第36話 ふきゅうの金

 ◆


 黄金の拳が螺旋巴の顔面を抉る。

 ばんと、頭は水風船みたいに破裂して、体はあっという間に吹き飛んだ。


紡稀アレと縁のある人間といっても、所詮はこの程度」


 黄金は肉を抉ったその感触を味わうように、手を開いたり閉じたりする。たくさんの返り血を浴びて、腕までが赤一色だった。まるで、元々の体色がそうであったのだと錯覚するほどに。


「概ねこの世界の仕組みも理解した……勿体ない話よ、こんな仕組みを持ち合わせていたと最初から知っておれば、私はすぐに手を出しただろうに————あれは、まだ夜空が明るかった頃の話か」


 外より来たモノ。星という単位で測っても、外来種であるもの。かつて地球に到来した未知の生物は、旧血種すら持ち得ない“なにか”を会得していた。当時の黄金は、そういったものにあんまり興味がなく、それ故にその“なにか”を会得することはなかった。

 けれど、これでおしまい。

 倉井戸香夜が唯一黄金に刺さると睨んだ特別製の魔術はものの数十秒で黄金が適応を終えてしまった。


「お前はよいものを見せてくれた。この私を“ただの人間”が一度とはいえ殺したのだ。誇ればよい、数千年は更新されておらん快挙だろう」


 人間の動体視力では確認できないほどの勢いで腕を振り払う。すると、付着した血液、その全てが綺麗さっぱり消え去った。


「とはいえ、これでは興ざめだ。一対一の戦いに乱入するというのはな」


 ため息を吐くと、虚空を睨む。黄金の瞳は鋭く光り始めて、この世界に穴を空けた。

 巴の創り出した世界からの脱出。そのための穴だった。当人が死亡しているのであれば、この世界はじきにバランスを乱し、崩壊を始める。だからといって、元いた場所に戻れなくなるわけではないのだが、黄金は元の世界へ一刻も早く戻りたかった。


 しかし、その穴は瞬く間に閉ざされることとなる。同時に、黄金が感じ取ったのはどろどろに煮え滾った殺意という感情。旧血種である黄金ですら萎縮するような気迫。


「……はっ」


 思わず彼女は臨戦態勢になって、そのまま殺意の源から離れるように飛んだ。


「この、私が?」


 思わず恐怖した? そんなことに苛立って、眉間にしわを寄せた。

 どこからか、コエがする。さっきこの手で殺した、人間のコエだ。


「おい元凶————第二ラウンドだ」


 世界の泥が沸騰する。

 永遠に続く螺旋が交差する。

 多くの因果が混濁する。

 生命の終わりが矛盾する。

 螺旋という名の時間が矛盾する。

 死が覆る。

 殺した者が蘇る。

 ――――その果てに、螺旋巴は矛盾した。


を混じらせたな! その代償は高くつくぞ!」


 しつこい虫だと、黄金は嘲笑する。


「あぁ。こちとら“未来への負債”を貯めるのが得意でね。つい最近支払いが終わったばかりだけど————おかげさまで!」


 泥中から現れた螺旋巴と同じ見た目の人物は、そんな風に挨拶を終える。両者は睨み合う間もなく、ただただ合理性を突き詰めたマシンのように、殺し合いを再開した。


「ああそうか! しかし、次はない!」 


 黄金の挙動は先ほどよりも一段と速くなっている。人間の動体視力では、当然追いつくことはできない。防御や回避に転じる間もなく、今度は素手で心臓を一閃。そのまま直下の臓器を抉るように体が引き裂かれて、大量の血液が溢れ出した。

 黄金は、また男の死を確信した。けれど、全身を巡った快感は一瞬で凍りつくこととなる。


「……は?」


 猛烈な吐き気と全身を這い回る異物。


「うっ」


 黄金の体から一斉に白い炎が巻きあがる。火種である黄金は、聞いたこともないような悲鳴をあげて、泥の中でもがき苦しんだ。

 その様はまるで、全身にまわった火を消そうと必死に努力する幼子のようでもある。


「あああああぁぁぁあああああ! 私の中に、入ってくるなぁ! 私の、私の、私の! あぁ、あ!」


 炎の勢いは、更に増す。

 その発生源たるあるじから全てを奪い去るように。

 世界は、黄金の悲鳴に同調し、ゆったりと時を刻んでいた螺旋は凄まじい勢いで回転を始めた。世界一帯に広がる泥を、黄金の元へと運び続けるスクリューのように。


「あぁぁあああ! やめっ やめてく————」


 感じたことのない未知の感覚いたみ。黄金は動けなくなって、そうしているうちにまた泥へと飲み込まれた。

 またさっきのように黄金は底なしの沼から、這い上がってくることはない。不朽の金は、——に侵され腐朽した。

 

 黄金の——を確認すると、この世界は幕を閉じる。


 ◆


 じんわりと、術者の視界は現実のものへとシフトされてゆき、螺旋巴は元いた場所への帰還を果たす。巴は自分が地に足をつけたのを確認すると、くらりと姿勢を崩した。


「帰って、きた……あぁ、最悪の気分だよ………うぷ………」


 戻ってきて早々、そんな言葉を吐いて、同時に胃の中のものも全て吐き出す。一度の嘔吐だけでは、気分は回復しなかった。

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