こんなものだろう。気分は最悪。便器の中にいる感覚だ。おかげで、服がみるみるうちに汚れていく。頭はハイになっていて、こんな状況でも笑ってしまうけど。


「————というよりこの泥の雨、僕にしか降り注いでいないよね?」


 そう呟いた瞬間、降ってくる泥の量が増えたのは気のせいだろうか、きっとそうだろう。

 倉井戸香夜はドロドロに汚れていく体をなすがままに受け入れている。疑似新世界創世と呼ばれる大魔術を発動した直後。大量の魔力を一気に解き放った代償――泥を弾く簡易的な魔術すらも、使用ができないためだ。

 あーあと落胆している彼の横に、青い光が降り立った。先ほどまでまばゆい金色と交戦していた魔法使い、青咲紡稀である。螺旋巴と倉井戸香夜。二人の予期せぬ介入によって、手持ち無沙汰となった彼女は、余計な茶々を入れにきた、“一連の事件の元凶”に挨拶をと姿をみせた。


「やってくれましたね、九条香夜」


 びちゃびちゃに汚れた香夜の方に、紅色の妖刀が向けられる。


「“倉井戸”香夜ね」


「わざとですよ」


 へっ、と香夜は苦笑しながら、首筋近くでぎらりと光る刀を見た。


「ライトセイバーみたいだ。赤く光ってるし」


「それが遺言で?」


 向けられた刀の角度が変わった。馬鹿でも感じる強い殺気に、香夜は大人しく両手を挙げた。


「はいはい、降参ですよ。逃げも隠れもいたしません。流石に二度目だ。覚悟はできている」


「本当に、余計なことを」


「おいおい、魔法使いなら未来の観測くらいできるんじゃあないの? 僕と巴くんの乱入は、最初から把握できただろうに」


 紡稀はそれを聞いた舌打ちした。


「わかっているくせにそんなことを————私がこの世界の未来を視てしまえば、結末はそれで確定してしまう。ハイリスクリターンなんですよ」


「ふぅん。結局、究極に到達してもそういった制約は無視できないんだね」


「ええ」


「円環から外れることで究極へと至る。でも、代償が大きすぎるね」


「――――この際だから断言しておきますけれど、世界樹は貴方が思うほど素晴らしいものではありません」


 香夜はその言葉になにもリアクションしなかった。


「貴方の言うように、私は円環から外れた者です。だから、その過程で知りたくない事も沢山知りました。この世界の仕組みも、その最奥に眠るものも、そしてこの星の結末も――――貴方の計画があの日、……倉井戸蒼の意思によって、私の時代とは違う運命を辿ったとしても、この世界の結末は」


 そう言われて、香夜はため息を吐く。


「ご高説痛み入る。そんなに僕が再犯を犯すのが怖いのか?」


 それ、新人類の力で思考を視てみろ。と、自分の頭を指でツンツンと叩く。


「こんな力に頼るより、実際に会話する方が有用な場合もあります」


「さいですか――――でも、まぁ、そうだね。巴くんにも言ったけど、本当に執着は消えたかな。燃え尽きた気分だよ」


 香夜がそう言ったことによって、紡稀は刀を下ろす。


「僕のやってきたことは、きっと間違いだらけだったんだろう。魔導院も、この様子じゃあ数十年後に解体されていてもおかしくはない」


 久しく顔を見せていなかった魔導院。その魔導院の下請けとして日本でひっそりと活動を行っていた香夜だったが、危険を承知で敷居を跨いだ今回の一件で、組織体勢の些細な変化に違和感を感じ取っていた。

 活気はある。しかし、“なにか”がおかしい。

 ほとんど直感みたいな感覚で、その“なにか”を言語化し、表現することはできないのだけれど、「ゆるやかな崩壊」が始まっているのかもしれないと、確信があった。


 香夜の言葉に、「否定はしません」と、紡稀は機械的に答えた。

 それはもはや答えだろと、香夜は受け取って、煙草に火をつけた。


「とにかく、これで自分の尻は拭ったつもりだ。情けないが見逃してはくれないか」


「螺旋巴は大きな業を背負うことになりました。その責はどう取るつもりで?」


「アレを業と思うかは彼次第だ。僕は巴くんを騙したわけじゃない。しっかりと同意の上で協力してもらったさ。それに―――」


 それに、これで青咲紡稀という魔法使いはこの世界に関与し続けなければならない理由ができた。少なくとも、螺旋巴がその寿命を全うするまでは。そう、香夜が口にしようとしたところで、紡稀は少し声を大きくして遮る。


「…………それ以上は結構。分かりました。今回は見逃してあげましょう」


「理解が早くて助かる。これも僕の優しさってものさ」


 では早々に退散。と、紡稀に背中を向けたところで、香夜の股間に蹴りが入る。


「あいたぁ‼ な、なななな、いたいって……タマがヒュンって……ヒリヒリする。あ、あ、あ、気持ち悪い」


 スイッチが入って上下に激しく飛ぶ人形みたいに、跳ねて、香夜は涙ながらに股間をおさえる。


「な、何をするだァーッ!」


「貴方のことは嫌いです。ま、ちょっとした、孫との戯れですよ


「変なところは、蒼ちゃんに似ているよ、君!」


「鬱憤は晴らせましたね」


 そうして香夜は、おもしろおかしく体を跳ねさせながら撤退を開始する。

 青咲紡稀と倉井戸香夜、血は繋がっていなくとも形式上は親族となる二人の、最後の会話だった。


「はぁ。野次馬が増えてきましたね。後片付けを始めるとしましょう」


 ため息をついて、紡稀は周囲への警戒を最大にする。網にかかった部外者は相当数。魔術師だけではなく、超常を知る特殊な人間が数人。ここに集い始めていた。


「でも、それだけじゃない。私と同類のヤツまで………手際の悪さを笑いに来たか」


 紡稀もまた気配を消す。それと同時に、クレーターと化していた一帯の土地は未知の力でみるみる修復を始めていた。

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