第34話 大魔術起動
常に大災害の起点は移動している。さっきまで圏外だったこの山も、じきに崩壊が始まりそうな雰囲気だった。比例して、俺の焦りも大きくなる。竜巻がこっちに迫ってくるようなものだ。(被害レベルは到底比較できないが)
とにかく、術を発動するのに時間を要してはいけない。棒立ちで状況を眺めていれば、当然死ぬし、そうでなくとも死ぬ。
「安心しなよ。だからこれを用意しておいた」
背後で何やら魔術道具の解説が始まりそうだったが、それどころじゃあない。
「ひッ」
耳たぶが勢いよく揺れて、びゅご、という鈍い音がした。
体は本能的に死を回避しようと動いていて、全身から体温が抜けていったのは、脳が事態を理解した後だった。
前から巨岩が吹っ飛んできたのだ。
「あ、ああ! とにかくさぁ! はやくさ!」
「あぁ、ごもっとも」
カゲも入っていたトランク。その中から取り出されたのは……スピーカー? 持ち運びの悪そうなスピーカーだ。多分、ミニコンポとかで音の出力に使うようなスピーカーだろう。持ちやすいように革製の取っ手が上部に取り付けてあるけれど、それでも重たそうだ。(余談ではあるが、スピーカーはトランクに到底入らないようなサイズとなっている。トランク自体、異空間と繋がっているのだろうか。)
香夜がスピーカーに触れると通電ランプらしきものが光って、見たこともない刻印がその周囲に浮かび上がる。
『代理詠唱機関。オルフェウス』
機械的な男性の声で、そう聞こえた。
「数週間前に使う予定だったが調整が終わらなくてね。まぁ、持ち物全部奪われたから、これも徹夜して制作したものさ」
などと、焦る様子もなく解説。
「仕組みはなんとなく予想できたから!」
「あらそう?」
数週間前、つまり年末の世界樹顕現の際にサポートとして使用するはずだった魔術道具であるのなら、スピーカー自らの名乗りもあって容易に予想はつく。
代理詠唱機関。
おそらく、大規模な魔術を発動させるためには必要不可欠な魔術詠唱を、肩代わりするもの。戦闘になった際、ぶつくさと呪文を唱えているようでは、格好の的になる。詠唱していると分かれば、それを阻止しようと動くのが基本だろうし、なにより、詠唱に必死で戦闘に集中できなければ発動する価値もない。
大魔術を戦闘中に発動するためには相応にリスキーなのだ。
魔術というのは慣れてくれば詠唱ナシでの発動も可能だが、そのレベルに到達するには途方もない時間を要する。
対星影総悟戦では、呪文も唱えずに疑似新世界を発動したと聞いたけど、あの時は『思考詠唱』というものを行っていたらしいし、決して詠唱を行わなかったわけじゃない。実際、その間の香夜はほとんど無防備だったって話だ。
けれど、このスピーカーがあればそんなリスクも不要なのだろう。便利なもので、既に詠唱は終わったらしい。スピーカーから早送りにした音声みたいなものが数秒流れると、スピーカーに浮かび上がった魔法陣、刻印のようなものは消え去った。味方だからいいけれど、これが年末の戦いで投入されていたらと思うと吐き気がする。
「よし、それなら発動といこう。巴くん、肩に触れるよ」
「あ、ああ」
「タイミングを探る。いつ黄金とご対面かは分からないから覚悟を決めるんだ」
「わかってる」
「チャンスは一回、今の僕の魔力ではそれが限界だからね」
◆
一方、渦中の人物である青咲紡稀は……。
『主人様、なにかよからぬことを考えている連中が!』
「――ッ! 第三者⁉ それどころじゃないッ!」
こちらに情報を回す余裕があるのなら、目の前の敵をどうにかしろ。と、紡稀は二本の刀を振りかざす。
青咲紡稀は追い込まれていた。既に周囲一帯へ気を配る余裕すらない。どんなに自分自身の性能を上げても、黄金は追いついてくる。学習スピードが尋常ではない。
戦闘方法や、アプローチを変えても同じ。最初こそ怯みはするが半時間もしないうちにその手は打ち止めだ。
「飽きて撤退なんてしてくれるわけないでしょう、コレ!」
黄金の八つ当たりを止めるために現われた紡稀であったが、その八つ当たりも終わりが見えない。
「どうしてこんなことになった!」
紡稀は黄金の猛攻をしのぎながらも愚痴をこぼす。
こんなことになったのは何故か。発端は年末に黄金が自ら世界樹に接触しようとしたことが原因で、それを紡稀が止めたからこうなっている。
旧血種はこの星の仕組み上、殺すことはできない。殺してしまえば人間だけでなくあらゆる概念のバランスが崩壊するからだ。
「最初っから間違いだったんです あれを相手にするのは! 遼遠は私を実験台か、なにかだと 思っている‼」
そう文句を垂れていても仕方がないことだというのは、当人も自覚している。
でも、
「これでっ‼ お前は283回目の死だ‼」
黄金の言うように、青咲紡稀を生物として扱うのならば、この戦いだけで彼女は数百回と死んでいる。それをまた、偽吸血鬼とは全く違ったギミックで自己蘇生させているだけだ。
痛々しく、螺旋巴が見れば平常ではいられない。おそらく、あらゆる死のパターンをこの数時間で経験した。
名の通り、黄金に輝いた拳が紡稀の胸部を貫く。体全体に衝撃が広がるより先に、紡稀は勢いよく吹き飛んだ。そのまま、戦闘の余波で地肌がむき出しになった山に衝突する。
「く、ぅ、う……」
しっかりと握られていた刀が落ちる。
もう限界だ、少し休憩がしたい。彼女はそんな風に少しの間、目を閉じた。
じっとしていれば次の攻撃が来る。
私がこうして、目を閉じている間にも、次の
「ふん。そろそろ降参するか‼」
「だ、めだ」
他の選択肢が思い浮かばない。こちらが新たな戦法をとっても、すぐに適応される。気休めでしかない。
アレを黙らせる、決定打が私にはないんだ。
死んでも、死んでも生き返る。旧血種を葬る方法は既に会得しているというのに、そのカードは使えない。おかげで向こうは、みるみる成長しているし。
「使うしか、ここを打開するには………」
いや、ダメだ。合理的になれ。
禁じ手を使えば、今より遥かに大きなリスクを、私は背負うことになる。私だけじゃない。この世界そのものが、大きな矛盾を抱えた状態になる。そんなことをすれば、私の大切な人たちが!
「……あ」
「ふん、よくない。鈍ってきたか? この私を前にして、思考するの暇があるのなら、もう一度私の首を刎ねてみせよ」
また心臓が抉られる。
けれど、今まで通り、一瞬で蘇生することはなかった。
きっと、黄金が特殊な手段を講じてきた。ここ数時間にわたる戦闘で学習した魔法使いの脆弱性。そんなものを的確に突いてきたのだろう。
視界がぼやける。チカチカする。どうしようもない。ああ、こんなことならと後悔ばかりが頭をよぎった。
「ふん、ここまでか――――よい。貴様の命を以て再び始原の樹を呼ぶとしよう」
「くぅっ!」
私の体は命令をきかない。金縛りにあったみたいに、動かない。
きっと、一番のピンチだった。
いつの間にか、誰かの介入で黄金が忽然と姿を消すまでは。
「………え?」
◆
「いける! 巴くん、ぶちかましてこい!」
背中を思い切り叩かれて、前によろけたその瞬間。疑似新世界創世という大魔術は発動した。痛みとか、苦しさとか、そういったものはない。大魔術の対価して自分は何も支払っていない。それどころか、この世界は心地よかった。
代理詠唱機関オルフェウスによる超ハイスピード詠唱。そして、香夜の持つドス黒い影のような使い魔による、疑似新世界発動範囲の延長。おかげで、本来であれば相当リスキーな魔術もこの通り。術の発動は香夜が全部やったから、俺は本当にその場で立っていただけ。
気がつけばそこは、果てのない宇宙みたいな場所だった。
ぐるり、ぐるり、ぐるり。大きな、赤い螺旋が世界を巡っている。
それ以外は本当になにもない。
黒く、どこまでも黒く。光を捕食しているような漆黒。魅入られてしまえば、抜け出せなくなるような闇だった。
そんな闇にポツンと、一つの異物が。
自己の存在を必死にアピールするように黄金に輝く星が一つ。
「余計な、邪魔を」
ぞわぞわと全身の毛が逆立つのを感じたけれど、ここで狼狽えてはいけない。
ギラギラと殺気を放っている瞳を見ないようにして、黄金の方を向いた。
「自分の娘に手を出されて、黙っている父親がいると思うか?」
「ふん。まだ
会話はそれで終わり。黄金は紡稀を仕留め損なった苛立ちから、如何に早く俺を殺すか。という思考に陥っていたようだ。
彗星みたいに、煌びやかに闇を飛ぶ。勢いよく俺の方に直進してきたけれど、その拳が届くことはなかった。
黒い泥のようなものが、黄金にへばりついている。その輝かしい体を、漆黒に染め上げようと、たくさんの泥が黄金を汚染していく。
「ハ」
黄金は、どうしてか笑った。
黒い泥にみるみる取り込まれていっているというのに、黄金は笑った。
抵抗することはなくどんどん、どんどん光は小さくなってゆく。
「こんなものがお前の本質か――――あぁ、心底、気持ち悪い」
最後にそう吐き捨てて、黄金の気配は消えた。
金色の光が消えて、世界はまた一段と暗くなる。
「……終わったのか?」
旧血種を殺した……なんて感覚にはなれない。
だって、俺は本当になにもしていない。
なんというか、吸血鬼が眠っている棺を太陽の下でパカッと開けて、そのまま灰にしたような気分……。
「まぁ、終わったんならそれでいいか」
しかし、どうやって帰ればいいのだろう。そういえば、その辺りの説明は受けていなかったけど? などと、考えごとをしていると、とてつもない悪寒がした。
ふわふわと漂っていた体を慌てて起こす。
「………いや、そうだよな。そう簡単にはいかないよな」
バリバリと黄金の光が、この闇を喰らっている。
空間にまばゆい亀裂が入って、次第に大きくなって、やがて割れた。
「そう簡単に排除できるものなら、俺じゃなく、香夜でもできるってもんだ」
「ハハ!」
黄金は健在だった。亀裂に手を置いて、体をぐぐっと伸ばす。この空間に大層お怒りのようで、般若みたいな顔で笑っていた。
「私を一度殺すとはよくやった! 殺してやるぞ、少年!」
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